美濃路を歩く / 歴史探訪


美濃路:起宿〜墨俣宿
起宿〜昔ながらの街並みが見られるところでした 起宿
宮宿から数えて6番目の宿場です。
かつて、上の定船場、中の宮洞戸、下の定船場の3つの渡し場があり、金比羅の渡し場とも言われているそうです。
現在でも、昔ながらの街並みが比較的残っており、往時の宿場の雰囲気を感じることができます。


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起宿脇本陣跡 起宿脇本陣跡
起宿の脇本陣跡です。この脇本陣を務めていた林家の建物は、明治24年(1891)の濃尾震災で倒壊してしまいましたが、大正の初めに建て直されました。
現在は、建物内部を無料で見学できるほか、建物の裏手(写真でいうと左手)には、庭園が整備されており、往時の雰囲気を味わうことができます。
(→写真館

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尾西市歴史民俗資料館 尾西市歴史民俗資料館
町・宿場町、川・渡し、織物、村の4つをメインテーマとした郷土の歴史と文化を学ぶことができる資料館です。
今回の美濃路の旅にあたって、同資料館にて販売している美濃路散策ルートマップを入手したのがはじまりでした。しかし、残念ながら館長とは会えず。。
敷地内には、別館(脇本陣跡)等もあります。

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起宿本陣・問屋場跡 起宿本陣及び問屋場跡
起宿の本陣及び問屋場跡です。
この本陣を務めていた加藤家の第11代の加藤磯足は、本居宣長(国学者)の門人としても知られているそうです。

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宮河戸跡 宮河戸跡
宮河戸は、起の商家が商う物資を運ぶ船が発着する湊でした。周辺には、当時の繁栄を物語るような土蔵が残っています。

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起渡船場石灯台 起渡船場石灯台
明和7年(1770)の「おこし川渡場」と刻まれた常夜灯がここ木曽川沿いに移築されました。
この起湊には3つの渡船場があったそうです。

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不破一色の一里塚跡 不破一色の一里塚跡
かつての一里塚跡です。西塚が不破一色村、東塚が坂丸村(現在の正木小学校)にありましたが、現在は何も残っていません。小学校内に石碑と説明板があるのみです。

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金毘羅山大権現(後藤松陰)の常夜灯 金毘羅山大権現(後藤松陰)の常夜灯
後藤松陰(寛政9年(1797)〜元治元年(1864))とは、江戸時代の漢詩人で、頼山陽の高弟だそうです。

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西方寺への道標 西方寺への道標
間の宿近くにあった西方寺への道標です。

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阿遅加神社 阿遅加神社
かなり立派な神社で、1000年以上の歴史を持っているそうです。美濃路沿いからは、少し外れますが、周辺に田んぼが拡がっているため、結構目立っています。
ちなみに、「あじか」神社と読みます。

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西方寺への道標 西方寺への道標
笠松方面と堤を降りる美濃路の分岐点に立つ、「親鸞聖人御旧跡」と刻まれた西方寺への道標です。
ここは、桜並木が続いており、春にはきれいな景色を見ることができるでしょう。

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2003.10.11update


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