#第8日目|日野春−すずらんの里 平成15年(2003)11月22日(土) 天気:晴(風強し)
■大風吹く中第8日目スタート! ビュ〜〜〜〜〜〜〜っ |
この日野春駅、旧甲州街道からはかなり外れた所に位置しているため、まずは旧街道に復帰するまでのんびりと足慣らし。あまりの寒さに身体を縮めつつ歩いていたが、まだまだ見頃の色づいた木々が目に飛び込んでくるやいなや、「う〜ん、いい感じ」とあっという間にマイナス思考もプラスに変わる、いつもながら単純な男である。 |
■立派な舞鶴の松 25分ほど歩いて旧甲州街道(国道)に復帰。さっそく本格的なスタートだ(9:50)。しかし風が強いことには変わりはない。しかも、国道沿いは走り去る車の風も受けるため、ダメージ倍増だ。大武川橋を渡り、下三吹のバス停が見えたところで国道を逸れて左折する。裏道に入り、落ち着いた街並みを目にするとやはりホッとする。しかし、いきなり上り坂だぞー。 |
話はさかのぼるが、旧甲州街道(国道)に合流したあたりから、リュックを背負ったジャージ姿の女性が前方を歩いている。最初は地元の人かと思っていたのだが、先ほどの下三吹バス停を迷いもなく曲がった時点で「これは甲州街道を歩いている人だ」と思った。しかし、その女性はかなり歩くのが早く、私がのんびりと歩いているうちに、あっという間にその姿が見えなくなってしまった。 |
しかも私はと言えば、久しぶりの歩きで感がにぶっているためか、いまいち地図を見て現在地の把握ができない。そこへ、前方から地元のおばあさんがやってきたので道を問うてみたところ、親切に教えてくれた。そして、その教えられた通りに進んでいく。到着したのは万休院という寺院。ここには『舞鶴の松』という立派な松があるということで、さっそく見に来てみたのだ。噂に違わず、かなり立派な松だった。 |
■人で溢れかえる台ヶ原宿 万休院を後にして、再び街道に復帰。しばらく裏道を歩く。風が強く、歩くのに一苦労だが、右手に見える七里岩と色づいた木々が織りなす素敵な景観に助けられて先に進む。上三吹地区で国道20号を横切りそのまま裏道を歩く。この地区は、地主が多いのか大きい家が多く並んでいる。神明神社を過ぎて少し行った道の右側に『一里塚石碑』を発見。石碑には「甲府より七里なので七里塚」と書いてある。 |
そのままのんびりと歩いていると、急に前方が賑やかになってくる。何事かと思いきや、銘酒「七賢」で有名な『北原家』周辺の施設を訪問しに来ている観光客らしい。これまでの静けさがウソのように、活気があるところだ。まぁ、活気があるというと聞こえが良いが、その実はここを目的に訪れた観光客がわんさかいるだけだ。外観を写真に収めた後、せっかくなので内部を見学していくことに。ところが、内部も人・人・人で適当にプラッとみて出てきてしまった。北原家の向かいには大吟醸粕てら(カステラ)で有名な『金精軒』があるが、こちらも観光客で大賑わいだったので、結局買わずに退散。この連休中に骨董市が開かれていたためいつも以上に観光客が多かったというのは、自宅に帰ってきてから知ったことだった。 |
■信玄の重臣・馬場信房を偲ぶ この北原家・金精軒付近から少し離れると、今までの賑わいがウソのようにひっそりとした街並みを堪能できる。もっと「点」だけではなく「線」としての観光もするとまた違った風景が味わえるのにと思ってしまう。かつて質屋だったという『高木氏宅』、今も現役の旅籠『つるや』など立派な建物が見られる。 |
■道の駅で昼食 再び街道復帰。そこから少し歩いて今度は左折。街道から少し外れたところの国道20号沿いに、先ほどの信房の邸宅跡があったらしいので、今は当然ないだろうと思ったが、一応訪れることにした。そして、当然の如く邸宅は何もない代わりに、なんと『道の駅はくしゅう』とスーパー・SPARがどーんと建てられていた。あまりの変化に呆然としつつも、ちょうどお昼前でお腹が空いたので、ここで早めのお昼を済ませることに。 |
■色づく景色を眺めながら道をゆく 道はゆるゆると下りそして上りながら、雰囲気の良い道をゆく。住宅団地の近くのグランド内に『白須松原の址碑』『宗良親王歌碑』がある。この辺りは、かつては4キロに渡って松林が続いていたようだが、昭和10年代に都合により刈られてしまったそうだ。しかし「都合」ってなんだ??? |
この辺りはかつての『教来石宿』だったところだ。往時の面影はあまり見られないが、国道左側には、明治天皇御小休所址と書かれたかつての『本陣跡石碑』がある。その後、車の往来の激しい国道沿いをゆくと、ほどなくして郵便局が見えてくるので、そこを右折。 |
■いつか見た景色が現実に・・ 両側に山が迫り、かなり奥に来たことを実感できる細い道をゆく。途中、少し坂を上ったところで左折。国道沿いに『山口素堂生誕の地碑』がある。再び旧街道に復帰し、テクテク歩いていると、見えてきたのは『山口番所跡』。そろそろ国境が近い証拠だ。甲州街道を歩き始める前、「日本の街道」という週刊誌で見た写真が今目の前にある。東海道を歩いていた時の「逢坂の関」に出会った時の感覚と似ている(→東海道26日目参照)。そして、「遠くまで来たのだな〜」とあらためて実感。 |
そのまま前方が開けた道をゆくと、国道との合流地点にコンビニがあるので、飲食料を調達する。コンビニの駐車場内には、先ほどの山口素堂の歌碑がある。ここまで車で来ている人にはなんでこんなところに石碑が?・・という状態だろう。ここまで、この放浪日記を読んで下さった方は、すでにご存じでしょう。甲州街道をこうして歩いていると勉強にもなるのだ。 |
坂の途中には『日蓮上人の高座石』。さらに坂を登りきり、細い道をのんびりゆくと右手に立派な杉木に囲まれた『真福寺』。真福寺を過ぎると、山あいの落ち着いた集落が拡がった景色に出会える。こういうなにげない風景が甲州街道の魅力なんだよなぁ。途中『応安の古碑』等の石碑を右手に、道はゆっくりと下り坂に。左手には、国道20号と国道に隣接した道の駅蔦木宿が見える。ここには、立ち寄り湯があるそうだが、今回は回避。下りきったところの集落を歩いていると、道は『枡形』になっており左に曲がる。それを説明した説明石碑もある。 |
国道に合流した周辺から『蔦木宿』。鉄道沿いから外れているためか、全体的にひっそりとしているが、ところどころに連子格子やなまこ壁等、往時の面影を感じられるような家々が見られる。『三光寺』というお寺を右手に見つつ、その先には『本陣跡』。門があるが、住民の強い要望により復元されたもの。個人的には、石碑のみよりも嬉しい配慮だ。 |
■振り返ると富士山が! 途中、道の左手に一里塚があったようだが結局発見できず。その一里塚があるらしきところに右に入る上り坂があるので、右折する。ここでなにげに後ろを振り返ってみると山の稜線の向こうに「富士山見える〜〜〜〜!」 |
その道はぐーっとカーブしており、そのままT字路にぶつかるので右折。ここから一気に坂がきつくなってくるので要注意。諏訪神社やしらかば園等の施設を横目に日が沈みかけているため薄暗くなった道を歩いていると、道は若干下りかかるも再び上り坂に。落ち着いた集落を抜け、何もない道をテクテク歩き、なにげに振り返ってみると、「ここでも富士山見えるやん〜」今日は富士山がたくさん見れて嬉しいなぁ。 |
右手には、太陽の光を浴びた八ヶ岳がまぶしいくらいに輝いている。しかし、歩いているところは、山に隠れてすでに日は当たらなくなっている。そのため寒さも倍増だ。冒頭書いて以来述べていなかったが、風は相変わらず冷たく吹いていたのも大きく影響した。その後、ぐるっと廻ってようやく街道に復帰。復帰したところにあった『富士見公園』(かつての原の茶屋)で、トイレを拝借しようとしたのだが、鍵がかかっている!!!公共のトイレなのに・・・。仕方がないので、先を急ぐことに。 |
■無事第8日目終了 富士見公園を過ぎた後、これまでと同様に裏道が続く。既に日が射さなくなった道は、暗く寒々しいが、何故か心は軽やかで思わず鼻歌をフンフンと(ホントはトイレに行きたいのに)。そんな時に限って、庭で手入れをしているおじさんが居たりする。ちょっと恥ずかしいけど、一時の出会い(?)だし、まぁいいか。カゴメの工場を右手に裏道を歩き続け、久しぶりの国道に合流。 |
神社に立ち寄った私は、今度は国道をまたいですずらんの里駅に向かった。すずらんの里とは可愛らしい駅名だが、その実は'すずらん'などどこにも見られず、近くの大手精密機器企業が、地元の利便のため昭和60年に開設した駅だそうだ。ただし、「どこにも見られず」というのは正確に言うと誤りで、街灯がすずらんの形をしてるという粋な計らいがあるのだ。 |
→第9日目 すずらんの里−下諏訪 |
歩数計 | 40,008歩 |
カロリー | 1,685.7kcal |
距 離 | 24.01km |
時 間 | 9:25〜16:36 |
支 出 | 交通費|4,330円 飲食費|1,398円 その他|0円 |
2004.2.15update
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