東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:掛川宿〜袋井宿
掛川宿の町並み 掛川宿
東海道26番目の宿場です。
掛川城の城下町として栄えました。
平成6年に掛川城天守閣が復元され、周辺部も城下町としての街並みを形成しています。
また、周辺部には、多くの史跡も残されており、歴史を感じることが出来る街なのです。

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天守閣より太鼓櫓(写真中央)と掛川の街並みを望む 太鼓櫓(写真中央建物)
太鼓櫓は、城下に時を知らせる大太鼓をおさめてあった建物です。“報刻の太鼓”は、御殿広間に展示されています。

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天守閣より掛川城御殿を望む 掛川城御殿
現存する御殿は、江戸時代後期の建物で、公的式典の場、城主の公邸、藩の役所としての機能を持った施設です。
現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数少ない貴重なもので、国の重要文化財に指定されています。

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掛川城御殿より掛川城を望む 掛川城
山内一豊が在城10年間に天守閣の建立及び城下町の整備を行い、近世城郭として完成させました。
往時は、東海の名城として讃えられた掛川城でしたが、近年までは城郭御殿と太鼓櫓を残すのみでした。
しかし、平成6年4月、長年の市民の願いが叶い、日本初の本格木造によって、三層四階の天守閣が復元されました。
(→写真館

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二の丸の美術館 二の丸美術館
1998年4月にオープンしました。
文化振興のため寄贈された美術工芸品や近代日本画のコレクションをはじめ、優れた美術品や歴史的な価値のある工芸品などを幅広く展示しています。

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大手門 大手門
天守閣に続いて復元されました。
桜門造りの本格的な櫓門で、掛川城の表玄関にふさわしく重厚で勇壮な趣を醸し出しています。
現在の大手門は、往時よりも50m北に移築されています。

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大日本報徳社 大日本報徳社
道徳と経済の調和実行を説き、農民の救済を図った二宮尊徳(金次郎)の教えを全国に広める「報徳運動」の本社です。
なお、二宮尊徳はここ掛川が生誕地でもあります。

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ケイスベルト・ヘンミィの墓 ケイスベルト・ヘンミィの墓
オランダ使節ケイスベルト・ヘンミィは、今からおよそ200年前、徳川11代将軍に謁見後、長崎への帰路、投宿していた掛川宿で病死しました。死後、市内天然寺に葬られ、かまぼこ型の墓の表面には、オランダ語でその由来が書かれています。
当時、鎖国中だった日本で唯一交易が許されていたのはオランダでした。

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蕗の門(円満寺) 蕗の門(円満寺)
この蕗の門は、かつて掛川城の内堀畔にあり、城外、侍町より、本丸、二の丸、三の丸に通じる要所にありました。軒瓦には、名門、太田家の家紋である桔梗や松平家の九曜星などが使われています。
掛川市の文化財にも指定されています。

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平将門十九首塚 平将門十九首塚
市内十九首東光寺の西にある五輪の塔は、平将門以下19名の首が埋められた場所として伝えられ、武者たちの霊を慰めています。
ちょっと奥まったところにあるため、わかりづらかったです。

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大池一里塚跡 大池一里塚跡
江戸から数えて59番目に当たる一里塚です。今では、左の写真の案内があるのみです。

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善光寺 善光寺
袋井の松並木の近くにあるお寺です。
寺中にある阿弥陀仏は、坂上田村麻呂の守本尊であったと言われています。
距離的にちょうど東海道の真ん中にあり、仲道寺とも呼ばれています。

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袋井の松並木 袋井の松並木
袋井宿と掛川宿の間にある松並木です。
上の善光寺のちょっと先にあった松並木は、どこか特殊な空気が感じられるところでした。
その時感じた様は、放浪日記12日目を見てください。
(→写真館

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富士浅間宮の赤鳥居 富士浅間宮の赤鳥居
東海道沿いにある大鳥居です。この門から北にずっと行くと富士浅間宮があります。富士浅間宮は国の重要文化財に指定されています。

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片葉の葦(あし) 片葉の葦(あし)
遠州七不思議の一つである「片葉の葦」は、遠州の海岸地方一帯に散在。それぞれにまつわる片思い伝説があり、一途な片思いが片葉となって現れるようになったと言われています。
妙日寺の境内にありました。

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久津部一里塚跡 久津部一里塚跡
江戸からちょうど60番目に当たる一里塚です。明治時代までは、老松が立っていたそうです。
南側の塚は、袋井東小学校敷地内に同校開校百周年を記念して昭和47年に復元され、一里塚碑が建てられています。

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用行義塾跡 用行義塾跡
学制が発布される前の明治5年に、民間の有志が共同出資して設立したのが用行義塾です。袋井で最初の近大教育を行う「郷学校」と言われた学校でした。

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2002.3.30update


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