東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第26日目|大津−三条大橋 平成14年(2002)6月2日(日)

放浪日記第二十六日目MAP|大津−三条大橋

平成14年(2002)6月2日(日) 東海道第26日目:大津−三条大橋 天気:晴

放浪最終日の出発点・大津駅 ついにこの日がやってきた。東海道を歩き始めて1年と4ヶ月が経とうとしていた。そして、東海道を実際に歩いた日付はこれまで延べ25日・・そして26日目の今日、東海道放浪という長いようで短かった物語が幕を閉じる時がやってきたのであった。
 昨日に引き続き大津駅に再び降り立った私は(写真左)、これが最後であることを胸に刻みつつ、万歩計をリセットして歩き出した。時間にして8時30分、奇しくも初めて東海道を歩き始めた時と同じ時刻であった。


 まずは、大津駅を写真に収めた後、旧東海道に復帰するために大通りを歩く。途中コンビニで飲料を補給し、ほどなくして旧東海道にぶつかり、そのまま左折して旧東海道に沿って再び歩き出した。
 今日も暑くなりそうな感じだ。朝からまるで夏のような日差しが感じられる。水分補給だけはしっかり取ろう。そんなことを思いながら歩いていると、ほどなくして路面電車の走る大通りにぶつかった。昨日は、ここをそのまま真っ直ぐ突っ切ったのだが、旧東海道はこの大通り沿いに続いている。私は道を左折し、大通り沿いを歩き始めた。若干の登り道が続いている。途中、左側に『大津宿本陣跡の石碑』があった。それを横目にさらに先へ(写真下)。
 歩き始めてそんなに経っていないのに、すでに疲れ気味に。昨日の疲れが残っているのか、はたまた日差しが強烈であるからか・・どっちにしても救いは、今日は光化学スモッグに悩まされずに済むことだ。
京阪電鉄が道路上を走ってるのですっ 道路の左側を歩いていたのだが、途中で意を決して反対の右側へ。できれば太陽の位置関係から左側を歩きたかったのだが、これから続く神社等の見どころがほとんど右側にあるため、泣く泣く渡った。そう右側は、太陽光線を直で浴びる形になってしまうのだ。
 しかし、強烈な太陽の日差しにもめげずテクテク歩く。ようやく、最初の目的地・『蝉丸神社下社』に到着。蝉丸と言えば、百人一首の「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」が有名である。私が知っている数少ない百人一首の一つでもある。東海道を歩き始めて、京都・三条大橋までの道のりを地図上で辿ってみた時に、「いつかはこの逢坂へ・・」と思っていたのが、現実となっているのである。感慨もひとしおだ・・が、ここで感傷に浸っているヒマはない。というよりも、暑さにやられて少し感覚が麻痺してきているのかもしれない。
 神社を後にした私は、そのまま道の右側を歩いていたのだが、国道1号バイパスにぶつかった場所で右側の歩道がなくなったため、信号が青になるのを待って反対の左側に。そのまま今度は左側を歩くことにした。
 この国道沿いは、非常に交通量が多い。地図にも交通量が多いので注意と記載してあったが、看板に偽りなしだ。それでも、歩道があるのでそれほどの危険はないのが救いだ(写真下)。
京都に向かって歩き続けます。1号沿いに京阪電鉄も走ってます やがて前方上空に巨大な人工物を発見。どうやら名神高速道路のようだ。そのまま下を通過し、さらに先へ。
 やがて前方の道路の反対側に神社の鳥居が見えてきた。これが、『蝉丸神社上社』である。ちょうどうまい具合にここだけ信号が設置されていたので、安全に反対側に渡ることに成功。ものすごい急傾斜の階段を登るとあまり人が立ち入らない感じの境内だった。境内というほど広くはない。しかし、それでも私にとってはとても貴重でかつ感慨深い神社である。さっそく旅の無事を祈願して神社を後にすることに。
 神社を後にした私は、再び信号を使って道路の左側に。次に見る常夜灯は神社と同じ道路の右側にあるのだが、歩道がないため、歩道のある安全な左側に渡ったのだ。ところが、常夜灯が道路の反対側に見えてくると、なんとそこには信号が設置されていない。そして、この先もしばらくは左側に見所はない。どうしようかと思案したが、結論は一つ・・車の往来のない時を見計らって道路の反対側に渡るのみだ。
 そして、慎重に車の往来を確認。車の流れは止まることがなかったが、一瞬のスキをついてダダダダダダダ・・・成功!しかし、これでさらに体力消耗。黄色信号が点ってきた感じだ。それでも、とりあえずその『常夜灯』を写真に収めた。そして、休憩ができるようなところを目指してさらに先へ。
逢坂峠のてっぺん付近にある逢坂山関の跡石碑 今度は、意を決してそのまま歩道のないところを歩くことにした。すると、少し行ったところで突然歩道が現れた。ふ〜・・もっと先まで伸ばしてくれればいいのに。日本の道路網は、車中心のものであるため、歩道のないところが多々ある。国土交通省所管の財団で働いている者としては、恥ずかしい限りである。
 そのまま安全な歩道を歩く。相変わらず車はビュンビュン走っている。登り坂も相変わらず続いているが、道が大きく右にカーブし終わると、登り坂も終わりに差し掛かり、どうやら頂上部分にたどり着いたようだ。そこには常夜灯とともに石碑もあった。『逢坂山関跡碑』(写真右)。そう、今まで登ってきていたのは逢坂山だったのだ。そして、ここに関所があったという・・。関跡碑を写真に収めた私は、大きく息を吸い込んだ。そして、どこかで休憩をするため、その場所を探すことにした。(注:このあたり、まったく笑いがないがご容赦願いたい。全く持って笑い事ではなかったのだ。暑くて・・(笑))
 この関跡碑のところから、一旦国道をはずれて裏道へ入る。この裏道は、当然のことながら車は一台も通っていない。気がフッと緩む。そして、前方に『蝉丸神社分社』が見えてきた。この辺りは、「蝉丸神社」と名の付いた神社が多く存在しているのだ。
 鳥居をくぐり、これまた急な階段を登ってみると、ここの境内はさっきの上社よりだいぶ広く、ちょっと一休みできるスペースもあったので、ここで休んでいくことにした。ここまで来るのにたった30分しか時間も経っていない。こんなに早い休憩も初めてではないだろうか。しかし、時間を気にすることなく身体を第一に考えることの方が大事である。これもこの旅で学んだことの一つだ。充分休憩をとった私は、腰を上げて先を目指すことにした。
月心寺をこっそりとのぞいてみました(笑) 神社を後にして、そのまま裏道を歩く。しかし、その裏道もほどなくして終わり、歩道橋を渡って再び交通量の多い国道1号へ。この付近の国道は、歩道が片側にしかないらしい。その唯一歩道があるところを歩く。
 テクテク歩き続けていると、前方に落ち着いた佇まいを見せる料亭のような建物が見えてきた。近づいてみると『月心寺』と書いてあった。ここは、広重の「東海道五十三次」の大津宿に見られる「走井の清水」で有名なところだ。ここから水が湧き出ており、今も絶えることなく水が湧き出ているのだ(写真館)。
 門をくぐり中に入ると、すぐのところにその水の湧き出ている井戸を発見。一応所有者に許可を得てから写真を撮ろうと思ったのだが、あいにく誰もいなかったため、無断で撮影してしまった。でも、手持ちの資料を見てみると、自由に見学可能と書いてあったので大丈夫かな?そんなこんなで、その落ち着いた空間を味わった私は(写真左)、月心寺を後にした。
 しばらく見所のないまま、国道沿いを歩く。国道、京阪電鉄、名神高速道路が並んで走っている。歩いていると、名神高速が国道と京阪電鉄の上空を横切る形で別れ、旧東海道も名神のガード下をくぐった後、交番のあるところで国道らと別れて裏道へ。
 しばらく裏道が続く。『追分道標』などを見つつ、「京都」の字がちらほらと見え始める。その後、国道一号にかかる歩道橋を渡り(写真下)、再び裏道へ。この道は、日差しを直で浴びるのでしんどいが車の往来がほとんどないのが良い。
日本橋からいつもそばにいた国道1号はここでお別れです そして、ついに京都市の看板が現れた!これで東京都から始まって1都5県とラストの1府目である。そして、市町村単位で言ってもすでに京都市であるため、これが最後の自治体にもなる。ついに「京都」という場所にやってきたのだ。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、道はまっすぐに続いている。一路三条大橋に向かって・・。
 そして、JRと京阪電鉄の山科駅付近にやってきた。この駅前にあったショッピングセンターのトイレを借用。このデパートは、バリアフリー化がしっかりしていた。古風な京都の細やかな配慮を見せてもらった感じだ。
 再び歩き出すが、体力の消耗が激しい。どこかで休みたい・・しかし、この辺りはどこにも休憩できるようなところがなかった。ドンドン疲れが蓄積されていく中、テクテクと歩き続ける。徐々に歩みが遅くなってくるのが自分でもわかる。しかし、ここで足を止めてしまったら日射病にかかってしまう。そんなことだけを考えつつ、どこか休めるところは・・それがいつの間にか本来の目的と成り代わりつつ歩いていた。そして、道は再び大通りへ。
この先には天智天皇御陵があるのです 新幹線のガード下をくぐると、右手にどこか厳格な雰囲気の感じられる立派な門を発見。なんだろうと近づいてみると、近くにあった看板には宮内庁の文字が・・。もしやと思い、手持ちの資料を見てみると、思った通り『天智天皇御陵』(すなわちお墓)だった。そのお墓のあるところまで400メートルほどあるが、私はここで休憩しようと決めて、軽い登り坂を歩き始めた(写真左・写真館)。そして、うっそうと茂った森とも呼べる道を歩き続けると、前方が開けてきた。どうやらお墓に到着したようだ。犬を散歩に連れてきていた夫婦が居たが、私がそこに着くやいなや去っていったので、私は木陰の石に座り休んでいくことにした。ふ〜・・・ホッと一息である。
 天智天皇は、壬申の乱(671年)の前年に亡くなっている人物である。この辺りの出来事及び人物はよく知らないが、こんな立派なお墓が残っているということは、立派な功績を残したお人だったのだろう。
 身体の方は思っていたよりも疲れていなかったが、服の方がすごかった。予備の替えのシャツを持ってくるのを忘れたため、汗で濡れた服を乾かすことにした。「良いダイエットになるな〜」などとは、その時は思わず、ただ風に吹かれてボーっとしていた。正確には、旅が終わることなど何処かに吹き飛んでしまっていて、まだ旅の途中でその休憩の一環という気持ちであった。
 ここに来てから、かれこれ30分近くが経過していた。服も乾いたので再び歩き始めることにした。天智天皇さん、お騒がせしました。出発時間は11:20・・・12:00ゴール予定が大幅に遅れることになりそうだった。
 再び国道1号に戻ったが、すぐに裏道へ。人がやっとすれ違いできるかのような道だ。裏道を通るのもこれが最後になる。
ついに終着点・京都の街が見えたっ!〜蹴上付近より その道は、徐々にかなりの急坂に。先ほど汗がひいたばかりなのに、再び汗が流れ落ちる。そうしてようやく頂上部に到着し、平坦な道を歩くことに。ここは、先ほどの道よりだいぶ広くなったが、それでも車一台通るのがやっと。それなのに車は後からビュンビュン飛ばしてやってくる。気をつけなければならないポイントの一つだ。
 そして、その裏道も終わりに近づき、再び車通りのある通りへ入り、道は最後の登り坂へ。
 坂を上りきると、今度は下り坂だ。そして、前方が開けてきた時、ついに京都市中心部が視界に入ってきた(写真右)。あそこがゴール地点だ!自然胸が高まる。と同時に、何故か緊張感が走る。
 京都中心部が前方に見える中、道は下り続ける。左手には、ツツジがたくさん咲いている蹴上浄水場があった。もう少し早い時期ならもっときれいな景観を見ることが出来ただろう。少し行ったところで道は二手に。旧東海道は、ここを左に曲がる。
 左に曲がった私は、太陽光線を少しでも遮るべく道路の左側を歩くことにした。この辺りは、昔京阪電鉄が地上を路面電車として走っていたが、それが地下に移動したため道路も広々としている。
 立派な都ホテルを左に見つつ三条大橋を目指す。左右を見てみると、この辺りは割と昔ながらの家並みが残っているところが多い気がする。これも京都ならでは・・か。
かつてお世話になった東山ユースホステル それにしても、この辺りの景色は見覚えがある・・。そうだ、大学生の時に泊まったユースホステルが確かこの辺りにあったはず・・。記憶を頼りに歩いていると、やはり記憶は正しかった。見覚えのある緑の看板(写真左)、そして道の反対側にはその時利用した地下鉄の駅があった。当時のまま何も変わっていない・・変わったのは自分の方かも・・・うん、変わらなければ成長はできない。当時よりは、少しは大人になれたのかなぁ・・・。
 歩みはさらに続く。徐々に賑やかさが増してくる気がする。徐々に心臓の高鳴りが大きくなってくるような錯覚さえ覚え始める。東海道を歩き始めたことから、楽しかったこと辛かったことが走馬燈のように次から次へと思い出される。そんなことを思い浮かべているうちに思わず目頭が熱くなってきそうになる。
 三条大橋までの道のりが長く感じられる。まだ終わりが来て欲しくない気持ちが強いのに、橋が見えてこないことに焦りを感じてしまう。この苦しみから早く解放されたい。でも、終わりは来て欲しくない・・そんな心の葛藤が果てしなく繰り返される。それでも三条大橋がもう間近にあるのは紛れもない事実だ。
 そして、ついに前方が大きく開けてきた。あ!あそこに見えるのは三条大橋だ!・・もうあと100メートルほどしかない。心の準備をしないまま橋が突然出現したので、急遽コンビニを発見したので、最後の飲料補給も兼ねて立ち寄ることにした。
 コンビニには、相変わらずたくさんの種類の飲み物が並んでいた。そんな中私が選んだ最後の飲料は「杜仲茶」。「旅の'途中'」とかけて・・・。と言いつつ、値段が安くなっていたのもあるかもしれない(笑)
 飲料を購入した私は、コンビニを後にして徐々に歩みを始めた。そして、地下鉄になっている京阪電鉄の三条京阪駅の入り口のところで、荷物を降ろして一息。ふぅ〜気持ちを落ち着かせる。ゴールはもう目と鼻の先だ。とりあえず気持ちの整理をつける。なかなか決断がつかない。それでも、「よしっ。いくぞ!」と荷物を持ち再び歩き出した。
三条大橋のたもとで、京都御所に向かって拝している高山彦九郎殿 まずは、橋の手前にある大きな『高山彦九郎像』を見る。高山彦九郎は、江戸後期の勤皇家で、上野国(現在の群馬県周辺)から京都に出てきたが、多くの公家や勤皇家と交わったため幕府から睨まれて自害した。彼は、常に京都御所に向かって拝しており、この像もそれにならっている(写真右)。
 像を写真に収めた後、振り返ってみると、目の前十数メートル先には「終着点・三条大橋」が架かっている。ここが最後の場所なんだ・・・やはり感慨深いものがある。その橋の手前に信号があった。さぁ、最後の仕上げだ・・信号が青になるのを待って歩き出そうとするが足が進まない。えっ・・・これは・・・どうしても足がいうことを利かないのだ。まさか最後の最後で・・。別に足を痛めたわけではない。橋を渡るのがどうしても恐くなってしまったのだ・・。
 とりあえず、道にボーっと立ってるのは他の歩行者の迷惑なので、すぐ横の広場のベンチに腰掛けることに。さっき気持ちの整理をつけたはずなのに、さっきまであれほど辛い歩行を続けてきたのに・・・・私は、ここまで東海道の魅力にとりつかれていた自分がいたことに今はっきりと気づかされた。だからこそ中途半端な気持ちのまま終わりにしたくない。そう思った私は、決断の時が来るまで信号を待ち続けることにした。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、いつもと変わらずに信号は規則正しく赤、青、赤、青を繰り返している・・そして、3度目の赤が点った時、次の青信号で渡ろうと決心した。
 この時間がとても長く感じられた。変わらないでくれと祈りつつも、ついに信号は青になった。私は、勢いよく立ち上がりついに横断歩道を渡った。ここまでが長かった。そして残りは、橋を渡りきることだけである。もうここまで来たからには後にひけない。意を決して橋を渡り始めた。
終着点・三条大橋〜旅の終わりは夢の終わり也・・・・ 三条大橋は、たくさんの人が往来しており、今も昔と変わらぬ賑わいを見せていた(写真左・写真館)。そんな橋をゆっくりと一歩一歩進める。橋の下には、『鴨川』が流れており河畔にはたくさんの人が座っている。これも京都名物の一つだ。
 橋を渡りきるのに時間がかかる。これを渡りきったら旅は終わりなのだ。その気持ちが余計に歩みを遅くしているのがわかる。しかし、橋もそんなに長くはない。ついに終わりが近づいてきた。そして、後一歩で渡りきるところで深呼吸をした。
 そして、最後の一歩を踏み出した。やった!ついに東海道を完歩したのだ!辛いこともあった。なんでこんなことをしているんだろうと思う時もあった。それでも、歩き続けた結果が、今ここに現れていた。
 さらば東海道・・・夢と希望と感動をありがとう・・・そして、またいつの日か旅立ちの時まで・・・。(完)
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歩数計 17,614歩
カロリー 732.8kcal
距 離 10.57km
時 間 8:30〜12:30
支 出 交通費|13,260円
飲食費|777円(←すごっ(笑))
その他|6,720円(宿泊代)


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