歴史探訪|小田原−熱海
小田原駅跡石碑
明治29年(1896)3月に、熱海方面への陸上輸送路として豆相人車鉄道が開設された時、現在の小田原駅から南の現・国道1号線沿いの早川口が小田原駅となりました。
当時は、駅らしい建物がありませんでしたが、駅の周りに多くの店が並んで活気に満ちていました。
この石碑は、平成8年(1996)に建てられました。
石橋山古戦場石碑
平安時代末の治承4年(1180)8月、平家討伐の旗挙げをした源頼朝主従3百余騎が、平家側の大庭景親以下武蔵、相模の軍勢3千余騎との激闘を繰り広げたところです。
頼朝は、この戦いで敗れて安房国へ逃れました。
佐奈田霊社
石橋山の戦いで討ち死にした佐奈田(真田)与一義忠を祀っています。この霊社は、ぜんそく、せき、のど、など咽喉の病に特効があるという、日本唯一の祈願所です。
境内には、与一塚などもあります。
潮音寺
海に近く波の音を聞くことができたので、このような風流な名がついたと言われています。
実際に本堂まで足を運びませんでしたが、高台に位置しているようなので、相模湾が一望出来そうですね。
伊豆山神社
鎌倉時代以前より、多くの僧兵を持して、伊豆・相模国をはじめとして周辺に権威を誇っていました。源頼朝が伊豆に配流されていた時に、北条政子との忍び逢いの場だったと言われています。その後、幕府を開いた頼朝は、戦勝を祝い、以来鎌倉歴代将軍の信奉厚く、関東の総鎮守として、戦勝祈願の杜となりました。
伊豆山郷土資料館
重要文化財などを展示している郷土資料館です。本殿の右手奥にひっそりと建てられています。
頼朝一周忌に、頼朝夫人・政子が自らの髪の毛を刺繍して作った頭髪曼荼羅が見事でした(ただし、展示されているのは複製です)。
開館時間:9:00〜16:00
休館日:月曜日、12月28日〜1月4日
入館料:大人150円、高校・大学生:100円、小・中学生:50円
逢初橋(あいぞめばし)
治承2年(1178)山木判官兼隆との縁談を嫌った北条政子は、婚礼夜、頼朝を慕い宴席を抜け出し足川に隠れ住みました。その知らせを聞いた頼朝が政子と劇的な対面をした場所と言われています。
秋戸郷跡
石橋山の戦いで敗れた頼朝は、安房国へ逃れました。この間、北条政子は、平家の手から逃れるために、秋戸郷で隠れていました。
約2ヶ月後、政子は鎌倉に入った頼朝と再会したとのことです。
お宮の松
尾崎紅葉の小説「金色夜叉」の舞台となり、貫一とお宮が散歩したのが、熱海の海岸でした。その小説ゆかりの地のシンボルとして、松が植えられています。この松は、2代目です。
松の隣には、「貫一とお宮の像」が建てられています。
豆相人車鉄道記念碑
かつて豆相人車鉄道の終着駅・熱海駅があった場所に、記念碑と、熱海駅舎跡と書かれた豆相人車鉄道のあらましが書かれた説明版が建てられています。
この記念碑が建てられている場所には、現在南明ホテルが建てられており、ホテルのロビーには、人車に関する展示コーナーが設けられているそうです(未確認)。
更新日:平成21年(2009)08月30日
公開日:平成17年(2005)02月05日
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