美濃路を歩く / 歴史探訪 | |
美濃路:清須宿〜稲葉宿 |
清須宿 宮宿から数えて3番目の宿場です。 はじめ、一場桑名町に置かれていましたが、寛文8年(1668)火災に遭い、現在の地に移されました。 現在は、清洲城が復元されたり、昔ながらの街並みが残っているなど、歴史を感じる街となっています。 今来たところへ戻る△ |
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五条橋 五条橋は、室町期に斯波氏の時代からあり、(1610)の清洲越しまで清洲城の「御城橋」の役目を果たしてきました。 現在の橋は、清洲越し前の擬宝珠の親柱と銘文をそのまま復元したものです。 今来たところへ戻る△ |
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清須古城址石碑 かつて清洲城があったところです。五条橋近くに碑がありました。 今来たところへ戻る△ |
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清涼寺 さわやかな名前を持つお寺です。 鐘つき堂の鐘で、時を告げていたそうです。現在は、鳴らずの鐘になっていますが、県下ではとても珍しい時鐘です。 今来たところへ戻る△ |
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清須宿本陣跡 かつての清須宿本陣跡です。この本陣林家は、かつて宿場一の豪壮な建物でした。 明治24年(1891)の濃尾震災で建物の大半が倒壊してしまいました。写真に写る門は、わずかに免れ免れ、縮小されて再建されたそうです。 今来たところへ戻る△ |
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清洲城 かつての織田信長の居城でした。信長が桶狭間で今川義元を討ち取った時、このお城から出陣をしました。 その後、慶長15年(1610)徳川家康により、都が名古屋に移ってしまったため、清洲城はなくなりました。 清洲町の町制100周年記念事業として復元されました。東海道新幹線からも見ることができます。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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北市場美濃路公園 北市場美濃路公園と名の付く公園です。美濃路沿いに新しく整備されたらしく、石碑がとても新しめに感じました。 今来たところへ戻る△ |
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長光寺 応保元年(1161)、平頼盛が創建しました。延元3年(1338)足利尊氏が復興し、法相宗に属し、長光寺寛林院と称しました。明応8年(1499)臨済宗に改め、現寺号を称しました。 今来たところへ戻る△ |
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四ツ家追分の道標 岐阜街道との分岐点「四ッ家の追分」にあった道標は、近くの長光寺門前に移築されています。 今来たところへ戻る△ |
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岐阜街道四ッ家追分の碑 かつての岐阜街道と美濃路との追分です。 今来たところへ戻る△ |
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国府宮一の鳥居 国府宮に続く一の鳥居です。 国府宮は、尾張地方の総鎮守神、農商業守護神、厄除神等として広く信仰されているようです。 奈良時代、国衙に隣接して御鎮座していたことから尾張国の総社と定められ、国司自らが祭祀を執り行う神社として、通称「国府宮」として広く知られるようになりました。 今来たところへ戻る△ |
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2003.03.25update