#歴史探訪 上石原宿〜府中宿


甲州街道:上石原宿〜府中宿
上石原宿の現在〜どこにでもある風景がありました 上石原宿
日本橋から数えて8番目の宿場です。国領、下布田、上布田、下石原、上石原を合わせて布田5宿とも呼び、5宿合わせて一つの宿場の機能を持っており、一番西端にあたる宿場です。
現在は、特にかつての宿場の遺構は残っていません。

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西光寺 西光寺
徳川三代将軍・家光から御朱印地を受けた御朱印寺です。明治12年(1879)に火災に遭い、弘化4年(1847)造立の山門(写真手前)、享保年間(1716〜36)造立の仁王門(中央)などを除いて多くが焼失しました。
また、同寺は甲陽鎮撫隊所ゆかりの地でもあるらしく、山門手前に近藤勇坐像が設置されています。

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近藤勇坐像 近藤勇坐像
調布市「近藤勇と新撰組の会」が、近藤没後130年を記念し、近藤勇に関わる史実と史跡を末永く伝え、また観光の一環として西光寺山門前に近藤勇坐像を平成13年8月に設置しました。
写真で見るよりも、かなり大きい坐像です。

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瑠璃光寺薬師堂 瑠璃光寺薬師堂
石薬師像は、貞亨3年(1686)に元仙台藩医師の松前意仙の造った像で、お堂内に祀られています。
松前意仙は、仏門に帰依して諸国を巡歴、この地に居を定めてからは終日読経し、ときどき行脚、托鉢に出たといいます。この間に薬師如来を彫り上げ、大願成就後、深さ2.5メートルの墓穴を自ら掘り、「鉦の音が消えたら土をかけてくれ」といい、鉦を持って中に入りました。意仙は、座禅を組み読経を続け、数日後に成仏しました。

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行人塚 行人塚
瑠璃光寺薬師堂敷地内にあった行人塚です。
ここは、石薬師像を造った松前意仙のお墓でもあり、調布市の史跡に指定されています。

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染屋不動 染屋不動
染屋不動の本尊の銅造阿弥陀如来は国指定の重要文化財です。新田義貞が鎌倉攻めの際、陣中の守り仏として持ってきたものだと伝えられています。
このあたりは、かつて染屋という集落があったことからこの名がついているようです。

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常久八幡神社 常久八幡神社
創建年代の不詳の八幡神社です。なお、「常久」とは名主の名に由来しているそうです。
ちょうど紅葉の時期できれいに色づいていました。

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常久一里塚跡 常久一里塚跡
日本橋から数えて7番目の一里塚です。
甲州街道が整備された江戸初期に整備された一里塚であるため、現在の旧甲州街道沿いからは外れて品川道と呼ばれる道沿いにあります。この先のいくつかの一里塚はここと同じようなもの(品川道沿い一里塚)が多いです。

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鍋屋横丁 鍋屋横丁
鍋屋横丁の名は、旧甲州街道からこの道に入る角の家(佐藤家)の屋号「鍋屋」に由来するそうです。
同じ鍋屋の屋号のついた「鍋屋道」が北の方にあるとのことです。ちなみに、この石碑のある交差点には写真の通り「鍋屋」と名の付くお店が・・・これは偶然?

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2002.12.05update


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