東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:赤坂宿〜藤川宿
赤坂宿〜落ち着いた街並みがそこにはありました 赤坂宿
東海道36番目の宿場です。
隣宿の御油宿とは1.7qしか離れておらず、東海道中でも最も短い宿場間です。
「御油や赤坂吉田がなくば、なんのよしみで江戸通い」と俗謡に歌われたほど、遊女が多く賑やかな宿場でした。
現在は、鉄道開発地から外れたためか、静かな街並みを形成しています。
また、隣宿の御油宿との間にある松並木は「御油の松並木」として有名です。

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東側の見附跡です。御油の松並木を抜けたすぐのところにありました 見附跡
東側の見附跡です。赤坂宿の東側の入り口に当たります。
説明版によると、「『赤坂旧事記』によれば、寛政8年(1796)代官辻甚太郎の時、東側の見附を関川神社の前に移築したとされている。明治7年(1874)に取り壊された」とのことです。

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関川神社 関川神社
御油の松並木を抜けて、少し歩いたところにありました。
境内には、芭蕉の句碑と大きな楠があります。

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浄泉寺境内のソテツ 浄泉寺境内のソテツ
浄泉寺は、浄土宗のお寺です。境内には、間口15間、奥行4尺の観音堂に、百観音が安置されています。
本堂前にあるソテツは、歌川(安藤)広重の画で有名です。もともと、現在も営業を続けている旅籠・大橋屋にあったものを、「ソテツは金喰う木で、商売に向かない」とのことで移植されたとのことです。

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尾崎屋 尾崎屋
明治元年創建の曲輪(まげわっぱ)製品店です。桧を使った曲げわっぱは、40年以上持つといわれています。

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旅籠・大橋屋〜江戸時代から営業を続ける歴史ロマン溢れる施設 大橋屋(旅籠屋)
宿場時代に「伊右ェ門鯉屋」の屋号で旅籠を営み、今も当時のままの姿で営業を続けている旅籠・大橋屋です。建物は、正徳5〜6年(1715〜16)頃の建物。赤坂宿の全盛期における旅籠屋の形態をよく残しています。
館内の見学は可となっていますが(もちろん、お店の人に声をかけることを忘れずに)、小心者の私は見学しませんでした・・。
この建物は町の有形文化財に指定されています。

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杉森八幡宮・夫婦楠 杉森八幡宮・夫婦楠
702年、持統天皇が東国巡幸の折、当地の伊勢神宮領御厨跡に大神宮・八幡宮を勧請したのが起こりと伝えられています。境内の楠は(写真左の木)、一つの根株から日本の幹が出ているところから「夫婦楠」と呼ばれ、樹齢990年を越すと言われています。

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栄善寺 栄善寺
文永9年(1272)円空立信上人の創立です。本堂へ続く長い石段は平安様式で、本堂も二層式の珍しい建物だそうですが、私はここでえらい目にあいました。
なお、弘法大師がこの地で大日仏を刻み、盲目の男を治したという伝説があります。

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八王子神社 八王子神社
祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の御子五社三神を祀って八王子大権現と称したと言われています。

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一里塚跡 長沢一里塚跡
江戸から数えて77里目に当たる長沢村の一里塚跡です。

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誓林寺 誓林寺
嘉禎元年(1235)、親鸞が三河の矢作の柳堂にいた時、弟子となった誓海坊が草庵を建てたのが始まりと伝えられています。応仁の乱の頃(1467〜1469)、信海によって寺が建てられ、乙葉山誓林寺となりました。

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観音堂跡と磯丸「みほとけ」歌碑 観音堂跡と磯丸「みほとけ」歌碑
弘化3年(1846)、観音堂の妙香尼が旅人の落馬を機に歌人の磯丸に歌を頼み、念仏供養のために建てたものです。

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法蔵寺〜境内に見所の多いお寺です 法蔵寺
701年、僧行基が開山し、松平初代親氏が1387年に堂宇を建立。法蔵寺と改名したと言われています。
家康が幼い頃手習いを学んだとされる遺品が現存しています。

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賀勝水 賀勝水
日本武尊東征の故事が伝わる、賀勝水と呼ばれる硯水です。法善寺境内にあります。

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近藤勇首塚 近藤勇首塚
法蔵寺内にある新撰組組長・近藤勇の首塚です。
近藤氏のお墓は、あちこちにありますが、ここにある首塚は、もともとここの僧が近藤氏と懇意であり、近藤氏が官軍に殺されてさらし首にされていたものを引き取ったことが始まり・・・だったと記憶しています。
(→写真館

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本宿陣屋跡と代官屋敷 本宿陣屋跡と代官屋敷
元禄11年(1698)、旗本柴田出雲守勝門(柴田勝家子孫)が知行所支配のため、本宿村に陣屋を設けました。以来、明治に至るまで存続しました。

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秋葉常夜燈 秋葉常夜燈
「為当所笠井消除口」「寛政十三辛酉歳二月」(1801)と刻まれています。秋葉常夜燈の脇から秋葉社へ出る道にあります。

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欣浄寺 欣浄寺(ごんじょうじ)
東海道沿いから境内に移し再建された十王堂内に、地蔵菩薩座像が祀られています。桧の寄木造りで、鎌倉時代から室町初期の作です。

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本宿一里塚跡 本宿一里塚跡
江戸から数えて78里目に当たる、本宿にある一里塚跡です。
南側(左手)は明治初期、右手は昭和20年頃まで残されていました。

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2002.5.25update


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