#第3日目|南鳩ヶ谷−本郷追分 平成17年(2005)7月16日(土)天気:晴れ(蒸し暑い)
日光御成道3日目スタート
【埼玉高速鉄道南鳩ヶ谷駅入口】 |
しかし、グズグズしていたので、前回の終了地点・南鳩ヶ谷駅に到着したのは、すでに日が高くなっていた頃。さっそく万歩計をリセットしてスタート!(9:45)・・・あっ・・・メモ帳とペン忘れたー。最近'これ'の忘れ物率が高い。ボイスレコーダーでも買うべきかなぁ。
みそ屋らしくないみそ屋・田中家
【元みそ屋の田中家】 |
しばらく進むと、左手にモダンな洋風建物。元みそ屋の田中家だ。もっとも、みそ商売をしていた当時は、こんな建物ではなかっただろうが・・・。
この洋風建物の隣の瓦屋根の倉庫(?)が、かろうじて歴史を偲ばせてくれる。
一里塚跡
【一里塚跡】 |
駅前ならぬ駅上広場
【埼玉高速鉄道川口元郷駅上広場】 |
「地下鉄というのは、駅前(駅上)広場がない」という、自分が勝手に作り上げた固定概念がもろくも崩れ去った瞬間だった。
錫杖寺
道は右に大きくカーブし、都会らしい汚い芝川を超えると、歩道橋が張り巡らされた交差点にぶつかる。手持ち資料を見ると、ここから国道沿いではなく、裏道をゆくようなので歩道橋に登って探してみることに。国道から枝分かれしている細い道を発見したので、きっとこれだろうと見当をつけて、階段を降りかけたその時、大きなお寺が目に飛び込んできた。手持ち資料を見てみると、錫杖寺と書いてある。せっかくなので、立ち寄っていくことに。
このお寺に来て知ったのだが、錫杖寺は、かつての川口宿の北のはずれに位置していたそうだ。きれいに清掃された敷地内には、埼玉県の指定有形文化財の銅鐘や立派な本堂などがあり、なかなか良い感じ。特に、銅鐘は、かつて「川口=鋳物(きゅーぽら)のまち」としての方程式が成り立っていた頃の歴史を偲ばせてくれる。
鍋屋の井と川口宿入口
【鍋屋の井と川口宿入口】 |
実は、錫杖寺でかつての川口宿を記した宿絵図を示したレリーフを発見したのだ。それによると、「本一通り」がかつての宿場通りであり、今でもその景観の一部が残されているという。この絵図を頭にたたき込み、再び道探し。
先ほど見当をつけた道とは違うところ(錫杖寺からまっすぐ南に下った道)を見てみると、それらしき道を発見(右写真の上にポインタをあてて下さい)。その入口部には、鍋屋の井戸があったことを示す公園がある。
説明板を見てみると、「ここに地下水が湧き出た井戸があったそうだが、その水に目を付けてビール会社が進出してきたことによって、水が涸れてしまった」という。そのビール会社も今はなく、工場跡地にマンションが建つという。これからも、こうして歴史がどんどん上書きされて、かき消されていくのかなぁ・・・。
川口宿の家屋
【歴史ありそうな薬局】 |
ほどなくして宿場を抜けると、突き当たりに南中学校がある。手持ち資料によれば、この辺りに善光寺があるはずだがそれらしきものが見あたらない。仕方ないとあきらめ、荒川を渡るために、中学校を迂回して新荒川大橋方面へ。
荒川を渡り、ついに江戸入りだ!
荒川に架かる新荒川大橋を渡り始める。すると、右手に、先ほど迂回した南中学校の奥にある舟戸小学校の、さらに奥にそれらしき建物(善光寺)がっ(左上写真)。しまったー反対側だったか・・・。横着しないで、向こう側に足を延ばせば・・・と後悔しまくり。ちょっと気落ちしつつ川を渡る。
ここは、今では立派な橋がかかっているが、昔は渡しがあり、「川口の渡し(荒川の渡し)」と呼ばれていた。それを示すように、対岸の東京側に説明板もある。その後、往来が激しくなったため、明治に船橋が架けられ、昭和に現在の橋が出来て今に至っている。つまり、昔から交通の往来が激しかったようで、現在も車のみならず自転車の往来も激しい。前述の東京都北区にある「渡し」の説明板を読みながら飲料をゴクゴクプチ休憩。いよいよ暑くなってきたなぁ・・・。
完全に橋を渡り終えると、長かった埼玉県からいよいよ東京都北区へ。ちなみに、この辺りは岩淵と呼ばれ、かつての宿場があったところ。今は往時の面影を見いだすのは難しい。問屋場跡を示すものがあったそうだが、道の反対側で見逃した。
宝幢院前の道標
【道標】 |
ここで道標に従って左折して、赤羽駅方面へ(南下)。
賑やかな赤羽駅周辺
【賑やかな赤羽駅前】 |
鉄道高架下をくぐって反対側に。こちら側もかなりの人出。人をかき分けつつ旧道の方へ進むと、道幅がグッと狭くなり、「あーこれこそ旧道」と思わせる道に。しかし、往来の人と車の量は多し。特に、車に気を付けながら歩く。
稲付城跡
【稲付城跡】 |
お寺を後に、再び出発。
途中、庚申塔ならびに一里塚跡があるはずだが見あたらず、結局見逃す・・・。今日も見逃してばっかりだ。ちょっと暑さにバテ気味のようだ。
色々横目に
徐々に人通りが途絶え、そして一人黙々と歩き続ける。JR埼京線の高架下をくぐり、左手に河童天国を見つつ進むと、右手に公園となっている清水坂貝塚。その先には、清水坂という名前がついた登り坂が続いている。バテ気味の身体には応えるぜ・・・。えっちらおっちら登りきり、環七との交差点を横切り、八雲神社、西音寺などを見つつ、どこかに休憩するところがないかと探しながら先を急ぐ。
清水坂貝塚 |
十条の長坂(清水坂) |
八雲神社 |
西音寺 |
十条富士塚
休憩場所を物色しつつ歩いていると、右手にこんもりとした森を発見。近づいてみると、十条富士塚だ。うまい具合にベンチもあるので、ここでプチ休憩。
この十条富士塚は、この十条地域の住民の富士信仰の祭儀を行うためにつくったところだという。森の中には、富士山を模した小山があり、これだけで富士山への深い信仰ぶりをうかがい知ることが出来る。今でも、この祭儀は行っているそうだ。
ちなみに、ここから富士山が見えたかどうかは、説明板には記されていなかった。昔ならば、見えた可能性も高いが事実は不明。
名主の滝公園に寄り道
【名主の滝公園】 |
公園に到着。立派な門をくぐると、東京都区内とは思えない、豊富な緑と水空間に癒される。園内には、小さい子供を連れた家族連れが来ているなど、地元住民の憩いの場になっているようだ。
三平坂を下り上り
【三平坂】 |
その坂−三平坂という−をえっちらおっちら重たい体を引きずりつつ登り、なんとか街道に復帰。しかし、もうバテバテ。この先にある飛鳥山で休憩することを心に誓う。
更新日:平成19年(2007)11月09日
公開日:平成17年(2005)10月10日
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