東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第11日目|藤枝−掛川 平成13年(2001)5月26日(土)

放浪日記第十一日目MAP|藤枝−掛川

平成13年(2001)5月26日(土) 東海道第11日目:藤枝−掛川 天気:晴/曇

11日目の放浪の始まり始まり〜♪ ゴールデンウィークに旅をしてから、ずいぶんと日が経っていた。何故か、放浪に行く日は目覚まし時計が鳴る前に目覚めることが多くなった。電車に乗り遅れないようにという思いがあるのだろうか・・・まるで決闘に行くかのように、緊張感あふれた朝を迎えたのだった。
 用意を終えた私は、そっと家を出た。徐々に太陽が昇り始めようとしていた。どうやら今日も暑くなりそうだ。なんて軽く考えていたのがのちのちまで響くことになろうとは、この時は思いも寄らなかった。
 そうして電車を乗り継ぎ、前回旅を終えた藤枝駅に着いた。さっそく万歩計を0に戻して出発。時間にして8:33であった。


 まずは、旧東海道に戻るべく、駅前通りを歩いていく。途中、前回立ち寄り損ねた喜久屋という街道名物の『瀬戸の染飯』を売っているというお店に立ち寄った。ところが、店に入っているとお赤飯のおにぎりしか売っていない・・・どうしようか、売っていないならこのまま店を出るかと思っているうちに、店員が出てきてしまって、結局店員に聞けないまま赤飯おにぎりを購入しただけにとどまってしまった。まあいいか。これも美味しそうだし。とあっさりと気持ちを切り替えた私は、目的の旧東海道に辿り着き、さっそく歩き始めた(写真上)。
 しばらく国道1号の裏道を歩く。そのうち左手に大型のパソコン屋が見えてきた。「ここで浮浪雲さんがスマートメディアをゲットしたんだなぁ」と、東海道ウォーカー先駆者のことが脳裏をよぎった。なんとも頼もしく思うと同時に不思議な気分になってくる。蓬莱橋・・・そこには俗世間とは離れた異空間が存在していました−島田宿
 途中、『田中藩領傍示石蹟』、『六地蔵堂』、『東海道追分』などを見る。この辺りは、途中に松並木が昔の姿をまま残っているところがある。そのため、歩いていてすごく気持ちが良い。車の走行量も少ないのが魅力だ。
 そうして歩いているうちに、いつしか国道1号に合流した。相変わらず朝からすごい交通量だ・・・その排気ガスにやられつつもなんとか切り抜け、六合から再び裏道に入った。しかし、その安らぎの時もすぐにとぎれ、再び国道沿いを歩かざるを得ない状況になった。これが昔の東海道だったのだ・・そう自分に言い聞かせ、テクテクと西を目指して歩いた。
 そうこうしているうちに、再び国道を逸れ裏道に入っていく。地図を確認してみるとどうやらそろそろ『島田宿』に入りそうだ。しかし、私は、今日、一つの決意を胸に秘めていた。それは、東海道を一時逸れ、一つの橋を見に行こうと思っていたのだ。その橋の名は『蓬莱橋』(写真右、写真館)。かの有名な『大井川』を南北に横断しているギネスブックにも載った珍しい木造橋であり、橋を渡るのにお金を取るのである。
 事前に調べて知っていたのだが、この日はお祭りがあるとのこと・・きっとすごい人なのだろうと思っていたら、やはりたくさんの人で賑わっていた。とりあえず橋を渡ろうと思い、チケットを購入しようとすると・・「ん?・・げっ!値上げしているではないか!」そうなのだ。事前に浮浪雲さんのHPで見たときは、大人20円だったのが、50円に跳ね上がっていたのだ。しかし、そんなケチなことを言っていてもしょうがない。何事もなかったように普通を装ってチケットを購入した私は、さっそく橋を渡り始めた。島田宿の川会所〜昔は大井川の川越のため栄えていました
 橋の両端にぼんぼんがたくさん並べられていた。さすが「蓬莱橋ぼんぼん祭り」と称しているだけあって、どのぼんぼんも綺麗な絵が描かれていた。夜もさぞすばらしい景観を創り上げることだろう・・しかし、今は昼間なのでそれを見るのは無理そうであった。
 橋をテクテク歩く・・・「おおっ・・すごい!」連発であった。それほどこの橋はすごいのだ。何がすごいって口では簡単に言えない。すごいからすごいのであった。なんてことを言ってると怒られそうなので、一言だけいうと、そこには俗世間と離れた異空間が存在していたのであった。そしてこの橋のもう一つの特徴・・それは「長い!」。そう、この橋は、『大井川』の上に架かっているのだが、この橋が長い。前方が見えているにも関わらずなかなか向こう岸にたどり着けない。
 1キロ近く歩いただろうか・・ようやく向こう岸にたどり着いた。向こう岸には、いくつかの石碑などがあったので、お参りをして再び橋を逆に戻ることにした。チケットは往復分の料金なのだ。帰りもやはり長かった。そうこうして再び島田側に辿り着いたときは、ちょっとバテ気味であった。しかし、見に来て本当に良かった。大満足の私は、再び旧東海道に戻り歩き始めた。
 『島田宿』は、大型店舗が閉鎖しているなど、少し廃れ気味の感があったが、それでも大きなホテルがそびえ立っているなど、昔の宿があったという心を忘れていないようであった。それを実感したのが、それから少し歩いた場所にあった『島田宿大井川川越遺跡』(写真館)に代表される昔ながらの町並みであった。
 ここの町並みは、本当にタイムスリップしたかのような昔の面影を残しており、草鞋の実演などを行ったりしていて、非常に気持ちが和んでくるのを感じた。そんな時に、いきなり後ろから声がかかった。「写真撮って」振り返ると、男の人がカメラを片手立っていた。「いいですよ」と二つ返事の私は快く彼を写真に収めた。すると、彼は再び言った。「写真撮ってあげるよ」「(え?・・・まあ、いいか)それじゃお願いします」と、東海道を歩き始めて、初めて自分が自分のカメラに収まったのであった。大井川にかかる大井川橋〜めっちゃ長い橋だったぁ〜
 それから、建物を出た私は、この男性と少し話をした。私が東海道を今歩いているんだ・・というと、「それは素晴らしい趣味をしているね」とべた褒めしてくれた。別に褒めてもらうようなことはしていないのだが、彼曰く「最近の若いのは家でゴロゴロしているだけでどうもいかん」というのが根底にあるらしく、そういった点で評価してくれたらしい。お礼を言って彼と別れた私は、さらに先を目指した。
 まず大井川手前の『島田市博物館』に寄った。ここは、JR東海が主催している日本往来ウォーキングに参加しているところらしく、その参加ブックを見せると割引してくれるところだった。ところが、生憎私はこの日ブックを持ってきていなかったのだ。とりあえずウォーキングマップだけは持っていたので、ダメもとで聞いてみた。「本を持ってきていないんですけど、割引してくれませんか?」すると博物館のお姉ちゃん・・もといお姉さんは「いいですよ〜」おおっ!なんてステキなお姉さんなんだ。ラッキーなことに半額になった。聞いてみるもんだなぁ〜気分も軽やかに博物館を堪能した私は、新たな難関に立ち向かうべく同館を後にした。
 『大井川』にかかっている橋を渡るべく少し川沿いを歩く(写真右)。遠くから橋を見てみると、その長さがわかるのだが・・・なんと向こう岸の端が見えないではないか・・・ちょっとビクつきつつも橋に着いた私は、意を決して渡り始めた。金谷宿の石畳〜復元された石畳は、昔の街道情緒を感じさせてくれました
 一生懸命歩くのだが、なかなか先が見えてこない(写真館)。しかし、思ったより快適だ。大井川は水面が光ってすごくきれいだし、向こう岸の山面を見ると、お茶畑が拡がっていた。・・・が、長い!バテバテになり、もうだめだぁと思っていた頃、ようやく向こう岸にたどり着いた。昔ほど大変ではないにせよ、やはり東海道の難関であることに代わりはなかった。
 そうして川を乗り越えた私は、再び先を目指して歩き出した。そろそろお腹も空いてきた・・もう12時を越えているではないか・・。どこかで休めるところはないだろうか。『金谷宿』にすでに入っていた私は、そのまま金谷駅近くまで来てしまった。ここに芭蕉句碑がある長光寺という寺があったので、ここで昼食兼休憩をすることにした。
 くつを脱いでホッと一息ついていると、「ぼぉーーーーーっ」。おっ!この音は・・・SLだ〜!そうなのである。ここ金谷駅から大井川鉄道という路線をSLが今でも走っているのであった。しかし、残念ながら寺からは音は聞こえども姿を見ることは出来ず、私が寺を後にした頃にはとっくに走り去っていた。
 しかし、十分休憩をとり体力も少し回復したので、先を急ぐことにした。今日はまだまだ先が長いのだ。のんびりなどしていられない。寺を出ると、いきなり急坂が現れる。これがかなりきつい・・しかし、これまで何度も難関をクリアしてきた私は、なんとかこれを登り切り、目の前に現れた国道を横断。そこから少し登った私の目に飛び込んできたのは、写真で何度も見たことのある『石畳入り口』だった。つひにここまで来たかぁ〜と感慨もひとしおであった。
 とりあえず・・と思い、カメラを取り出して入り口を写真に収めた。もう一枚撮ろうかと思っていたら、突然後ろから声がかかった。「良かったら写真を撮りましょうか?」。振り返ってみたら2人組の女性だった。撮って下さいじゃなくて撮りましょうか?・・こんなことを言われたのは初めてだったのだが、せっかくの好意を無にするのは忍びなかったので「それじゃ、お願いします」「いきますよぉ〜パシャ」「ありがとうございます〜」・・「もし良かったら写真撮りましょうか?」「・・それじゃ、お願いできますか?」というわけで、彼女たちも2人並んで写真に収めた。最初からそれを期待していたわけではないというのが、なんともおもしろくもあり、静岡の人は変わった人が多いのだなぁと、妙なところで感心してしまった。金谷の石畳を登り切ったところには、一面にお茶畑が拡がっていましたぁ♪
 2人にお礼を言って別れた私は、さっそく石畳を登り始めることにした。石畳入り口すぐ横に『茶屋』があったが、先ほど休憩したので入るのはやめることにした。石畳は思ったより人気(ひとけ)がなかった(写真上)。しかし、逆にそのことが石畳の神秘性を高めていたように思えた(写真館)。
 テクテクと歩いていくが、あまりに人気がないため、ちょっとビクついていた。しかし、ふと後ろに急に何かを感じた。さっきまで誰もいなかったのに・・だれだ!と後ろを振り返ってきたら、地蔵尊の前の幟がなびいているだけだった。「ふ〜」とホッと一息。<小心者(笑)。そこからさらに登り、ようやく舗装された道路に辿り着いた。
 ここからしばらく舗装した道路を歩いた。ここがさらに快適な道だった。今まで歩いた道の中で3本指に入るかと思われるほど、快適だった。ほとんど人も車も歩いていないし、左手にはお茶畑が拡がっており、もう最高であった(写真右、写真館)。途中、国指定の『諏訪原城跡』に立ち寄りながら歩いていると、再び石畳にぶつかった。この石畳は『菊川坂』と呼ばれており、間の宿の『菊川』に続いている石畳であった。
 この石畳の入り口に休憩所と水飲み場があった。この配慮は最高であった。さっそく私は手や顔を洗い、リフレッシュ化を図った。金谷町のすばらしい配慮が嬉しかった。そうして気持ち良く坂を下り始めた。
 この石畳であるが、まだ整備されて間もないらしくまだ綺麗な石畳であった。しかし、かなりの急坂だ。この急坂を下り終わったところが、間の宿の『菊川』。ここも昔ながらの町並みが残っており、歩いていて気持ちが良い・・はずであったが、私は暑さのため少しバテ気味であった。そして、飲み物も持っていないことが、さらに私を不安にさせていた。しかし、店に出会うことは無かった。仕方がないので、ひたすら先を目指すことにした。小夜の中山峠付近一面に拡がるお茶畑〜とっても気持ち良いところでしたが・・・暑かった(>_<)
 菊川を抜けると、急坂が始まった。これがかなりきつい。今まで箱根八里、さった峠、大井川と難関を乗り越えてきたが、ここもきつい。後で知ったことだが、この中山峠も東海道の3大難関峠の一つだったのだ。なかなか終わらない坂道・・早く終わってくれ〜と祈りつつただひたすら先を目指す。幸いなことにすばらしいお茶畑が左右に拡がっており、それを心の安らぎにしながら登り続けた(写真左、写真館)。そうしてようやく頂上に着いたときの感動といったら・・無かった。感動する余裕も無かったのだ(笑)。頂上近くにある『久延寺』に寄り、『夜泣き石』を見る。また、久延寺の隣にある『扇屋』(写真館)というお店で、ここでしか売っていない「子泣き飴」を水と一緒に購入。店のお母さんの「気をつけていってらっしゃ〜い」が気持ち良かった。
 頂上ではあまり長居することなく先を目指す。途中、『一里塚』を写真に収める。そうしてさらに先を目指す。再びお茶畑が拡がっているところがあり、ここでテレビ局が撮影に来ていた。どんな番組なのだろうと思いつつも先を急ぐ。
 そうして、先ほど見た夜泣き石がかつてあった『夜泣き石跡』を見付けたので、ここで写真を撮ることにした。ガサゴソ・・あれ?・・・ガサゴソガサゴソ・・・あれあれ??・・・うぎゃーーーー!かっカメラが〜〜〜!!!!どうやらどこかで忘れてきたらしい。そうだ!扇屋で忘れたのかもしれない。扇屋で買った飴にパンフが付いていたのを思いだし、それを探し電話をかける・・・しかし、無いとのこと。とりあえず見つかったら電話をしてくれるようお願いをして電話を切った。とりあえずここに居てもしょうがない。どこかで落としたのかもしれない・・私は今来た道を戻り始めた。日坂宿の旅籠・川坂屋−きさくな地元の人たちと会話を交わしましたっ
 道を逆に歩いているうちに思い出した。そう言えば扇屋を出たあと、一里塚を写真に収めているぞ・・それじゃその間で落としたのだろうか・・うーん・・記憶が全くない。自然早足になる・・このまま見つからなかったら今まで撮った写真はどうなるのか・・カメラはどうでもよい。フィルムさえ無事なら・・その一心で道を逆戻りした。
 途中、道に立ち止まって地図を見てみる3人組に出会った。「あの〜途中でカメラを見かけませんでしたか?」「これかな?」「ああーーーー!!それです。ありがとうございますぅ〜」なんと、彼らがカメラを見付けてくれていたのだ!話を聞くと、道の端に落ちていたとのこと。何で落としたのか全く記憶に無いのが怖いのだが、何はともあれカメラが見つかってホッと一安心。少し、彼らと一緒に歩いていた。豊橋から来たこと、今日はJR東海のウォーキングで来ているとのことなどなど・・・。しかし、このペースで歩いていたら掛川に着く頃には真っ暗になってしまう・・。そうした私の気持ちを察したのか、3人組のうちの一人が「私たちに合わせてないで先に行っていいわよ〜」・・せっかく拾ってもらったのに何もお礼が出来ないのが心苦しかったが、私は再びお礼を言って先を急ぐことにした。ホントにありがとう!!
掛川宿付近〜本日の放浪はここまでっ ひたすら先を急ぐ。ずいぶんと時間のロスをしてしまった。そうこうしているうちに、ようやく『日坂宿』に到着。ここも昔ながらの町並みを残しているところだった。昔の旅籠を改築した『川坂屋』を訪れた。地元の方が居り、いろいろと説明をしてくれた。こうした配慮があるところはすごく嬉しい限りだ。こうして東海道を歩いている人は結構居るとのこと。やはり先駆者は多いのだなと改めて実感した。川坂屋を後にした私は、さらに歩き、『事任八幡宮』を見学。ここには市の天然記念物に指定されている大杉があり、その巨木ぶりに圧倒されてしまった。そうしてここも後にすると、あとは見所もなくひたすら『掛川宿』を目指して歩き続けた。
 結局掛川宿に着いたのが17時過ぎ・・ホテルに入ったのが17時半過ぎ・・・今日もよく歩いたもんだ。しかし、夕方の空を見てみてると、なんとなく天気が崩れてきそうな予感がする・・明日は雨が降りませんように・・と祈りつつ、今日の激動の旅を振り返るのであった。(つづく)
→第12日目 掛川−磐田


歩数計 44,880歩
カロリー 1,867.0kcal
距 離 26.93km
時 間 8:33〜17:35
支 出 交通費|3,420円(新幹線は片道分)
飲食費|2,449円
その他|790円(施設見学料等)


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