#歴史探訪 勝沼宿〜栗原宿
甲州街道:勝沼宿〜栗原宿 |
勝沼宿 日本橋から数えて36番目の宿場です。 この辺りは、昔からぶどうの名産地で知られたところで、現在でも一帯はブドウ園が至る所に見られます。 宿場としては、当時はかなり横長だったようで、広重もここで昼食をとっているようです。 現在は、大きな見どころはないものの、江戸〜明治期にかけての建物をいくつか見ることができます。 今来たところへ戻る△ |
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上行寺 上行寺は、勝沼氏館跡の前にあるお寺です。 今来たところへ戻る△ |
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勝沼氏館跡 勝沼氏は、武田信虎(信玄の父)の弟・信友の家系で、武田軍団の御親類衆でしたが、永禄3年(1560)武田信玄に滅ぼされています。 その勝沼氏の館跡は、県立ワインセンターの建設問題がきっかけとなり山梨県教育委員会による調査が始まり、多くの遺物が出土しました。現在もまだ調査が行われているようです。 今来たところへ戻る△ |
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脇本陣跡 天保14年(1843)当時、ここに脇本陣が置かれていました。現在は、写真に写っている案内碑があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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本陣槍掛けの松 勝沼宿本陣に大名、公家などが泊まると、その目印に槍を立てかけた松と言われています。 今来たところへ戻る△ |
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勝沼宿仲町屋 江戸時代後期の主屋を中心とした東屋敷と明治前期の建築を中心とした西屋敷の二軒分の商家建築からなる住宅です。 今来たところへ戻る△ |
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旧田中銀行社屋 藤村式建築を今に伝える擬洋風建物です。明治時代に郵便電子局舎として建てられ、大正〜昭和初期にかけて山梨田中銀行社屋として利用されていました。 現在は、旧田中銀行博物館として一般開放しています。また、国の有形文化財に登録されています。 今来たところへ戻る△ |
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諏訪神社のケヤキ 目通り4.8メートル、樹高30メートル、樹齢300年と推定される勝沼町最大のケヤキで、町の天然記念物に指定されています。 今来たところへ戻る△ |
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勝沼学校跡 かつて、この地に藤村式学校建築の勝沼学校がありました。勝沼学校は、明治13年(1880)に建てられ、惜しくも昭和30年(1955)に取り壊されてしまいました。しかし、玄関の柱等が現存しています。 今来たところへ戻る△ |
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2004.2.1update
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