美濃路を歩く / 歴史探訪 | |
美濃路:大垣宿〜垂井宿 |
塩田橋の常夜灯 この常夜灯は、明治13年(1880)に杭瀬川を往来する舟の安全祈願と航路標識、伊勢両宮への献灯として塩田港の西岸に建立されました。 写真だとちょっとわかりづらいですが、かなり巨大な常夜灯で、しかも頭でっかちで一風変わっています。 今来たところへ戻る△ |
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久徳の一里塚 美濃路沿いに残る二つの一里塚のうちのひとつです。南塚(榎)のみが現存しており(写真)、大垣市の史跡に指定されています。 写真は、ちょっと逆光のため霞んでしまいました。 今来たところへ戻る△ |
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南宮神社道の道標 垂井宿方面にある南宮神社への道標です。ここからだと、まだかなり距離がありますよー。 今来たところへ戻る△ |
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南宮神社石碑 上の道標近くにあった南宮神社と書かれた石碑です。ちょっと新しめでした。 今来たところへ戻る△ |
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長松城址 永禄元年(1558)、竹中源助が築いたのがはじまりです。その後、関ヶ原の合戦後、廃城となりました。 現在は、石碑があるのみで荒崎小学校前にありました。 今来たところへ戻る△ |
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垂井の松並木 美濃路沿いの唯一の松並木です。 この辺りの松は、江戸中期から明治初期ぐらいに植えられたもので、周辺の松は台風などにより倒れてしまったそうですが、頑張って残っている松もあり、こうして松並木を堪能することができるのです。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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追分道標 中山道との追分分岐地点です。ここが、美濃路の終着点もしくは始発点にあたります。この道標を右に進むと美濃路、左に進むと中山道になります。ちなみに、道標は写真奥の松に少し隠れて建てられています。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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相川の人足渡跡 垂井宿の東の入口手前に、相川という川が流れています。この相川には、昔から大洪水があり、橋は流れ淵は変わりました。そのため、江戸時代は基本的に人足渡しとなり、特別の姫宮や朝鮮通信使等の大通行時には、木橋をかけました。しかし、天保6年(1835)以降一切人足渡しとなりました。 現在は、もちろん写真に写っている橋が架かっています。 今来たところへ戻る△ |
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東の見附 垂井宿の東の見附にあたります。往時はここに役人がいて、大名等を迎えたり送ったりしていたそうですが、現在は特に何も残っておらず、宿場の案内板があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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旅籠亀丸屋 中山道垂井宿の旅籠亀丸屋です。創業来220年以上を誇る老舗旅籠で、まだ現在も営業を続けているそうです。また、いつの日か中山道を歩くその時までしばしのお別れ。。。 今来たところへ戻る△ |
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2003.12.01update