美濃路を歩く / きっかけ


美濃路を歩くきっかけ
 美濃路を知ったきっかけは、清洲城からでした。それは、2002年の夏でした。名古屋を私用で訪れようと思っていた私は、その私用に加えて、国宝に指定されている犬山城を訪れようと思い立ち、ついでにどこかに立ち寄ろうと色々と調べていたところ、清洲城も割と利便の良いところにあるのを知りました。そして当日。まず犬山城を訪れた私は、名古屋のあまりの暑さにダウン。結局清洲城に立ち寄ることができず、そのまま帰宅の途についたのでした。

 「いつかはリベンジを・・」

 そんな矢先に出会ったのが美濃路という旧道の存在。なんと、清洲城を通過し、しかもあまり交通の便が良くない墨俣城や大垣城なども通過する素敵な街道だと知ったのです。「これは行くしかない」と天気が良い日を見計らって歩こうと決めたのでした。しかし、歩くためには、まずかつての旧道を知ることが必要です。インターネット等を用いて色々と調べておりましたが、なかなか見つからず、市販されている本があったものの、在庫がないということで結局手元には届きませんでした。
 そんな時、いつも私がお世話になっている街道歩き御用達の掲示板で、美濃路の地図を入手できるという情報を提供してくれた方がいました。その情報をもとに、さっそく「尾西市歴史民俗資料館」へ連絡し、館長のご丁寧な手紙が同封された封筒が無事手元に届きました。これで、歩く準備は整ったわけです。


美濃路とは?
西椛島の街並み 美濃路とは、東海道の宮宿付近の分岐点と中山道の垂井宿付近の追分を結ぶ街道で、約14里24町15間(約57キロ)あります。美濃路は、五街道を補完する脇街道の一つでしたが、東海道の鈴鹿峠越えや桑名宿から宮宿までの七里の渡しを嫌った人々が多数利用した重要な街道でした。一方の美濃路沿いには、木曽川、小熊川、長良川、揖斐川という4つの大きな川が流れていましたが、それぞれ舟渡しによって容易に渡ることができました。
墨俣城 街道沿いには、現在の中部圏の中心地である「名古屋宿」、かつての城下町兼宿場だった「清須宿」「墨俣宿」「大垣宿」等の宿場が7箇所ありました。そんな美濃路、その他大規模な開発を免れたため、歴史を感じられる街並みがあちこちに残っている、そんな隠れた魅力あふれる街道なのです。
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2003.12.03現在


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