#歴史探訪 蔦木宿〜金沢宿
甲州街道:蔦木宿〜金沢宿 |
蔦木宿 日本橋から数えて43番目の宿場です。 蔦木宿は、慶長16年(1611)宿場としてつくられた、信濃に入って初めての宿場です。この宿場は、新しい土地に計画されたので、まれに見る完備した形態となっており、南北の入り口は、宿場特有の枡形となっています。 現在は、落ち着いた街並みが見られるものの、全体的に活力が感じられなかった気がしました。 今来たところへ戻る△ |
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東枡形 東枡形と記していますが、実際には南枡形と呼んでも良いかもしれません。平成3年(1991)道路改良工事のため枡形の位置が変わってしまいました。それを示す石碑が建てられています。 今来たところへ戻る△ |
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三光寺 応永24年(1417)武田信重が、父・信満追福のために建立したお寺です。かなりの規模の敷地を誇り、檜や杉等巨樹・巨木で生い茂っています。 今来たところへ戻る△ |
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本陣表門 かつてここにあった本陣は、明治40年(1907)に南原山に移築され、別荘として利用されていましたが、老朽化のため昭和50年代に取り壊されてしまいました。 写真の表門は、地域住民の強い要望により、平成4年(1992)本陣跡地に復元されました。 今来たところへ戻る△ |
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本陣跡石碑 かつての本陣跡地に石碑が建てられています。 今来たところへ戻る△ |
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西枡形 宿場の西側の出口に当たるところです。「枡形遺跡」と書かれた石碑が建てられています。 今来たところへ戻る△ |
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重修一里塚跡 江戸から47里目の一里塚跡です。 今来たところへ戻る△ |
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富士見公園 元々「原之茶屋」があったところです。 明治41年(1908)富士見油屋歌会に来遊した歌人・伊藤左千夫は、「ここは、自然の大公園だ。自然を損なわぬように公園を作りたい」と提案。明治44年(1911)左千夫の指示を受け、富士見村や原之茶屋の協力によって、公園が出来上がりました。園内には、句碑や遊具などがあり、地元住民の憩いの場となっています。 しかし、私が訪れた時は、公衆トイレに鍵がかかっており、使用できませんでした・・・・。 今来たところへ戻る△ |
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八幡社 社殿は、宝暦12年(1762)の上棟で、町の文化財です。 写真の社殿右手前に写る巨木は、高さ20mの大ケヤキで、これも町の天然記念物となっています。 今来たところへ戻る△ |
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御射山神戸一里塚 江戸から数えて48里目の一里塚です。 道の東塚にはエノキが、西塚にはケヤキが育っていましたが、東塚のエノキは明治初期に枯れてしまいました。残っている西塚のケヤキは、塚が作られた慶長年間に植えられたものと推定され、樹齢は380年以上と言われています。 甲州街道沿いでは、このような立派な一里塚は稀(まれ)で、とても感動です。 今来たところへ戻る△ |
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2004.3.13update
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