#第2日目|岩槻−南鳩ヶ谷 平成17年(2005)7月9日(土)天気:曇りのち雨
大門宿をゆく
大興寺を後に、相変わらず車の交通量の多い、人一人が通るのが精一杯の狭い歩道の続く道をゆく。この辺りが大門宿だ。茅葺き屋根の脇本陣の門(左上の写真)及び同じく茅葺き屋根の本陣の門(右上の写真)をはじめとした往時を偲ばせるスポットが点在している。やはり、国道及び鉄道開発から免れたことが第一の要因なのだろう。余談だが、街並みを撮影していたら、小さな子供を連れたおばあさんが「今、写真撮られちゃってるかもよ」なんて。思わず苦笑。確かに写ってるけど「点」です。
さて、この大門宿の立ち寄りオススメスポットは、宿場の南はずれにある大門神社(右下写真とその下の写真)だ。長いケヤキ並木参道が雰囲気良く、赤い鳥居が緑の回廊にアクセントを加えている。神社の境内でお昼休憩。しかし、今日は、7月なのにあまり暑くなく、それがためか珍しくとても快調なので、休憩もそこそこに出発!
恐怖の街道体験
【ここから恐怖の道が始まる・・・】 |
なので、写真撮影する余裕なんてなく、早くこの時間が終わってくれと祈るばかりだった。(渋滞してるところで1枚撮影したので、写真の上にポインタを載せて下さい)
一里塚ポケット公園
【一里塚ポケット公園】 |
歩道なしの恐怖道は続く・・・
【たまたま車が通ってません】 |
真乗院で緊張感から開放
体力的というより精神的に参ってきた矢先に、左手に真乗院を発見。迷うことなく左折し、休憩させてもらうことに。お堂横の石段に失礼して座らせてもらう。さっきまでの喧噪(けんそう)がウソみたいに、静寂な空間が拡がっている。いや、正確に言えば、車の往来する音、どこかで少年達が野球をしているような声、鳥の鳴き声などが聞こえるのだが、どこか別の空間のことのように感じられる。
ここ真乗院には、樹高18mというコウヤマキをはじめとした、立派な樹木が植わっており、そうした緑に囲まれ身も心も正常に戻りつつあった。というわけで、たっぷり30分ほど休憩した後、再び街道をゆく。
再び出発
【巨大人工物の下を通過】 |
念願の歩道っ
【念願の歩道っ】 |
さぁ、ここから意気揚々といきますかーー。
コンビニの上に乗っかる家
【コンビニを地面とする家】 |
どうでもいいが、この家に住む人は、どこから2階(玄関)に上がるんだろう・・・。
氷川社などを通過
【氷川社】 |
それでも、この道も長くはないだろうと楽観視しつつ、途中のコンビニで飲料補給しながら先を目指す。なんとなく、往来する人が増えてきて、街の雰囲気もどこか賑やかな空気が漂ってきた。そろそろ鳩ヶ谷宿が近くなってきたみたいだ。
失われつつある鳩ヶ谷宿をゆく −意外な歴史資源−
鳩ヶ谷宿・・・現在の鳩ヶ谷市である。生まれて初めての訪問。なかなか古い歴史のありそうな家屋が点在している。が、一方で、あちらこちらで開発の大波(ビッグウェーブ)が押し寄せているのを、直接肌で痛いほど感じた。その根源は、恐らく平成13年(2001)の埼玉高速鉄道開通であろう。この鉄道は、赤羽岩淵駅から東京メトロ南北線に乗り入れている地下鉄である。
推測するに、これまでのこの街の公共交通手段の主力は、「バス」だったと思うが、この東京へ直結している鉄道の出現によって、鳩ヶ谷は大きく変貌しようとしている。しかし、良い面ばかりではなく、鳩ヶ谷が長年培ってきた歴史が失われる危険性を秘めていることも否定できまい。なにしろ、街中の史跡跡や説明板などがほとんどなく、郷土資料館もてんでやる気が見られない。手遅れになる前に、立ち上がる人(+役所)が出てくることを、一街道ウォーカーとして切に願わずにはいられない。
鳩ヶ谷宿を抜け、江戸に向かってスパート
【赤羽まで5km】 |
さて、国道に合流後、見上げれば案内板には次の宿場・川口まで2kmと書いてある。ここからしばらく国道歩きのため、見どころがないのでピッチを上げる。赤羽まで行けそうだぞー。
突然の雨・・・南鳩ヶ谷駅で終了
【南鳩ヶ谷駅で終了】 |
おそらく次回で日光御成道も踏破できるはず。江戸(東京)に入ってからは見どころが多いため、充実した歩きが出来そうで今からワクワクしてしまう。そんな気持ちの高ぶりを抑えつつ、改札をくぐった。(つづく)
歩数計 | 30,089歩 |
カロリー | 1,508.4kcal |
距 離 | 21.06km |
時 間 | 9:05〜16:29 |
支 出 | 交通費|−円 飲食費|−円 その他|−円 |
更新日:平成19年(2007)11月09日
公開日:平成17年(2005)09月29日
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