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東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記 |
#第12日目|掛川−磐田 平成13年(2001)5月27日(日)
平成13年(2001)5月27日(日) 東海道第12日目:掛川−磐田 天気:曇時々小雨 |
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![]() そうして準備をした後、ホテルをチェックアウトしていざ出発!ん?ありゃ・・雨がパラパラと降ってきているではないか・・。「今日の放浪はどうしよう」・・と思ったが、とりあえずお城は見ようと思い、途中で飲み物を購入して、掛川城を目指した。 駅前にもたくさんのリュックを背負った人が居たのだが、掛川城にもたくさんの人が集まっていた。後で調べたところによると、どうやら別のウォーキングイベントが開催されているらしかった。 いきなり、お城の入り口のところにたくさんの人が居て、城の中に入るのに一苦労だった。なんでよりによってこんなところで・・・・(笑) そうしてようやく中に入ることができた。 ![]() 気分よく天守閣を目指す(写真右、写真館)。「いらっしゃいませ〜。ここで靴を脱いで上がって下さい」「はーい」ありゃ?靴が一つもない・・どうやら一番乗りらしかった。そりゃ、まだ9時を少し廻ったところだし(笑)しかし、誰もいないというのは気持ちの良いものだ。さっそうと足取り軽く最上階まで上がった。 最上階には、ボランティアの人が居た。しばらく外の景色を見ていたのだが、せっかくなのでちょっとボランティアのおじさんに質問したら、色々と教えてくれた。昔は、向こうに見える丘に城があっただとか、晴れた日には富士山も見えるのじゃ、とか・・・。そのうち人がぼちぼちとやってきたので、おじさんにお礼を言って下に降りることにした。 ![]() 掛川城周辺には、1時間ばかし居ただろうか・・・あまり長居もしていられないと思い、城を後にして次に『大日本報徳社』を見た。 そして、次の場所に移動しようと思っていたその時、遠くで「おいっ・・おいっ」と声がする。周りをキョロキョロ見てみると、一人のおじいさんが座っていた。どうやら私を呼んでいるらしかった。 近づいた私におじいさんは言った。「さっきから通るこの大勢の人はなんなんだ?」「よくわからないですけど、なんかのイベントに参加している人達みたいですよ。ほら、今ウォーキングブームですし」なんて会話をして、ようやくその意味がわかったようで、何度も「そうか〜そうか〜それでたくさんの人が通っているんだなぁ」と納得していたようだ。 ![]() 再び旧東海道に戻った私は、西に向かって歩き始めた。 途中、平将門以下19人の首が納められているという『十九首塚』を探しに探しまくってようやく発見し、さらに西を目指した。途中、ちょっとだけ国道に合流したが、広重の絵にあった大池橋を越えると再び裏道に入った。 ここからは穏やかな道が続く。 途中、なんとも景観の良い造り酒屋を越え、バイパスをくぐり、さらに先を目指すと、目の前に現れたのは松並木(写真上、歴史探訪、写真館)。これまで出会った松並木とは少し違う感じがした。言葉では上手く表現できない。しかし、どこか心をホッとさせるそんな雰囲気を漂わせた一空間を形成していた。 ここでかなり写真を撮った。私の心が、写真を撮れと体に訴えかけていたのかもしれない。写真は、確かに形に残るが全てが全て表現できないのが心苦しいばかりだ。 松並木を後にした私は、さらに先を目指す。途中、川を越え袋井市に突入。再び松並木に遭遇した(写真右)。この辺りは松並木が多いと聞いていたが、やはり実際に目の前にしてみると、心が落ち着いてくるのがわかる。 ![]() 市役所を過ぎ、川を渡ったところに茶屋を発見した。ここの水道で顔を洗う。ところが、これだけですぐにここを後にしてしまうのであった。実は、ガイドブック等に載っていた、袋井宿でもっとも中心と言われている「ど真ん中茶屋」というのは、他の場所にあるとばっかり思っていて、まさかこの茶屋がそれだとは思いも寄らなかったのだ。しかし、それに気づいたのは家に帰ってからであった。 そんなこととはつゆ知らず、茶屋を後にした私は、綺麗に整備された『東本陣跡』(写真左)、『宿場公園』を見た。どちらも綺麗に整備されており、気持ちが良いのだが、人が誰もいなかったのが気になった。 ![]() 再び国道に合流し、そのまま国道沿いを歩く。が、ここで再び雨が降ってきた。しかも、今回の雨は小雨の域を越えそうな感じだ。さて、どうしようと思ったが、ここで引き返す訳にはいかない。とりあえず、近くにある許禰(こね)神社で雨宿り兼休憩兼昼食をとることにした。 しばらく、この先の行程などを模索した。そうこうしているうちに、どうやら雨は止んだようだ。私は、再び荷物を持って、立ち上がり歩き始めた。この辺りは、昔武田信玄と徳川家康が戦ったところだという『古戦場木原畷』であった。私は、武田信玄が好きなので、非常に感慨深いものがあった。ここで武将達が戦っていた・・まさに芭蕉の兵共が夢の跡・・・。この感覚は、まさに中国を旅行した時に、中国大陸で感じた思いと同じ感じであった。 ![]() そこからそのまま裏道を歩き続ける。途中、大きな犬を散歩している人が歩いており、地元ののどかさを堪能したあと、再び国道に合流。そのまま国道にかかる歩道橋を渡った後、少し歩いて再び裏道に入る。さらに歩いて、急坂を下るとどうやらこの辺から『見附宿』に入っているようだった。 坂を下りきったところにある『阿多古山』で休むことにした。かなり急な階段を上って振り返ってみると、見附宿が一望できた(写真上)。「おおっ!絶景かな絶景かな!」この景色の良いところで ![]() ぼぉーっといろいろと考えてみる。ここまで200キロ以上歩いてきている。そしてこれからさらに同じくらいの距離を歩かなければいけない。別に「いけない」という義務づけではない。今は、歩くことが楽しいというのが正解だろう。そして、たくさんの景色に、建物に、そして人に出会えるのが旅の醍醐味。それを自分の足で探し見つけるのだから尚更だ。これからも頑張るぞーー! そう気合を入れ直した私は、お世話になった山を後にした。 途中、『本陣跡』、脇本陣跡を見ながら歩き続ける。ただし、いくつかの跡地は見逃してしまったようだ。やっぱりちょっと疲れ気味であったらしい(笑)。 そうして、最後の目的となる場所、『旧見附小学校』(写真館)に到着。現存する日本最古の木造洋風小学校校舎として国の史跡にも指定されているが、これがなんと無料で見学出来るのだ!これほど驚くべきことはない。何故有料にしないのだろうか・・維持費もばかにならないだろうに・・・。 ![]() 中を見ていて思ったことは、この空気・雰囲気をどこかで味わったことがある・・・うーん・・そうだ!松本の旧開智学校、もしくは札幌の時計台・・どれも共通しているのは「洋風」であった。すごく懐かしいにおいがした。写真撮影可だったので、遠慮がちに何枚か撮らせてもらった(写真上)。 受付でお礼を言って学校を後にした私は、一路今日の終着場所である磐田駅を目指すべく歩き出した。途中、御油まで続いている『姫街道の入り口』を見た。さらに、『遠江国分寺跡』、『府八幡宮』を見て、ようやく磐田駅に到着(写真左)。 今回の旅も苦しかったが楽しいこともたくさんあった。充実感で一杯の私は、その想い出に浸る余裕もなく、その時入ってきた電車に飛び乗ったのであった。(つづく) |
→第13日目 磐田−高塚 |
歩数計 | 32,197歩 |
カロリー | 1,339.4kcal |
距 離 | 19.32km |
時 間 | 8:55〜15:53 |
支 出 | 交通費|3,850円(新幹線は片道分) 飲食費|1,588円 その他|8,885円(宿泊費、施設見学料等) |
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