美濃路
東海道・中山道間を結ぶ脇街道です。鉄道路線からはずれたところが多く、現代でも往時の面影漂う街並みを見ることが出来ました。
(平成14年(2002)10月12日〜14日:計3日間)
下田街道
三島から下田まで、伊豆半島を縦断している街道です。現在は、往時の旧道の面影はほとんど失われていましたが、維新、文学など歴史の産物が見られる街道です。
(平成15年(2003)12月13日〜平成16年(2004)3月27日:計3日間)
北国街道
信濃追分から高田まで約140km、別名善光寺街道とも呼ばれている北国街道は、街道歩きの楽しさが凝縮された街道です。歴史、自然、人情・・・雪国独特の温かみが感じられる街道を歩きました。
(平成15年(2003)12月27日〜平成16年(2004)5月3日:計7日間)
日光御成道(岩槻街道)
徳川家の代々将軍が日光社参の際に通過した街道で、本郷追分にて中山道とわかれた後、川口、鳩ヶ谷、大門、岩槻を経て幸手宿で日光街道と合流する街道です。
(平成17年(2005)6月25日〜7月16日:計3日)
姫街道(本坂通り)
東海道の脇街道である本坂通りは、諸々の説がありますが、一般的に姫街道と呼ばれています。その姫街道は、いくつかのルートがあり、その中から浜松にて東海道と別れて、気賀宿、引佐峠、三ヶ日宿、本坂峠、御嵩宿等を経て御油宿で再び東海道に合流するルートをとることにしました。
(平成18年(2006)9月16日〜平成20年(2008)3月15日:計4日)
青梅街道
江戸城築城のために使用する八王子石灰といわれた幕府御用の石灰を、産地である上成木村(青梅市)や下小曽木村(青梅市)から運搬するための道として整備された青梅街道を歩き始めました。
【現在:奥多摩】(平成19年(2007)4月28日〜 :計4日)
御代参街道
御代参街道は、東海道土山宿と中山道五個荘を結ぶ、約10里(約40km)の脇街道です。多賀大社と伊勢神宮を結ぶ街道として、徳川将軍や皇族が名代を代参させた道として利用されました。
(平成25年(2013)1月11日〜13日:計3日)
北国西街道
中山道・洗馬宿から松本、会田、稲荷山等の宿場を経て善光寺まで続く善光寺道の一つです。このうち、洗馬から篠ノ井追分まで歩きました
(平成21年(2009)9月19日〜21日:計3日間)
足柄古道(矢倉沢往還)
御殿場線・足柄駅から足柄峠を越えた足柄古道を歩きました。
(注:写真データを消失してしまいました。文章のみの記録ですので、それでも良ければ見て頂ければ幸いです。)(平成15年(2003)12月30日:計1日)
金沢街道(鎌倉七口)
鎌倉と六浦(横浜)を結ぶ金沢街道を歩きました。商人が塩や海産物を鎌倉に運ぶため、「塩の道」「六浦路」とも呼ばれていました。
(平成17年(2005)6月12日:計1日)
吉田道(鎌倉七口)
東海道沿いの吉田大橋から鶴岡八幡宮まで続く吉田道をを歩きました。車の往来激しく、往時の面影を見いだすのは難しかったのですが、道中たくさんの道標を発見することが出来ました。
(平成17年(2005)12月17日:計1日)
番外編:豆相人車鉄道廃線跡を歩く
街道歩きの番外編です。小田原から熱海まで、かつて人が押す人車鉄道なるものが走っていました。その、廃線跡を歩きました。
(平成16年(2004)2月28日:計1日)
番外編2:江ノ電を歩く
街道歩きの番外編その2です。鎌倉から藤沢まで湘南海岸沿いを走っている路面電車・江ノ電沿いを歩きました。
(平成16年(2004)4月3日:計1日)
更新日:平成25(2013)年4月14日
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