東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:鳴海宿〜宮宿
宮宿〜七里の渡し・・現代の東海道は、ここで一時とぎれてしまいます 宮宿
東海道41番目の宿場です。
熱田神宮の信仰の拠点として、七里の渡しを控え、また中山道と結ぶ美濃路など、様々な街道が交差する交通の要衝として、大きく賑わいました。
東海道は、ここから陸路から海路となり、7里の距離を経て(それで七里の渡し)、桑名宿にたどり着いたのです。現在、この七里の渡しの跡は、公園として綺麗に整備されています。
(→写真館

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姥堂・裁断橋址 姥堂・裁断橋址
姥堂は、延文3年(1358)の創建です。本尊姥像は、熱田神宮から移したものといわれ、「おんばこさん」と親しまれてきました。第二次大戦で焼失しましたが、平成5年に復元しました。
今は埋められている精進川に、かつて架かっていた裁断橋は、秀吉の小田原征伐の際、息子を亡くした母が供養のために修造したものです。

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三叉の道標 道標(三叉の道標)
伝馬町の西端、東海道と美濃路(または佐屋路)との分岐点にある道標です。道標の位置は、1790年の建立当時のままです。

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熱田神宮〜そこには神聖な空間が存在していました 熱田神宮
熱田の大神を主神としています。三種の神器のひとつ、草薙の神剣を祀ったのが期限とされています。
宝物館では、刀剣や鏡など4000点余りを展示しています。
(→写真館

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佐久間燈籠〜熱田神宮内にて 佐久間燈籠
織田信長に仕えた佐久間盛次の四男、勝之が海上で台風に遭った時、熱田神宮の守護を祈り、難を逃れたお礼に寄進したものです。

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信長塀〜日本三大土塀のひとつ 信長塀
織田信長が桶狭間出陣の際に、熱田神宮に願文を奉し、大勝したのでそのお礼として奉納した塀です。
土と石灰を油で練り固めて、瓦を厚く積み重ねています。
三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び、日本三大土塀の一つと言われています。

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2002.6.26update


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