#天王町−海老名 平成25年(2013)1月26日(土)天気:晴れ(少々寒い)
Tweetプロローグ
天王町駅前の帷子川橋跡 |
寝坊した。この日、歩こうとしていた保土ヶ谷道は約25km……今からだと途中で日が暮れてしまうかもしれない。しかし、最近長距離を歩いていないので、がんばってみようと急いで準備をして自宅を出る。
その後、電車の乗り継ぎがよく天王町駅へ到着。駅前にある帷子川橋跡を見つつ、保土ヶ谷駅方面に少しだけ旧東海道を歩き、大門通り交差点へ。
大門通り交差点からスタート
万歩計をリセットしてスタート(9:25)。資料によっては芝追分を起点としているものもあるが、そちらは以前「絹の道(八王子道)」で歩いているので、別資料を参考に、こちらからスタートする。
歩き始めてすぐ右手に歴史のありそうな豆腐店。これから先の街道の歴史を予感させる素敵なお店だ。その先、ビジネスパーク手前交差点に小さな社があり、中に庚申塔が鎮座している。「古東海道」と書かれた石碑もあり、往時の面影の一端に触れることができる。
庚申塔たち |
石碑と庚申塔が鎮座する社 |
神明社の絵馬が変わっている
その先に神明社。立派な参道が続いているが、街道歩きを優先させて、横から失礼して境内へ。衝撃だったのは、ここの安産祈願の絵馬がアワビの貝殻を使っていること!
神明社。後ろは横浜ビジネスパーク |
神明社の絵馬には、アワビの貝殻も |
レトロな建物を発見
レトロな建物。大正時代築だ |
ビジネスパークを横目に、軽快に歩みを進める。和田町駅前を過ぎ、朝から車通りのある道を進み、蔵王神社前交差点を左折すると、道は一気に上り坂にさしかかる。
登り始めてすぐに馬頭観世音の碑があり、その先に交差点名になっている蔵王神社。さらに道を登ると、右手にレトロな建物を発見。川島町旧配水計量室上屋で、大正3(1915)年築の国登録有形文化財だ。
西谷浄水場
西谷浄水場。ここはリベンジせねば |
さらに急な上り坂が続く。ここで暮らしている人は大変だ。
息も絶え絶えになりながら、ようやく登りきったところで振り返ると、逆光気味だがランドマークタワーをはじめとするみなとみらいのビル群がよく見える。道の右手には西谷浄水場。水道記念館で横浜水道の歴史を学ぼうと思ったが、今朝の寝坊が気になり、ここはまた来ようと先を急ぐことに。
保土ヶ谷道を歩き始めて初めて大山を見る
県営マンションの間から大山が見えた! |
西谷浄水場を後にして、裏道へ。ここではじめて、県営マンションの間から大山を確認できた。おそらく、往時は現在ほど建物がなかったため、もっと頻繁に山を見ることができただろうが、現代では阻害するものが多くめったに見れないのだ。それだけに、妙な感動があった。
その先、環2下をくぐり、保土ヶ谷高校横を通過した後、住宅地の中をゆくと、ここでも、前方に大山が見える。おそらく昔の人もこうやって大山を眺めていただろう。
素朴な雰囲気を持つ三反田集落
T字路を右折。このあたり・三反田は素朴な田舎の中心地(酒屋が1軒)。道標も残る。
その先の稲荷神社横の小さな社。猫が前足をかけてニャーニャーと願い事をしているように見えた。稲荷神社には、道標を兼ねた庚申塔がある。
三反田の町並み |
羽黒三山供養塔 |
ネコが願い事をしていた!! |
道標を兼ねた庚申塔(稲荷神社内) |
街道路傍にたたずむ供養塔
六十六部供養塔と大ケヤキ |
竹やぶや立派な長屋門がある風景に癒されつつ、その先に六十六部供養塔と横浜市の名木古木に指定されているケヤキがある。幾多の街道を往来する人々を見守り続けたのだろう。私もその往来する旅人の一人である。
交番前に旧厚木街道の案内標識
旧厚木街道の文字が |
しばらく道なりに進むと、新幹線を渡る。さらに道なりに進むと厚木街道と言われる道に合流。神奈川県民にはなじみのある人が多い二俣川だ。駅前のスーパーでトイレ借用。
そのスーパー前にある交番前に「旧厚木街道」の標識を発見。
二ツ橋神社内には石造物などが
庚申塔 |
二俣川を抜け、尾根道をゆく。このあたりは住宅地と化しており、往時の面影はない。さらに道が幾重にも別れており、事前に調べていなければ迷っていただろう(予習した甲斐がありました)。
道なりに進み、三ツ境駅へ。線路を渡り「厚木街道」と名付けられた道をゆく。
途中二ツ橋神社に寄り道。本殿の裏手には石造物がたくさん。意外に歴史が残っている。
中原街道、鎌倉街道と重なる区間をゆく
鎌倉街道と保土ヶ谷道の重なる区間風景 |
二ツ橋交差点を右折し、中原街道にぶつかる。300mほど中原街道をかぶる区間を歩き、ふたたび「厚木街道」と名付けられた道をゆく。
しばらく裏道を進み、西福寺の先で今度は旧鎌倉街道と一部かぶる。厚木街道を横断した先に道祖神があるとのことだが、発見できず。その後、旧鎌倉街道とわかれ、西方面へ。
厚木飛行場近くから大山・丹沢山塊を望む
境川にぶつかり、川を渡ると大和市。小田急線を渡り、道なりに進むと厚木飛行場にぶつかる。ここで、街道は分断されているので、ぐるっと迂回することに。
飛行場近くには高い建物がなく、大山をはじめ、丹沢山系が一望できる。その後、しばらく飛行場横を歩きつつ、綾瀬市へ。
正面に大山・丹沢山系。左は厚木飛行場
正面にシンボリックな大山を望む
正面に大山を望む |
ダイエー前の小公園で休憩。今日の終着点も近づいてきたので、最後の英気を養う。
交差点にかかる歩道橋にあがってみると、大山が目の前にせまって見える。大山という山は、丹沢・大山山系の中では手前(東側)にあるので、その山の形の良さも含めて、その昔からシンボリックな山として崇められたのはうなずける。
道は寺尾地区へ。工場が増えてくる。その工場地帯を抜けると小園地区。住宅団地が広がっている。
小園子之社
小園子之社 |
しばらく寺社や道祖神などに出会わずに歩く。住宅や工場などが整備されて、なくなってしまったのだろうか。
そうした状況で出会った小園団地のはずれにある小園子之社は、社はこぢんまりとしているが、境内は広く、おごそかな雰囲気を漂わせている。大変良い感じだ。
境内にある庚申塔などをゆっくり拝見しつつ、神社を後に。いよいよ大山街道青山通りとの合流地点も近い。
目久尻川を渡って海老名市へ
目久尻川 |
子之社を後に、道なりに進むと目久尻川にぶつかる。
川にかかる橋の横に河童の像がある。そこにあった説明板を読んでみると、目久尻川の由来が「悪さをする河童の目をえぐり取る」から来ていたことにビックリ!
保土ヶ谷道踏破!
青山通りとの合流地点 |
目久尻川を渡ると海老名市に入る。道なりに進むと、赤坂見附から続いてきた大山街道青山通りとの合流地点、すなわち本日の終着点に到着。保土ヶ谷道を踏破したのだ(15:25)。
この、いわゆる追分地点には、特段目印になるものはない。しかし、個人的には、朝の寝坊を考えると、想像以上に早く踏破することができて大満足なのである。
しかし、少し早歩きしたためか、足が痛い……。
エピローグ
相模国分寺跡より大山・丹沢山系を望む |
無事踏破したので、帰宅の途につくべく、このまま最寄りの海老名駅に向かうのだが、せっかくなので相模国分寺跡と海老名市温古館を見にいく。
温古館は以前建てられていた場所から少しだけ移動しているが、そのレトロ調の雰囲気が残っていてほっと一安心。
海老名中心は相変わらず車が渋滞。そんな大勢の人の間を縫うように歩き、駅に到着。
今回の保土ヶ谷道、思っていたより良い街道だった。今度は、どこの大山街道を歩こうかな。
→東海道放浪記TOPページ へ
更新日:平成25年(2013)04月29日
公開日:平成25年(2013)04月29日
トップページ>脇街道>大山街道を歩く>保土ヶ谷道を歩く:天王町−海老名
Copyright©2001- Takayoshi Nagano. All Rights Reserved