#第9日目|すずらんの里−下諏訪 平成15年(2003)11月23日(日) 天気:晴


放浪日記第九日目MAP|すずらんの里−下諏訪


■ついに甲州街道放浪最終日
甲州街道最終日の出発点・すずらんの里駅 すずらんの里駅に電車が止まり、一人の男が降り立った。その顔には気負い立った様子も見られず、目線は今やってきた方向を向いていた
 歩き始めて1年2ヶ月、延べ9日に及ぶ甲州街道放浪もいよいよ今日で最終日を迎えることになる。・・・順調にゆけば。
 さっそく万歩計をリセットして歩き出す。時間にして8:30・・・奇しくも東海道の最終日と同じ時間になるとは、運命という他ない。

甲州街道9日目@マップ



■今日も良い天気だぞー
旧甲州街道は、この分岐点で左の細い登り坂をゆく まずは甲州街道復帰に向けて数百メートルを足慣らし。昨日見た『八幡社』の交差点にたどり着くと、北に向かってさっそく歩き始める。今日も天気が良さそうだ。しかも昨日に比べて風も穏やかで、気持ちよい街道歩きが出来そうな感じだ。
 200メートルほど歩くとY字路にぶつかるので、国道を離れて左に進む細い登り坂をゆく


■現役の一里塚に出会う!
 馬頭観世音等を横目にエッチラオッチラ登っていくと、前方に落葉した大きな木がある。これは『神戸御射山一里塚』だ。右の塚は一度枯れてしまい二代目だそうだが、左の塚はなんと往時のものが残存しており、その巨大さにびっくりするとともに、感動してしまった。その勢いを受けて、パシャパシャと写真を撮ってしまうが、両方の塚をフレームにおさめることが出来ないほどの大きさだ。甲州街道では、こうしたものに出会えると思っていなかったので余計に嬉しかったのだ!<予習不足。名残惜しかったが先を目指す。
 左にエプソン企業、右手下方に青柳駅等を見つつゆるゆる下ってゆくと再び国道に合流。ここからしばらく国道沿いを歩くことになる。

現役の一里塚



■悲話の残る金沢宿へ
悲話の主人公・小松三郎左衛門のお墓がある泉長寺 そのまま国道をゆくと、青柳地区から金沢地区に入る。集落の続く中を、国道を逸れて左折すると泉長寺』。ここには、かつて本陣を務めていた小松三郎左衛門のお墓があるという。
 この三郎左衛門、当時のお上(諏訪藩)の理不尽な命に困惑し、直訴するも聞き入れられず、逆に捕らえられて処刑されてしまったという悲話が残っている。
 再び国道に復帰。テクテク歩くと、左手にかつての『本陣跡』を示す案内板が見られる。案内板手前には「長野懸」と書かれた石碑が建てられている。ここが、先ほどの三郎左衛門の本陣跡だ。案内板には、先ほどの悲話が書かれている。


■衰退気味の金沢宿
かつての枡形は、緩やかなカーブへと変貌している この辺りは、既にかつての『金沢宿』。昔ながらの連子格子の家屋が何軒か残っており、趣きがあるのだが、空き家っぽい家屋がかなり見られるのが気になる。さらに進むと、右手に今も人がいる雰囲気が漂う二階部に連子格子の見られる家屋がある。これは、馬方宿をしていた『小林家』で、家前には馬繋ぎ石が残っているそうだが未確認。
 この先、旧道は枡形になっていたようだが、現在は緩やかなカーブ道となっている。カーブの途中、細い川の手前に小さなお地蔵様が並んでいるが、ここがかつての『処刑場跡』だと思われる。落ち着いた宿場の裏には、悲しい物語が隠されていた。そして、宿場はここで終わりを迎える。


■現代の茶屋・コンビニでトイレ休憩
見どころのない単調な道。たまたま車は写っていません 宿場を後にしてすぐに茅野市指定史跡の『権現の森』。立派な巨木が見られ、まさに「森」にふさわしい空間だ。森を後にすると、しばらく見どころのない国道歩きが続く

 朝早いにも関わらず、車通りの激しい国道を進むと、左手にコンビニ。さっきからトイレに行きたかったので拝借。3連休の中日だからか、コンビニもトイレも人で賑わっていた。コンビニを後にして、少し進んだあたりにかつての一里塚があると資料に記載されており、地図を頼りに探してみる。国道に沿って流れている釜無川の対岸にそれらしき石碑+案内板が見られる。これが『一里塚跡』だろうと自分で納得して写真に収める。

甲州街道9日目Aマップ



■自然に囲まれた甲州街道をゆく
街道の一風景。いつまでもこの景色が残りますように・・・ しばらく歩いていると、木舟集落に入る。集落の中を進み、左に道がカーブする右手前に、小さくつづれ折れている登り坂があるのでそちらへ進む。中央本線高架を渡り、すぐ左手に。ここから交通量の少ない裏道が続く。道脇には細い川が流れ、周りを色づいた山に囲まれた街道・甲州街道の醍醐味が圧縮されたようなところだ。こんな道ならいつまでも歩いていたい・・・そんな気持ちにさせてくれる道を進むも、やがて国道へ。本来、旧道は現在の中央本線沿いに続いていたようだが、現在は道なく国道に出るより他にない。


■道は茅野へ
5叉路を曲がります。この写真では右側に進みます 再び国道沿いをゆく。道は緩やかだが若干の下り坂だ。前方には、大きな人工物・高速道路高架と、その奥には雪をかぶった山並みが見える。方角からすると北アルプスの山並みだろう。甲斐国では富士山と南アルプスに抱かれ、信濃国では北アルプスに抱かれる。甲斐も信濃も山に囲まれた国なのだ。実は、小さい頃から登山をしていたこともあり、山に囲まれた生活というものに憧れていた。
 高速道路高架を越えた付近にある一里塚跡は、色々探し回ったが発見できず。その後、道は五叉路にぶつかるが、ここで右斜めに進む。店舗が点在し始め、茅野市の中心地に近づいたことを伺わせる。車のすれ違いが大変そうな細い道を進むと、左手に石碑がある。かつて明治天皇が行幸の際に休まれたという『五味宅跡』だ。


■衰退気味の茅野中心部
茅野駅近く。なんとなく活気がありません 上川に架かる橋を渡ると、人の往来もちらほらと見られるようになる。しかし、茅野駅前にある立派な再開発ビルは、シャッターが閉まっており、いまいち活気がなかったように思われた。茅野駅周辺も、最近地方都市に見られがちな衰退傾向が見られた。この辺りの核都市、松本に集中してしまうのか、それとも郊外の大型店舗に流れているのか。おそらくその両方ではないかと思われる。

甲州街道9日目Bマップ



■国道を離れ裏道をゆく
板垣城跡and上原城跡 駅前を過ぎると、上原地区で大回りしてきた国道と合流。再び車の往来の激しい道を歩く。合流してからほどなくして、道の左側に『八幡社』。その先右手には『極楽寺』。すごいお寺の名前だが、インパクトは大事だ。右手遠方に目をやると、小山が続いている。この小山のどれかが『板垣城跡』『上原城跡』だと思うのだがよくわからないので適当に写真に収めておく(後日記:上原城跡については、後述の桑原城跡と同じように案内板が置かれて、わかるようになっていました。H19大河ドラマ「風林火山」の影響かな?)。本当は見に行けばいいのだが今回は割愛。さらに信号のあるT字路の先には『頼岳寺』。
 郵便局の案内矢印(小さい)があるところで国道を逸れて右折。ここからは、しばらく裏道を歩くことになる。そのまま道なりに勾配の緩やかな道を進み、鉄道高架をくぐる。
落ち着いた集落をゆく旧道 道標のあるY字路で別の道と合流し、そのまま細い道をゆく。落ち着いた集落の中を続く細い道をゆっくりと歩く。すると、右手に火燈(ひとぼし)公園なるきれいな公園があったので、休んでいくことにした。
 まだ出来て間もない公園のようだ。小さいながらも新しいもののニオイが香ってくる気がする。屋根のある東屋に座り、地図を見ながらこの先の行程を確認。もう残りがわずかだ。前回の東海道の時もこれで終わりなんだという感覚がなかったが、甲州街道でも同様だ。もっとも、自分の気持ちの奥深くを見てみると、その意味は異なっているが、それはここで述べる必要はないだろう。
 ゆっくり休んだので再び歩き出す。しかし、腹減ったなぁ・・。
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歩数計 35,250歩
カロリー 1,485.2kcal
距 離 21.15km
時 間 8:30〜15:12
支 出 交通費|−−−円
飲食費|−−−円
その他|5,250円(宿泊代)

2004.3.25update
2007.04.26renewal


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