美濃路を歩く / 放浪日記

 #第1日目|熱田−萩原 平成14年(2002)1月12日(土)


2002年10月12日(土)美濃路第1日目:熱田−荻原 天気:晴れ(夏日)

■つかの間の街道歩きの旅立ち〜美濃路

3日間の放浪の出発点・熱田駅
【JR熱田駅に降り立つ】
 10月の3連休・・天気が良さそうだと知った私は、色々悩んだ末に、歩き始めた甲州街道を一時離れ、つかの間の別の街道歩きを実行することにした。その街道とは、美濃路。
 美濃路とは、東海道の『宮宿』近くの分岐点から、中山道の垂井宿近くの追分までの約14里24町15間(約57キロ)の脇街道のことである。いつか歩こうと事前に資料を入手していたことから、さっそく新幹線のチケやホテルなどを手配して、いつもの持ち物をカバンに詰め込んで旅立った。
 朝早く家を出た私は、満員の新幹線で一路名古屋に向かい、名古屋で在来線に乗り換え、熱田駅に降り立った。本来ならば、スタート地点となる場所は名鉄・神宮前駅の方が近いのであるが、電車代をケチったのである。もちろん、足慣らしの意味も含めて少し遠いところから歩こうと思ったのである<これはこじつけ(笑)


■旅の安全祈願>熱田神宮へ
熱田神宮で旅の安全祈願
【熱田神宮で旅の安全祈願】
 8:32JR熱田駅を出発した私は、まずは南に向かって歩き出した。ほどなくして神宮前駅に到着。そこからまずは道中の無事を願うべく『熱田神宮』へお参りに。ここへ来るのは、東海道を歩いた2001年12月以来だ。前回よりも朝早いことから、あまり人の姿は見られないものの、境内を掃除している方を多く見かけた。その姿に思わず頭を下げてしまう。
 旅の安全祈願も済んだので、さっそく「美濃路」のスタート地点に向かった。神宮からその地点に向かう途中、東海道を歩いた時に見た懐かしの景色が次々と視界に入ってくる。何も変わってないなぁ〜。


■いよいよ美濃路スタート!
東海道との分岐点から美濃路を望む右から来て手前に続く道が東海道
【東海道との分岐点】
 そして、大通りを歩道橋を使って向こう側へ渡り、ついに東海道と美濃路そして佐屋街道との分岐点へ到着。道路脇には、それを示した『道標』もある。ここは、その3路が交わるところで東から来た東海道は、南に下るとそのまま宮の渡しへ、北に向かうと美濃路・佐屋街道となる。
 前回はここを南に下ったが、今回は逆の北へ向かうのだ。さっそく万歩計をリセットして美濃路歩きが始まった。時間にして8:55であった。
これから先歩く道を歩道橋より望む。右手の緑山は熱田神宮の杜
【歩道橋から美濃路を望む】
 まずは、今来た道を逆戻りする。そして、再び大通りを歩道橋を使って向こう側に。そして、今度は熱田神宮を右手に北上開始。この先どうなるかわからないので、再び熱田神宮に立ち寄ってトイレを借用。そして、再び歩き出す。途中『白鳥御陵』、『源頼朝の生誕地』などの石標を見つつ、道は続く。しばらく歩くと、左手に緑の公園が見えてきた。地図を見ると『断夫山古墳』があるらしい。古墳らしい小山を見つけたが、とても写真に収めきれそうにないので、適当なところで一枚。


■佐屋街道との分岐点を過ぎる
佐屋街道との分岐点
【佐屋街道との分岐】
 さらに歩いていると、徐々に都会の中に自分がいることに気づく。どうやら金山総合駅が近づいてきたようだ。ということは、佐屋街道との分岐点もそろそろだ。道標を見逃さないよう周辺を見つつ歩いていると、大きな交差点の脇にその『道標』はあった・・・が、放置自転車に埋もれていた・・おいおい・・・。とりあえず自転車が写らないよう写真に収め、交差点の向こう側に。佐屋街道はここを左折するのであるが、美濃路はそのまままっすぐである。JR・名鉄の鉄道上を跨ぎ、最初の一里塚跡があるという地点へ到着。周辺部を探してみたが結局道標など目印となるものは見つからず、がっかりして先を目指す。


■真宗大谷派名古屋別院へ
真言大谷派名古屋別院〜写真じゃわかりづらいですが、めっちゃでかかったーっ
【真宗大谷派名古屋別院】
 それからテクテク歩くこと1キロ強・・前方に高速道路が見えてきた。高速道路下を通過後、いったん美濃路を外れて『真宗大谷派名古屋別院(東別院)』を見に行く。と言いつつ、お寺がメインではなく、その敷地内にある古渡城跡(石碑)がメインだったり・・。
 ところが、お寺を見て驚いた。めっちゃでかいやーん!
 なんと江戸時代の創建当時は名古屋城と肩を並べるほどの建物だったという。現在の建物は再建されたものである。
一本大通りから外れると、こういった昔ながらの家屋が点在しています<これは酒屋さんかな?
【歴史のありそうな酒屋】
 お寺も『古渡城跡石碑』も見終え(城跡石碑はひっそりと脇に追いやられていた・・)、先を目指す。道は、国道から一本外れ少し裏道的な通りへ。歩道もある道自体は広いものの、車の通行はあまりなく、かつ昔ながらの家屋も所々に見られる。


■人で溢れかえる大須観音
大須観音
【大須観音】
 さらに歩いていると、街道脇に妙に仏具屋や目に付くようになってきた。ん〜なんだろ・・と思いつつも先に進むと、朝早くからずいぶんとにぎやかな商店街にぶつかった。地図を見てみると、大須商店街とあり、近くに大須観音という有名なところがあるらしい。さっそく見に行くも、その途中の道はえらい人混み・・しかも外国人がかなりの割合を占めている・・これは何故?
そうこうしてるうちに『大須観音』に到着。とりあえず道中の無事をお祈りして大須観音を後にして、再び美濃路に復帰して歩き始める。


■都会と化した名古屋宿
交差点でふと右手を見てみると、テレビ塔らしきものが見えました
【名古屋の中心部】
 さらに歩き続けると、街道沿いの建物が、いわゆる住居ではなくなり、オフィスビル等が目につきはじめた。どうやらかつての『名古屋宿』の中心部であり、現在の3大都市圏の一つ名古屋の中心部でもあるところに近づいてきたようだ。そうこうしてるうちに伝馬町通り交差点にさしかかる。美濃路はここを左折している。


■事件発生!!!
 と、ここで大事件が発生したっ!
問題の高札場跡!
【事件発生現場〜高札場跡】
 この交差点にはかつて高札場があったと地図に書いてあったので、周辺部を探してみたが結局見つからなかったので、『高札場があったとされる場所』を写真に収めて歩き出そうとしたところ、突然後ろから声がかかった。「ちょっとすみません。今写真撮りましたよね」そういうやいなや、その人達は警察手帳を見せてきた。ん?なんだ?・・突然のことでかなり驚いたが、別に悪いことはしてないのでとりあえず話を聞いてみると、テロ事件の関係で周辺部を巡回してるのだそうだ。それは別にかまわないのだが、その後身分証明を見せろと言って免許証を渡した後から長かった・・。どこに連絡してるのかわからなかったが、ずいぶんと待たされて予定がだいぶ狂ってしまった。後半は、相手が警察だろうと関係なく、かなり不機嫌そうに私が話しをしていたので、向こうもあまり詮索しなくなった。街道歩きをしてるという目的もはっきりしていたのもあったし。結局30分近くつぶされてようやく解放された。(この時はめちゃくちゃ腹が立っていたが、この日の夜にバリ島でテロ事件が起きたことを知って、気持ちはだいぶ収まった。日本にもテロ事件が起こる可能性があることをあらためて認識したのだった・・。)

 気を取り直して先を目指す。だいぶ時間をロスしてしまった。と、気持ち急ぎ足で歩いていると、大通りにぶつかった。ふと右手を見ると歩道橋があるので、渡ろうと歩き始めようとした時、「すみません」また声がかかった。さっきのこともあってちょっとビクッとしたが、声をかえてきたのはちょっと片言っぽい日本語を話す女性だった。「○○ホテルにどうやって行けますか?」とっさのことで思わず答えに窮してしまったが、結局地元の人間ではないとすげない返事をしてしまった。さっきの今の出来事だったので申し訳ない・・。もっとも、そのホテルも知らなかったけど。


■心安らぐ通りへ〜四間道
四間道〜こんなところに昔ながらの落ち着いた街並みがありました
【四間道】
 ちょっとへこみ気味のまま歩道橋を使って道路を渡る。その後、川を渡り交差点を美濃路は右へ。すぐに大通りにぶつかり、そのまま直進。ようやくホッと一息つける落ち着いた道に巡り会えた。美濃路の一本裏には『四間道』という昔ながらの道があるという。さっそくそちらを歩いてみることにする。おおっ〜かなり良い感じの道ではないですかっ!写真館)さっきまでのどん底から一気に復活!<単純
 その気持ちを持続したままさらに先を目指す。


■名古屋城へ到着・・のはずが・・
お堀の先には名古屋城の天守閣がひょっこりと!
【名古屋城・・を遠くから眺める】
 気持ち的に復活してきたと同時に、ゆとりも出てきたのか急にお腹が空いてきた。どこかにコンビニでもないかな〜と思ってるところへ、運良くコンビニ発見。さっそく色々買い込んで次はどこで食べようかと悩む。そういえば、と近くに名古屋城があると気づき、即決定!善は急げ、美濃路を離れ一路名古屋城へレッツラゴー!
ほどなくして『名古屋城』に到着・・のはずが、城ではなくその城を囲んでいるお堀に到着。しかも最悪なことにお堀をまたいでお城へ続く道がまったくないではないかっ(涙)周辺を見渡して見ても、永遠とお堀が続いている・・・めっちゃ日差しが強いことも手伝ってかなりガックリ・・。なんか「城を攻めてる武士の気持ち」がよくわかった気がした。
 こうしていても仕方がないので、お堀沿いに北上することにした。しかし、かなり日差しが強くなっている・・まるで夏のような暑さだ。そして、北上を続けるも、結局お城に行く道がないことが判明してもうあかんと、近くにあったベンチに座り込む(ここから見た景色はこちら)。しかし、いつまでもここにいるわけにはいかないので、名古屋城はあきらめて、とりあえず街道に復帰しようと再び立ち上がり歩き始める。


■ネコとたわむれる
黒いネコに癒されました(^^)
【黒ネコとたわむれる】
 とりあえず自分の勘を頼りに街道復帰を目指す。と、そんな時に小さな公園を発見。いい加減休みたかったので、ここで昼食兼休憩をしていくことにした。ベンチに座り込むやいなや、ふぅ〜ほっと一息である。ついでに水道で顔や手を洗う・・気持ちいいぃ〜。
 しばらく休憩していたらどこからともなく黒いニャー(ネコ)が現れ、近くをうろついてくるので写真をパシャパシャ撮りまくった。ここまでなついてくれるネコは珍しいなぁ〜なんか無性に可愛かったので余計に休憩時間が長くなってしまった。しかし、今日は先が長いので後ろ髪引かれつつ公園を後にする。ネコよ・・達者でなぁ〜。


■美濃路復帰
街道歩きをしている人間にとっては、とても嬉しい地元の取り組みです♪
【地元の嬉しい取り組みです】
 ようやく美濃路に復帰(写真左)。道はいつしか西に向かい始めている。途中、宮宿より二番目の『江川一里塚跡』(説明板のみ)、立場があったという『白山神社』などを横目に先を急ぐ。


■雰囲気の良い街並み
よさげな街並み
【昔ながらの家並み】
 しばらく歩くと庄内川にぶつかった。昔の街道部分の橋はないので近くの橋で向こう岸へ渡る。橋を渡った後、渡ったすぐのところにある『市場モニュメント』なる怪しい石像を横目に、先を目指す。この辺りから『昔ながらの家並み』がところどころで見られるようになってくる(写真館)。美濃路、ちょっと見くびりすぎていたようだ・・かなりよさげな街並みが続いてもう先ほどの事件のことはどっかに去ってしまったようだ。



■そろそろ清洲城か?
五条橋
【五条橋】
 先ほどから所々に説明板や案内板など、「美濃路」の文字が見られる。どうやら「美濃路まちづくり推進協議会」なるものが立ち上がっているようで、街道歩きをする者にとっては嬉しい取り組みである。
 いくつかの寺社や説明板などを横目にひたすら先を目指す。すると、前方に川と橋が見えてきた。地図を見てみると『五条橋』であった。すると、清洲城がある・・とちょっと見回してみると、清洲城のてっぺんが見えた。とりあえず、お城を目指すべく橋を後にする。


■清洲城を見学
清洲城に到着!
【清洲城】
 お城が近いと言うことは、このあたりは『清洲宿』の中心部が近い。街道筋には、ほとんど遺構が残っていないが、かつての『本陣の門』が残っており、よくぞ残っていてくれたという感じだ。そこから少し歩いた後、美濃路を離れてお城に向かった。鉄道沿いの道を歩くこと数分、『清洲城』に到着(写真館)。
 今年の夏に訪れようと思っていたが断念したことがよみがえる。リベンジ達成だ!
 さっそく写真をパシャパシャ撮る。デジカメを使うようになってから、湯水のように写真を撮る癖がついてしまった。失敗してもやり直しが利くのがデジカメの良いところだ。とりあえず思う存分撮ったので、とりあえず城内部を見学することに。
清洲城天守閣より下界を望む〜遠く霞んじゃってるけど、空気が澄んでるともっときれいなんだろうなぁ〜
【清洲城より名古屋方面を望む】
 入り口で入場料(300円)を払って中を見学する。まぁ、展示物に関しては、清洲城をとりまく歴史がふんだんに盛り込まれており、勉強をするには良いところだろう。そして、天守閣のてっぺんに着くと、四方がぐるーっと見渡せるようになっていた。絶景かな〜♪
 満足したところで天守閣を出て、近くのベンチで軽く休憩。すでに15時を越えている。この先はもっと急がないと目標の場所までたどり着く前に暗くなってしまうかも・・。その気持ちが私を急がせた。しかし、休憩だけは十分に取り、体力も回復したので再び歩き始めることにした。


■黄金色の景色を見つつ
稲穂がきれいな黄金色に輝いていました〜
【稲穂の広がる平野】
 先ほど分かれたところで美濃路に復帰し、道は北へ。いくつかのお寺や道標を横目にT字路を左へ。踏切を渡ると田んぼが拡がったところへ。西日に当たった稲が良い色に輝いていたのでとりあえず写真を撮る。
 しかし、この近くにあるはずの「長束正家邸跡」がわからない・・・結局うろついてみたが見つからないので先を急ぐ。早くしないと日が沈んでしまう。途中、大きな見所がないまま、先を急ぐ形になる。
稲葉一里塚跡
【稲葉一里塚跡】
 ふと気づくと、周辺の田んぼがいつの間にか姿を消し、徐々に町中へと入ってきたようだ。そして『稲葉一里塚跡表示板』を見た時、ようやく『稲葉宿』に入ったことに気づく。すでに時間は17時前・・太陽も沈みかけている。ここからだと、ちょっと街道から外れれば名鉄の国府宮駅がある。しかし、私は少し迷った末にもう一つ先の宿場まで歩くことにした。明日以降の負担を少しでも軽くしようと思ったからであった。(ところが、後にこれが失敗の選択であることに気づくことに・・。)


■夕暮れ時〜稲葉宿をゆく
夕焼けの中の稲葉宿の街並み
【夕暮れの稲葉宿をゆく】
 そうと決まれば、後は前だけを見るしかない。まずは稲葉宿の街並みを堪能することにした。稲葉宿は、割と昔ながらの建物が残っているところのように見えた(逆光でわかりづらいです)。『本陣跡』、『問屋場跡』などの石碑もかなり立派なものがある。急いで通過するのはもったいなかったかな〜と思いつつも先を急ぐ。
つひに太陽は沈んでしまいました・・・
【日が沈みゆく・・】
徐々に宿場の中心部から外れ、車通りも少なくなってくる。宿場を抜けた後、特段見所がないまま歩き続ける。この辺りから微妙にかつての美濃路街道がなくなっている。とりあえず、持っている地図のみを頼りになんとか次の街道が続いているところにたどり着こうと、自分の勘を頼りに歩く。そして、ついに太陽も沈んでしまった
 日が沈んだ後、知らない町で一人でぽつねんと歩いていると思うと、なんだがちょっと寂寥感が感じられてしょうがなくなってしまう。それが余計に焦りを生じさせてしまい、自分の勘を狂わせてしまうことになると気づかずに・・。


■道に迷った・・
 結局、道に迷った・・。人に聞こうにもこの時間には誰も歩いていない。仕方がないので、方角を頼りにひたすら歩き続ける。コンビニでもあれば地図で確認できるのであるが、それさえ見つからない。休憩もまったくしてないので、体も疲れてきている・・と、ようやく前方に明かりが見えた!コンビニだっ!もう電球に寄ってくる虫のようにフラフラとコンビニに吸い込まれていった私は、ようやくほっと一息。とりあえず地図を見て現在地を確認。やはり間違っていたのだ。曲がるところを一本間違えたらしい。とりあえず、位置関係がはっきりしたので勇気百倍。飲料補給をして最後の踏ん張りを見せるのだ!
 コンビニを後にした私は、本来の美濃路に復帰するべくさっき見た地図を頭に思い浮かべながら歩き続ける。そして、ようやく「美濃路」と思われる道に復帰。ふぅ〜〜・・・暗い闇の中でさすがに安堵の表情は隠しきれない。しかし、ここからまだ先がある。そして、最後の見所スポットである高木の一里塚跡と高木神社もある。ここからは、少し注意深く歩くことにした。



■暗がりに高木神社を発見
高木神社
【暗がりで発見した高木神社】
 すでに真っ暗になった道をひたすら歩く。はっきり言って外灯がないため、本当の暗闇の世界だ。とりあえず道の脇にあると思われる石碑を探すが見つからない・・・と、前方に何か見えてきた。近づいてみると、鳥居だ・・ぎょっ・・高木神社と書いてある。どうやらすでに一里塚跡は見逃してしまったようだ。しょうがないので『高木神社』だけは写真に収めるが、フラッシュをたいてもかなり無理があった。
後は、駅を目指すのみ。ちょっと朦朧としながら歩き続ける。そして、ようやく駅に続くと思われる通りにぶつかった。この通りを西に向かって進むと踏切が見えてきた。ほぉぉ〜〜・・間違っていなかったようだ。しかし、暗闇の中を歩くのがこれほど大変だとは思わなかった。一つの教訓になった。


■美濃路初日終了
本日の終着点・萩原駅〜建物は真っ暗で何も写ってませんでした(^^;
【今日の最終地点・萩原駅】
 そして、踏切を渡ってすぐに左折。線路沿いの道を歩くと、ほどなくして今日の最終地点・萩原駅に到着。駅舎を写真に収めるも、真っ暗でほどんど何も写っていなかったので、駅名だけでもともう一枚写真を撮る(写真上)。到着は、時間にして18:13・・・万歩計を見てみると、28キロ以上歩いていた。もう暗くなってからの歩きはやめようと心に誓って一日目は過ぎていったのであった。(つづく)

歩数計 47,707歩
カロリー 1,984.7kcal
距 離 28.65km
時 間 8:32〜18:13
支 出 交通費|10,040円
飲食費|2,219円
その他|300円(入場料)

2003.2.16update


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