#第5日目|初狩−勝沼ぶどう郷 平成15年(2003)3月30日(日) 天気:快晴


放浪日記第五日目MAP|初狩−勝沼ぶどう郷


■笹子隧道に到着
倒れた木が行く手を阻んでます・・オイオイ。<前方には笹子隊道が しばらく歩くと、前方に車が2台停まっていた。オイオイ・・・ここまで走ってきたんかい。その車の止まっている先をみると、雪が凍っていた・・ガーン。でも、その凍った道もすぐに終わり(ほっ)、さらに先へ。
 テクテク歩いていると、どこからともなく声が聞こえる。さっきの車の人たちかなぁ〜と思いつつも、声は聞こえど姿は見えず。。。すると、倒れた木の前方にトンネルを発見。どうやら笹子峠の真下を通っている『笹子隧道』のようだ。本来なら旧甲州街道はトンネルの上空の峠を越えなければいけないが、もうこれ以上山道を登る気力がなかったので、トンネルを歩いて一気にショートカットすることにした。

笹子隧道


■トンネルの怪
トンネル内を撮影してみました。フラッシュをたかなければ、暗闇・・変なもの写ってないよなぁ・・ このトンネル、今はほとんど誰も使っていないためか、内部の電気は当然付いておらず真っ暗だ。ちょっとビクつきつつもさっそくトンネルに入ろうとすると、暗いトンネルの奥で何かが動いているのが見えた。ギョッ・・としたのもつかの間、どうやら人間のようだ。オイオイ・・・こんな真っ暗なトンネルの中で何をやっているんだよぉ〜・・と思いつつもトンネルの中へ。すると、こちらの気配に気づいたのか、その人間らしき物体がこちらへ向かってきた。徐々に近づいてみると、やはり人間だった。しかも、首からカメラをぶら下げているようだ。まさか心霊写真でも撮っていたんじゃ・・・なんて思いつつ、相手の足があることを確認してすれ違う。
 そして誰もいなくなったトンネルを歩く・・・が、歩くにつれて徐々に視界が閉ざされる。トンネルの中の方は光が届かないのだ。それでも、なんとか目を細くして前方に見える、一筋の光を目指す。素直に峠越えをすれば良かったと思いながら。
 トンネル内部は、水滴も落ちてきていて、濡れて滑りやすくなっているところもあったり、真っ暗なので足元が全くおぼつかないのも恐くて、早くトンネルを抜け出したい一心でひたすら歩いた。徐々に前方の光が大きくなってきた。もうすぐ出口だ〜・・・そして、トンネルを抜けた時の安堵感。さすがにドッと疲れが出てきた。しかし、まだトンネルを越えただけ。この後、峠下りが待っているのだ。気持ちをゆるめることなく、先を目指すことに。


■峠道も下り坂へ
下りの峠道入口 アスファルト道路を数メートル歩くと、左側に甲州街道峠道と書かれている緑色の看板があり、そこがかつての旧甲州街道のようだ。さっそく下り始める。ところどころ雪が残ったりしているが、危険というほどのものではない。登りよりも気持ちが楽になって、トットコ下る下る。『甘酒茶屋跡』のところで再びアスファルト道路とぶつかるが、さらに峠道を下る。
 しばらく峠道を下ると、車が一台通れるくらいの道にぶつかった。東海道BBS常連の「やまちゃん」さんが、危うく道を誤りそうになったという箇所っぽい。ここは、間違えないように・・と、その道を頭に描きつつ、道を右へ。と、これが既に誤りだったのだ。私は、そのままアスファルトの道にぶつかって、ひたすらクネクネとアスファルトの道を下っていったのであるが、実は、まだまだ甲州街道峠道(山道)が続いていたようなのだ。それは、だいぶ下ったところでその「峠道」とぶつかったために判明した。結構ショック・・なぜなら、その峠道は、クネクネアスファルトよりもかなり短縮されていることもあったし、せっかくの旧道を歩けなかったこともあった。後悔先に立たず・・ちょっとブルーになりかけながらも先へ。こんなところであまり長居はしたくない。まだまだ車はおろか人っ子一人出会っていないのだ。会ったと言えば、先ほどの怪しい心霊写真家(らしき人)。ゾクっ・・・。

無事峠を越えられたぁ・・・安堵安堵<集落はかつての駒飼宿 途中、『桃の木茶屋跡』なんていう木碑を見つつひたすらテクテク下ると、ようやく集落らしきところが見えてきた。そして、動いている車、人を発見!!!ここへ来て、ようやく安堵感が一気に押し寄せてきた。ふぅ〜。いつもは、人ごみはイヤだとか車の往来が激しいのはどうも・・なんて言っていたが、今はその逆である。とても人恋しくなっていたのだ。とりあえず、集落に入る前にどこかで休憩でも・・と思ったが、どこにも休めるところが見あたらないため、休憩はあきらめてまずは集落に入ることに。

■山あいに続く落ち着いた街並みを有す駒飼宿
駒飼宿の街並み この集落はかつての『駒飼宿』で、現在でも落ち着いた街並みを見ることができる。ただし、『本陣跡』『脇本陣跡』等の案内板があるのみである。それでも、峠道よりは全然マシだ。家が連なっているということだけで、温かみが感じられるのだ。
 その後、青い屋根の家屋のところを左折して、細い道を下る。どうやらこちらが旧甲州街道のようだ。『甲州街道駒飼宿』と書かれた案内碑もあった。その後橋を渡り、中央高速道路高架下をくぐると、日影地区という所で久しぶりの国道20号にぶつかった。今だけは、この騒々しさが心地よく感じられる。そして、ここから再び国道沿いの道を歩くことになる。


■武田関係史跡を見逃しつつ鶴瀬宿をあっという間に通り過ぎる
かつての関所がこんなちゃちなものに・・<鶴瀬関所跡 しかし、ものの数分国道沿いを歩いただけで、やはり車の往来がうっとおしく感じられてくる。<オイっ

 途中、武田勝頼が長篠の戦いで信長に敗れて落ち延びていた際、家臣の小山田信茂の救援を待っていた時に腰をかけたという菱石というものがあったそうだが、場所がよくわからず結局見逃してしまう。武田関係の史跡を巡るのは、今回の甲州街道歩きの目的の一つだったので、ちょっと残念。ちなみに、小山田信茂は、勝頼を裏切り武田家滅亡のきっかけとなった人物であり、最後は主家を裏切った罪で信長に殺されている。
 気を取り直して歩く。国道を一本逸れた所にあった『鶴瀬関所跡』などを見つつ先を目指すと、いつしか『鶴瀬宿』に入っていた。しかし、それも早々と終わり、ついに何も見どころのない国道歩きになってしまう。
 これが相変わらず単調でつまらない。私の歩いている国道20号の左側には日川、中央高速道路が並行しており、視界にはブドウ畑らしきものも入ってくるが、まだブドウ畑を堪能するには時期的に早すぎて、ただの茶色い野っぱらがあるのみ。
 この国道、歩道があるからいいようなものの、車はスピードを落とすことなくビュンビュン私のすぐ横を走り抜けていく。車だったらさぞかし気持ちよいだろうが、歩行者にとっては大迷惑だ。それでも、途中いくつかの史跡跡等を見つつ、ひたすら先を目指して歩く。

■弱っちく見える近藤勇像
近藤勇像〜なんか弱々しいなぁ・・イメージ狂っちゃうよ かれこれどれくらい歩いただろうか。前方に石像が見えてきた。どうやらこれがかつての新選組局長近藤勇像のようだ。以前東海道を歩いていた時に見かけた法善寺の近藤勇像や甲州街道上石原宿の西光寺の近藤勇坐像に比べて、なんだか弱っちく見えるのは気のせいだろうか。

 何故ここに近藤勇像があるかというと、新選組ではなく甲陽鎮撫隊という名で甲府城を占領しに向かっていた近藤勇らは、ここで板垣退助率いる官軍に敗れたのである。敗れたのに石碑があるというのはよくわからないが、新選組の人気にあやかってのことだろうか。


■大善寺に立ち寄ろうとするも・・・
大善寺 それから少し歩くと『大善寺』という看板が見えてきた。大善寺は、国宝に指定された由緒あるお寺で、江戸時代に建てられたもののようである。
 この大善寺に寄ろうとしたのだが、受付の所に誰もおらず、声をかけても気配が感じられなかったので、面倒くさくなって結局見学しないまま寺を後にした。ちょっと疲れ気味だったかもしれない。ここまで、今日はほとんど無休憩に近い。
 その後、国道バイパスと分かれ、右の裏道へ。前方もいつの間にか開けてきており、甲府盆地全体が見渡せるようになってきた。が、この辺りかなりバテバテで、意識も朦朧としていた。これはあかん・・と今日は勝沼で終えることにした。と言っても、当初の予定通りなのであるが。

■勝沼ぶどう郷駅で終了
放浪5日目の終着点は、勝沼ぶどう郷駅 『上行寺』というところの手前の道を右折するとJR勝沼ぶどう郷駅。しかし、ここから結構距離があるのだ。しかも、坂道・・最後にずどーんと足に応える。もう最後は死にそうになりながらもようやく勝沼ぶどう郷駅に到着。かなりの高台にあるためか、とても眺めが良い!こりゃ、空気の澄んでる時に見たら、もっときれいだろうなぁ〜。そんな甲府の風景を見ながら、いよいよ甲府盆地の中心地だという思いと、今日一日無事に歩けたことを振り返りつつ大きく伸びをした。(つづく)
→第6日目 勝沼ぶどう郷−竜王


歩数計 35,279歩
カロリー 1,467.6kcal
距 離 21.17km
時 間 7:52〜13:58
支 出 交通費|2,630円
飲食費|1,049円
その他|0円

2003.4.14update
2007.04.07renewal


トップページ甲州街道を歩く(甲州道中)放浪日記>第5日目|初狩−勝沼ぶどう郷