東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第18日目|知立−呼続 平成13年(2001)12月2日(日)

放浪日記第十八日目MAP|知立−呼続

平成13年(2001)12月2日(日) 東海道第18日目:知立−呼続 天気:晴
この日の旅の始まり・名鉄知立駅
 ぐっすり寝たはずが、目覚めが遅くなってしまった。まぁ、なるようになるさ・・とホテルを出た私は、電車に乗り前回旅を終えた知立駅に到着(写真左)。さっそく歩き出したのは時間にして9:53であった。
 今日も良い天気である。最近、放浪に来るとだいたい晴れの日が続いている。もちろん、そういう日を選んできているのだが、事前に雨の予報であっても、その日になると晴れるという・・・晴れ男ぶりをフルに発揮している感じであった。
 さっそく、前回旅を終えたところまで行き、旧東海道に戻り、今日もさっそく歩き始めた。
この辺りは裏道であるため、車の通りが少ない。他に何本も道が通っているため、車も分散しているようだ。
 その後、道は左に右にと曲がり、少し歩くと右手に大きな『イチョウの木』を発見。このイチョウ、ちょうど良い感じに黄色に染まっており、思わずニンマリ。良いタイミングで見れたなぁ〜と。
 イチョウを横目にさらに先を目指す。裏道を歩いていると大通りにぶつかったが、信号がなく地下道があ知立神社内の多宝塔〜厳かな雰囲気を漂わせていましたったのでそれを通過して向こう側へ。地下道を抜けた後、少し歩くと、再び交差点にぶつかり、右に曲がると『知立神社』だという。さっそく右に曲がり知立神社を見に行った。ここには、『多宝塔』という室町時代に再建されたものがあり、歴史を肌で感じることができる貴重なものである。
 その後、再び先ほどの交差点に戻り旧東海道を歩き続けることに。交差点からちょっと先にある総持寺と家康の側室・『お万の方の誕生地碑』を見た後、道はやがて再び国道へ。しばらく国道沿いを歩くことになった。
 ここで、また前日と同じようなことが起きてしまった。朝から何も食べてなかったのでどっかで食料調達をしたいと思っていたのだが、この国道沿い、運悪く何も店がない。結局コンビニなどに出会わないまま国道を離れることに。国道を離れてしまうとさらに期待がなくなってしまう。しかし、ないものはしょうがないと、我慢して歩き続けることにした。
 東海道を歩いていると、人間の生理現象が浮き彫りになるのと同時に、精神的に成長させてくれる気がする。元々私はその辺は分別ある人間だと思っているが、それでもこういった色々なことを経験させてく阿野一里塚近くの旧東海道。今は道の両脇にお店が並んでいるところがほとんどですれる放浪に来ることによって、さらに成長しているような気になってくるのだ。あくまでも気持ちの問題である(笑)
 そんなこんなでひたすら歩き続けていると左側に駅を発見。駅なら何かあるかも・・と思い、かすかな望みを託して駅に向かった・・が無かった。さすがにショックを隠しきれず先を目指すことに。しかし、駅を離れてからちょっと歩いて、歩道橋を渡ろうとしたその時、右前方にコンビニを発見!「おお〜天の助け〜」とばかりに、迷うことなくコンビニを目指した。さながら砂漠で水を探し求めた旅人のように。
 ようやくコンビニで飲食料を調達した私は、周りを気にすることなく歩きながらモグモグ食べ始めた。「う〜ん・・美味しい♪」もう格別の味であった。お腹空いている時なら何でも美味しいというが、今まさにこの時がその状態であった。
 お腹もふくれたことだし、さらに歩くぞ〜と思い、ふと前方を見てみると、また違うコンビニを発見。遅いよぉ〜今頃たくさん出てこなくても・・と心の中で突っ込みを入れつつ、コンビニ横を通過。ここで再び地下道をくぐって向こう側に。戦人塚〜モミジがちょうど良い感じに色づいていました〜♪
 しばらく歩いていると、前方に橋があった。この橋は境橋という橋で、ここが昔の三河と尾張の国境だったという。ついに、家康の三河から信長の尾張へ・・なんとなく感慨深いものがあった。
 そこから国道にぶつかり、しばらく国道1号沿いを歩いた。この辺りはわりと栄えており、今の豊明市に当たるところだ。
 その後、再び国道をはずれた先に『阿野一里塚』(写真館)があった。ここの一里塚は両側に現存しており、昭和11年に国指定史跡となっている。裏街道になっているところにあるためか、今日まで生きながらえることができたのだろう。これからもその姿をとどめていって欲しい。
 その先には、『一本だけ植わっている松』があった。昔はこの辺は松がたくさん植わっていたのだが、いつしかこの一本だけになってしまったらしい。人間の利便性の追求の結果がこれである。その恩恵に預かっているので何も言えないのだが、やはり歴史を大事にすることが、未来を切り開いていくものだと思う。
間の宿・有松。ここを歩いていると、昔の情景を思い浮かべることができます そこから道を歩き続けていると、なかなかこぎれいな名鉄の前後駅を左手に、さらに西へ。この辺りを右に曲がると桶狭間の戦いで負けた今川家の武将を埋葬して供養した戦人塚があるはずだ。と、さっそく道を発見したので右に曲がってみた・・・が見つからない!むむ・・・いったい・・・。ウロウロと探してみたが見つからない・・。もしや、道を間違えているのでは・・(って、早く気づけっ)。というわけで、旧東海道ではない違う道をさらに西に歩いていると、「あった〜!」戦人塚へ続いている道を指示している立て看板を見つけた。やはり間違っていたのだった。これで見に行ける・・とホッと安心して、さっそくその道を登り始めた(登り坂なのだ)。
 そうして、ようやく『戦人塚』に到着。ここはちょっとした高台になっており、しかもモミジが良い色に色づいており、塚をさらに良い雰囲気にしていた(写真上、写真館)。
 ここで休んでいこうと思ったが、まだ先があるし、足もまだ大丈夫そうなのでこのまま歩くことにした。
再び旧東海道に戻り、一路西へ。そのままテクテク歩いていると再び国道と合流した。少し国道沿いを歩き、名鉄のガードをくぐった後右へ。
 少し歩いたところに公園があり、ここが昔、織田信長が急襲して今川義元を破った『桶狭間古戦場伝説地』(写真館)なのである。うーん・・また歴史上の貴重なターニングポイントの現場に遭遇してしまった。この思いはいつ感じても良いものだ。
間の宿・有松その2。ここで生活している人も多数おります 公園の中をグルグルと廻ってみたところ、他にも『今川義元が殺されたところなどの碑』があり、妙なリアル感がわき起こってくるのを感じていた。その当時の光景が目に浮かんでくるようだ・・・。実際にその歴史上の出来事が起こった場所に来ると想像力が働きだすのだ。
 十二分に思いを馳せた私は、この後、『今川義元の本陣跡』があったという『高徳院』に立ち寄り、再び旧東海道に戻り歩き始めた。
 少し裏道を歩き、国道へ。またすぐに裏道に入った時、そこは昔ながらの街並みが続いている街であった。ここは、有松といういわゆる間の宿と言われるところで、有松絞りという絞り染めで有名なところでもある(写真上、写真右、写真館12)。
 こうした古い家並みが残っているところは、これまでも何箇所か見てきたが、やはり良い。良いものは良いのだ。
 たまに過去に思いを馳せたい時がある。振り返るのではなく、偲ぶのである。そんな時、こうした街並みに出会うと、その時代にはいないはずの自分がいつの間にかタイムスリップして、心が満たされるような気がするのだ。
千句塚公園からこれから向かう宮宿・熱田神宮方面を望む さっそく街中を歩くことにした。が・・・・景観的にはとても素晴らしいのに、一つ大きな懸念事項があった。それは、ここが車の抜け道となっていることだ。なまじ綺麗に整備されているものだから、車もスースーと通過しており、歩いていて危険きわまりない。この街並みを保存していくためには、できるだけ昔のままの姿が一番なのだが、このままだといつか大きな事故などがおこりかねない・・と思った。こういう時、ふと仕事を考えてしまうのだが、せっかくのきれいな街並みなのだから、まず電線を地中化して車交通を遮断、もしくは最低でも一方通行化するなどして、もっと歩行者の立場からまちづくりを考えて欲しい・・・と、ウォーカーとしての視点からものを申してみた。
 話が逸れてしまったが、やはりこういう街並みは気持ちが安らいでくる。ゆっくりと街を徘徊した私は、次なる場所へと足を進めることにした。
 そのまま道なりに歩いていく。しばらく見どころがないところが続く。しかし、先ほどのインパクトが残っているためか、特に大きな負担にならずテクテクと歩き続ける。途中、コンビニで新たに飲み物をゲットし、さらに先を目指す。
 しかし、なんとなくだましだまし来ていたのだが、徐々に膝の調子がおかしくなってきているのを、感ぜずにはいられなかった。それでも、先へ先へ・・と一歩づつ着実に歩みを行うさまは、ウォーカーの鏡だ・・とたまには自画自賛したくなるものだ。
鳴海宿手前で見かけた紅葉された並木道のある街道を望む どのくらい歩いたのだろうか、ようやく次の宿場である『鳴海宿』に入ったようだ。『鳴海宿』・・ここも割とお寺などが残っており、昔ながらの街並みも比較的残っているようだ。その割には、街自体も全体的に活気があふれているような感じがあり、良い感じではあった。
 ちょうどこの辺りは、JR東海が企画している‘日本往来’という東海道歩き企画のモデルコースになっているためか、その地図を持った多くの人に出くわした。私は、お寺などに立ち寄りつつ、さらに先を目指すことにした。
 宿場内で道は大きく右に曲がり、道はさらに続く。
 しばらく歩き、大きな交差点の手前で右に曲がり、車の通ることの出来ない狭い道をエッチラオッチラ登ると、そこは千句塚公園というところで、ここからこれから行く予定の熱田神宮のある熱田方面を望むことができた(写真上)。天気の良いこともあって、遠くまで見渡すことができた。これから先歩く道を見ることにより、なんとなく勇気が湧いてくる感じだ。
神社で見かけた紅葉 この公園は、『松尾芭蕉自筆と言われている句碑』もあり、芭蕉存命中唯一の碑でもあるそうだ。気持ちの良い公園だったので、この日初めてゆっくりと休んでいくことにした。
 その後、身体の疲れもとれてきたみたいなので、さらに先を目指すことにした。
 またしばらく何もないところが続く。ところが、この辺りの道は、道沿いが植栽されており、ちょうど色づいた葉が心を和ましてくれる。寒い時期ではあるが、逆にこの時期だからこそ見れるものもたくさんあるのである。そんな気持ちのまま歩き続ける。
 しばらくして、大きな一里塚、『笠寺一里塚』に到着。ここの一里塚も一箇所だけであるが昔からのものが現存しており、塚には大きな榎木が植わっていた。
 この辺りは、微妙な登りが続く。それから少しして大きなお寺が見えてきた。なんだろうと地図を見てみると、どうやら『笠履寺』というお寺で、とても立派なお寺であった。しかも、周辺にはいくつか別のお寺があり、とりあえずこの辺りをお参りすることにした。
本日の最終地・呼続駅。これは「よびつぎ」と読むんですね。よめんわーーーーっ(笑) 周辺をぐるっと散策した後、同お寺を後にすることにした。しかしさっきから足の調子があまりおもわしくない。
 お寺を後にしたあと、大きな交差点を渡り、鉄道を横切り、そのまま道は右へ。この辺りも寺社が多く残っているようだ。昔の人がどれだけ信仰していたかが伺える。そして、それが今もなお続いていることは、こうした寺社が残っていることで証明できている。
 さらに歩き続けていた。ところが、やはり足の方からのいやな予感が絶えない。ここから次の『宮宿』まで残り3q弱・・・かなり迷った末に、結局近くの名鉄の呼続駅というところで今回の放浪は終わりにすることにした(写真右)。こんな中途半端なところで終わりにしたくなかったが、帰りのことを考えるとあまり無理はしたくなかったからだ。
 しかし、結果的には2日間を通して良い旅路だったと言えるような旅だった。そう満足した私は、駅の改札をくぐったのだった。(つづく)
→第19日目 呼続−阿倉川


歩数計 28,666歩
カロリー 1,192.5kcal
距 離 17.20km
時 間 9:53〜15:32
支 出 交通費|6,100円(新幹線は片道分)
飲食費|1,399円
その他|7,350円(宿泊代等)


トップページ東海道を歩く(東海道五十三次)放浪日記>第18日目|知立−呼続