美濃路を歩く / 歴史探訪 | |
美濃路:名古屋宿〜清須宿 |
名古屋宿 宮宿から数えて2番目の宿場です。 この宿場は、本陣、脇本陣ともになく小さな宿場だったようです。ただ、名古屋城を中心とした城下町でもありました。 現在は、往時の面影は何も残っておらず、日本三大都市圏の一つとして繁栄を誇っています。 今来たところへ戻る△ |
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高札場跡 かつての名古屋宿の高札場跡があったとされるところです。もちろん、今は何も残っていません。 ここで事件に巻き込まれました・・・詳しくは、放浪日記1日目でどうそ(苦笑) 今来たところへ戻る△ |
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浅間神社 「せんげんじんじゃ」と読みます。四間道の入口部にありました。 木花開耶媛命(このはなのさくひやひめのみこと)を主祭神とした古社ですが、創建は不詳です。毎年10月1日−2日に大祭が行われるそうです。 今来たところへ戻る△ |
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四間道 名古屋城築城に伴い、それまでの中心地であった清洲から全てが移転してきました。これを「清洲越し」と言うそうです。 ここは、清洲越し商人によって出来た街並みでした。ところが、元禄13年(1700)大火があり、防火の目的や商業活動のため道幅を4間(約7メートル)に広げたことにより、四間道という名が付けられました。 名古屋市により、昭和61年6月10日、歴史的な街並みを守るため、「町並み保存地区」に指定されました。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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名古屋城 それまでこの地区で中心地であった清洲から移ってきたのがこの名古屋地区で、その中心となったのが新たに築城された名古屋城でした。 徳川家康の第9子徳川義直が初代城主となり、尾張徳川家としてそのまま明治維新まで至っています。 現在は、空襲のため焼失した天守閣等が復元されており、名古屋でも有数の観光地となっています。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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江川一里塚跡 宮宿から数えて2番目の一里塚跡です 現在は、立て札があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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白山神社 「尾張名所図会」によると、白山神社内に、榎木が一株あり、それは白山神社の神木だったそうです。現在もあるかどうかは不明ですが、おそらくなくなっているのでは。 また、かつて、この神社の前には立場がありました。 今来たところへ戻る△ |
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八坂神社 長寿延命と豊作祈願の祭礼・八坂神社大祭(提灯祭り)というものが行われる神社です。 今来たところへ戻る△ |
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枇杷島橋跡 かつての枇杷島橋跡です。 もともと枇杷島橋は美濃路と庄内川の交差するこのあたりに架けられていました。「尾張名所図会」によれば、当時にしてはかなり大きな橋だったことが記載されており、かつ東西2橋架けられていたようです。 現在は、その橋の名残をとどめるがごとく、写真のようなものが(おそらく)復元されています。 今来たところへ戻る△ |
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にしび夢だいこん 怪しい像がありました(笑) 像の台座には、「尾張名所図会起こし にしび夢だいこん」と書いてありました。 もともと、日本三大市場のひとつ・下小田井の市を描いた「尾張名所図会」の中からこの像をピックアップして造られたようです。 今来たところへ戻る△ |
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2003.03.16update