#吉田大橋−鶴岡八幡宮 平成17年(2005)12月17日(土) 天気:快晴(風強く寒し)



■久しぶりの街道歩きっ
戸塚駅
【久しぶりの戸塚駅】
 中山道放浪以来約1ヶ月ぶりの街道歩きとなる12月中旬、前日の天気予報でこの冬一番の寒さになるだろうと言われる日に、JR戸塚駅に降り立っていた。
 ここに来るのは、2001年2月に東海道を歩いた時以来。なので、「そういやこんな駅だったな〜」くらいの記憶が残っているのみ。ほどなくして、本日の同行者蝶野ゆうきさんがやってきた。挨拶もそこそこにさっそく出発。まずは、足慣らしと復習を兼ねて、旧東海道を少し歩いて本日の街道「吉田道」の出発点まで。
 私が東海道を歩いた時、ここを通過したのは前述の通り2001年の2月・・すでに5年が経とうとしている。ゆうきさんも4年になるというから、これだけを見ても、2人ともとっぷり街道歩きにはまっていることがわかる。ほどなくして吉田大橋に到着。


■吉田大橋から出発!
 さて、ここでカメラを取り出して、且つ万歩計をリセット。
 「あれ?万歩計はしていないんですか?」
 「してないんですよー」
 そういえば、これまで出会った東雲紀行のサカモトさんもしていなかったし、風の吹くまま一家さんもしていなかったぞ。もしかして万歩計をセットして歩いている人って、意外に少ないのかなぁ・・・。準備も整ったので、東海道との追分である吉田大橋付近を撮影をした後さっそくスタート!
 と、いきなり戸塚宿の広重絵を発見。それを見つつ、この広重絵に描かれている道標が、すぐ近くのお寺に移されていると事前に調べていたので、街道歩きを始めてすぐに脇道へ。
吉田大橋から吉田道を望む 吉田大橋脇の広重絵(道標が描かれています)


■妙秀寺に到着・・・も、門前払い
妙秀寺。境内には入れず...
【妙秀寺。門前のイチョウが寒々しい】
 住宅街の中に続く細い路地をゆく。その途中、ニュースで流れていた某事件現場を目撃しつつ、ほどなくして目的地の妙秀寺に到着。門前の両脇にそびえるイチョウはほとんど落葉して寒々しい状態だった。
 では、さっそく拝見しますか・・・と門をくぐろうとしたら、、なんと境内には入れず・・ガーン。。。結局、「あれかな〜」なんて、門の隙間から遠目で確認することで納得するしかなく。

 しかし、後から考えると、横の駐車場らしきところから入れたのかと思ったりして(未練がましい)。

 再び街道に復帰。ようやく本格的な歩きだ。
 言いそびれていたが、今回歩く街道は、「吉田道」と呼ばれ、東海道沿いの吉田大橋から鎌倉まで続く道で、鎌倉で遊ぶ人達に利用されていたようだ。
 まずは、柏尾川沿いの道をゆく。この日は、雲一つ無い真っ青な空が広がっている快晴なのに、風が冷たく強い!しかも、前面からまぶしい太陽光線攻撃が・・もしかして、このコースは失敗だったかっ!?

■賑やかな戸塚の街をゆく
境内の隅にひっそりと佇んでいました
【子之八幡神社の庚申塔】
 しかし、そんな強風や太陽光線にめげずに、のんびりと歩みを進める。左手に日立製作所を見つつ、緩やかに右にカーブする道をゆくと、前方が賑やかになってきた。どうやら、戸塚駅周辺の中心地へと入ったようだ。こんな寒い日に、朝からたくさんの人が往来している。戸塚は、ご存じの通り、東海道宿場があったところで、しかも日本橋を発った人(特に男性)の最初の宿泊地でもあったため、往時は大層賑わっていたそうだが、今もそれは変わらないようだ。

 サンテラスユニーを左手に見つつ賑やかな街を抜けると、人通りは少なくなり車の往来だけが目に付くようになる。途中、左斜めに進む細い道があるのでそちらへ進む。ちょっと高台に位置する子之八幡神社の庚申塔などに立ち寄りつつ、すぐに国道に復帰。往時は、この辺りに水田が広がっていたようだが、現在は工場や住宅の密集した地と化している。昔は、のんびりした風景が広がっていたんだろうなぁ。


■道標を見つつ
出羽三山が書かれているではありませんかっ 「面懸阿弥陀如来江ノ道」と書かれています
 しばらく直線道路を進むと、左手に鎌倉道標。ここから右手に向かって東海道沿いの富塚まで道が延びていたようだが、現在は線路や工場などで寸断されている。

 道標を後にして、さらに進むと、緩やかに道が左にカーブするところで左に続く道があるのでそちらへ。そのままずんずん行ってしまいそうになるが、二人とも長年の街道歩きしてきた直感から、そろそろ曲がるべきではないかと言いつつ、周りを見渡すと右手に道標を発見。やはり・・(キラーン)。

■歴史を偲ぶ道標(実際は木碑)
妙秀寺。境内には入れず...
【かまくら道木碑】
 道標を横目に細い道をゆくと、団地にぶつかる。ホントにここで大丈夫なのかといぶかっていると、ゆうきさんが「あそこにかまくら道って書いてありますよー。」「おーホントだ。」
 この道標は、団地建て替えの際に、ここに植わっていたヒノキで作ったそうだ。どのくらいの樹齢のヒノキだったのかわからないが(老樹・大樹だったら残念)、このように往時の歴史を偲んで作ってくれた、この配慮が嬉しい。ちなみに、その手前に延命地蔵もあった(写真取り損ね)。

 団地を過ぎると、再び車通りの激しい道に合流。この先、すぐに左の道へ行き、豊田小学校内を旧道は通過しているのだが、すっかり忘れてそのまま通過。「まぁ、いつものことですから。」と気にせずに(<オイオイ)ずんずん先を目指す。


■新橋(にいはし)付近にて
 長沼地区を通過後、道は、右へカーブしながら登り坂に。工事現場に注意して歩くと、上りきったところに「かいがらざか」(貝殻坂)と書かれた案内碑が建てられていた。この辺りは、昔貝塚でもあったのだろうか。
 相変わらず車の往来は激しく、しかもバスの往来が激しい。さらに太陽も前面にあってまぶしいぞー。天気良いんだけど、色々と苦難が待ち受けている感じ。こういう時二人だと心強いし気も紛れるので助かるなぁ。三叉路手前左手にホンダプリモがあるので、その間を突っ切っている細い旧道をゆく。が、すぐに車通りのある道に合流。さらに、鉄道高架下をくぐり、大きな見どころなく歩くと、突然新橋(にいはし)という名の橋があらわれる。その手前に道標発見。この道標、この先の交差点にあるものと勘違いして、運良く見つけることが出来てラッキーでした。
 ちなみに、新橋が架かっている下の川は、いたち川。が・・・微妙。
この道標、この先の交差点にあるものとばかり勘違いしてました(汗 イタチ・・・・でせうか?


■三猿が彫られた庚申塔
三猿が彫られているのです
【三猿が彫られている庚申塔群】
 道路が交差するところ(笠間交差点)で歩道橋を上る。歩道橋の上から、ちょこっとだけ丹沢山系の山々が見える。左手のマンションがなければ富士山が見えるのにね〜などと言いつつ、さらに先を目指す。二人とも富士山好きなのだ。
 と、すぐに歩道がなくなる道に。勘弁してよーと言いつつ、気を付けて歩くことに。
 相変わらず車の往来ある道を進むと、右手に庚申塔が並んでいる。この庚申塔、よく見ると三猿(見ザル聞かザル言わザル)が彫られている(写真の上にポインタを置いて下さい)。


■プチ道間違い発生
屋根が付いていました
【お地蔵様】
 庚申塔群を後にしてしばらく進むと、左手に資生堂。右手に芝浦製作所。どうやら大船の中心地が近づいてきたようだ。この辺りは、一度だけ来たことがある。あれは何年前だろうか・・などと思いつつ、見覚えのある川沿いの道をゆき、郵便局横に添う形で再び南下。
 正確に言うと、この周辺の旧道は失われており、どこを歩いても良いのだが、車の往来が激しい道は避けたかったので、あえて裏道を取ることに。が、これが正解!車1台が通れるかのような、細い路地は、旧道風情を色濃く残しているようで快適。さらに、「はなれ山通り」との合流地点には、お地蔵様。我々一行がお地蔵様を撮影した後、おじいさんが念入りにお参りしていたのが印象的だった。

 この先、「上原事件」が勃発したため、道を間違える。「こっちの道に行くんですね」なんて言っていたのにも関わらず間違えるというボケをかます。まぁ、ちょっとした間違いで良かった。もうあんな道間違い(→中山道第11日目を参照)はしたくないものです・・。

 ちなみに、上原事件とは、なんのことはなく「管理人が読売ジャイアンツの上原選手に似ているらしい」ということ

戸塚道と藤沢道との追分なのです
【観音道標】
 細い道を進むと、JR横須賀線にぶつかる。その手前左手にあったお寺の門は、茅葺き屋根。なかなか立派だ。踏切を渡ると、ほどなくして、再び車の渋滞している道に合流。合流地点右手に観音道標。ここは、戸塚道と藤沢道との追分にあたる。鎌倉へは、ここを左折して、ひたすら排気ガスを吸い続けるしかない。

 意を決して、車に気を付けつつ再び歩き始める。何故か鎌倉方面からやってくる列が大渋滞。そんな車を横目に見つつ、北鎌倉駅が近くなってきた途端、道を歩く観光客らしき人達が増えてくる。

■鎌倉七口の一つ・巨福呂坂を通っていざ鎌倉っ
鎌倉七口の一つ・巨福呂坂ルートをゆく
【旧道は廃絶してるのでトンネルをくぐります】
 この先、正確なルートは不明だが、一応巨福呂坂を通って鶴岡八幡宮につくのが正式ルートらしい。亀ヶ谷坂切り通しをゆくか源氏山(化粧坂)をゆくか、ゆうきさんと相談した末に、資料に記載された通りの正式ルートを採択することに。このルートは、現在の北鎌倉からの主要ルートでもあり、車のみならず人の往来も激しい。

 横須賀線の踏切を渡ったあたりから、道は徐々に登り坂と化してくる。鎌倉学園、建長寺などを左手に見つつ、さらに登り坂をゆく。上りきってから、下る途中にトンネルにぶつかる。本来ならば、このトンネルではなく旧道があったはずだが、現在は廃絶してしまっているという。仕方がないので、トンネルをくぐるも、その手前にあった説明版に国指定史跡と書いてあるのを見てビックリ!!そんなにすごいものなのか。

■ついに終着点・鶴岡八幡宮に到着っ
もう少し早ければ・・・残念っ
【ほとんど葉が散った鶴岡八幡宮の大イチョウ】
 トンネルを抜けて、道はドンドン面白いように下る。右に大きくカーブすると、左手に鬱蒼とした林が迫ってくる。これは鶴岡八幡宮の境内だ。本日の終着点は鶴岡八幡宮・・・いよいよ踏破目前である。
 が、目の前に最後の難関が現れたっ。なんとここまで歩いてきた歩道が途切れてしまったのだ。「もう勘弁してけろ〜」と思いきや、一応反対側に歩道があったので、隙を付いてダッシュ横断。もっと歩行者のこと考えてまちづくりをして欲しいものだ。特に、国際観光地を謳っている鎌倉なんて、それを第一に優先すべき都市だと思う。
 そのまま八幡宮をぐるっと廻る形で左折。ちなみに、ここを直進すると、店が建ち並ぶメインストリート・小町通り。

 そして、ついに八幡宮の真っ赤な鳥居(三の鳥居)が目に飛び込んできた。ここに来るのは久しぶりだ。鳥居をくぐって、さっそく本殿を目指す。ちなみに、三の鳥居そばに太鼓橋があるが、現在は通行不可能。しかし、ゆうきさん曰く昔は歩くことが出来たらしい。

 シーズンオフと言って良い時期なのに、妙に混んでいる。しかも、日本人のみならず、外国人も多い。さすが鎌倉は国際観光地だ。

 舞殿は、新年を間近に控えてか、張りぼて拡張してあった。その舞殿の向こうに大イチョウが。「まだ葉は散っていないかな」・・というかすかな希望は儚く消えうせた。はぅ・・・。地面を見ると、まだ緑色したハッパが落ちている。もしかして、今日は風が強かったから、それで落ちたのだろうか・・。


■旅の終焉
青空に映えます
【青空に映える桜門】
 その後、本殿で無事踏破出来たことを報告。今日は、無休憩でここまで4時間近く。万歩計を見ると約12kmとなっており、自分的にはいつも通りのペースだったが、ゆうきさん的には「ちょっとゆっくりかな」だったそうだ。やはり私の歩きはかなり遅いことがあらためて判明・・・。昔は早かったのだが、いつからか遅歩の習慣がついてしまったようです。

 参拝後、高台に位置する楼門前から光り輝く由比ヶ浜方面を一望しつつ、短い街道ながらも踏破したんだな〜と思った途端、急にお腹が空いてきたので、「とりあえず食事をしましょうかー」と、八幡宮を後にしたのだった。(完)


歩数計 17,835歩
カロリー 799.6kcal
距 離 12.48km
時 間 10:04〜13:55
支 出
(交通費)
交通費|920円
飲食費|0円
その他|0円

2006.01.08update


トップページ脇街道>吉田道を歩く