東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:金谷宿〜日坂宿 |
金谷宿 東海道24番目の宿場です。 金谷宿は、東に大井川、西に金谷坂と小夜の中山峠を控えた宿場であり、それがため旅人は大井川を渡っては‘水祝い’をしたりして、大いに栄えました。 現在は、小さな商店街となっており、本陣跡等の説明版がある以外は、宿場の面影はあまりみられません。 それでも、宿場近くの金谷坂において石畳を復元するなど、積極的な取り組みは行われています。 今来たところへ戻る△ |
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金谷宿本陣跡−佐塚本陣− 金谷宿には天保14年頃には本陣3軒、脇本陣1軒がありました。ここは、その本陣の一つ、佐塚本陣があったところです。 寛永11年に三代将軍徳川家光が上洛の帰途に使ったと言われている大高欄付きの蓮台が保存されているそうです。 今来たところへ戻る△ |
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金谷宿本陣跡−柏屋本陣− 同じく、本陣跡であり、ここは柏屋本陣があったところです。 今来たところへ戻る△ |
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金谷一里塚跡 江戸から53番目に当たる一里塚です。 つまりは、江戸から数えて53里の距離に辺り、現在の距離に換算すると約212キロになります。 今来たところへ戻る△ |
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金谷坂 江戸時代は、東海道の難所として旅人を悩ませた金谷坂ですが、平成3年に町民の手により石畳を復元しました。その距離は430メートルです。 金谷町指定史跡となっています。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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石畳茶屋 旧東海道石畳の入り口にあるお休み処です。 情緒溢れる町屋風数寄屋造りで、囲炉裏のある広間では金谷茶や軽食が味わえるそうです。 今来たところへ戻る△ |
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諏訪原城跡 武田信玄が砦を築き、その息子の武田勝頼が天正元年(1573)に修築した山城跡で、その遺構は九分通り現存しています。 国指定の文化財でもあります。 写真は、諏訪原城跡内において、武田家の守護神でもある諏訪明神が祀られている諏訪神社。 今来たところへ戻る△ |
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菊川坂 金谷坂と同様に石畳の復元が行われている菊川坂です。 まだ整備したてだったのか、とても新しく綺麗でした。そして、この下りの入り口の横にあった休憩スペースがとても嬉しい配慮でしたっ! 今来たところへ戻る△ |
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間の宿・菊川の里 金谷宿と日坂宿の間で栄えていた菊川の里です。 ちょうど両宿の中間にあって、峠越えの厳しさの折りは、間の宿として栄えていました。 源頼朝が泊まったとの記録もあり、鎌倉時代から知られていました。 今来たところへ戻る△ |
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接待茶屋跡 昔、ここに接待茶屋があったところです。 峠を登り切ったところにあり、見晴らしの良いところでした。 今来たところへ戻る△ |
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久延寺 奈良時代の行基が開基と伝えられている名刹です。 徳川家康が慶長6年(1600)、掛川城主山内一豊に命じて観音堂を建立し、その後も毎年代参させたという由緒あるお寺です。 また、夜泣き石伝説にまつわる子育て観音としても有名です。 山門(写真)は、弘化4年(1847)に再建されたものです。 今来たところへ戻る△ |
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夜泣石 久延寺境内にある石です。 夜泣き石と同じ形で「南無阿弥陀仏」と書かれています。 この石は、夜泣き石物語の小石姫を弔うために建てられた供養塔で、はじめ、門前の路傍にありましたが、昭和40年頃境内に移されました。 (夜泣き石物語については、こちらへ) 今来たところへ戻る△ |
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扇屋 久延寺の隣にある、江戸時代創業の峠の茶屋です。 名物は、夜泣き石伝説にちなんだ「子育て飴」です。 昔は、同じような店が数軒あったそうですが、今ではこの店だけになってしまいました。 ここは、飲料の調達、貴重なおみやげ、そしてカメラ落とし事件等色々とお世話になりました! (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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小夜鹿一里塚石碑 江戸から54番目の一里塚です。 「東海道宿村大概帳」によると、当時は街道の両側にあり、「松」と「榎」が植えられており、道幅は三間あったそうです。 今来たところへ戻る△ |
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夜泣石跡 伝説の夜泣き石物語の夜泣き石があったとされる場所にある跡碑です。 その本物の夜泣き石(?)は、国道沿いの小泉屋脇にあるそうです。 今来たところへ戻る△ |
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2002.3.22update
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