東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記 | |
#第20日目|阿倉川−内部 平成13年(2001)12月16日(日)
平成13年(2001)12月16日(日) 東海道第20日目:阿倉川−内部 天気:晴(寒い) |
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久しぶりに旅路に来た時に朝早く目覚めた。前日、夕方の7時前に寝たからだろうか(爆)ってかなり早すぎ(笑)。疲れているのにも係わらず珍しくビールなんぞを飲んでしまったからだろう。それから夜中に何度か目覚めたが最終的には7時過ぎに目覚めた。そして、朝からモーニングコーヒーなんぞを飲む・・ここは、インスタントではあるがお茶のティーバックだけではなく、コーヒーもついているのだ。そんなこんなでゆっくりと出発の準備を始めた。 準備をしながら窓の外の景色を見てみると、四日市の町並みが見える。この日は四日市のホテルに泊まったのだ。ほんとならば、ここから歩き始めるはずが、昨日の途中、例の悪い虫が騒いだためフラフラと立ち寄りをしてしまったため、2駅ほど逆戻りして歩き始めなければならないのだ。 しかし、この四日市というのは、本当に工場が多いところである(写真下)。あちこちに煙突が立っており、どの煙突からも煙がモクモクとはき出されている。昨日まで歩いてきた昔ながらの町並みも、そこだけ見ればホッと安らぐ空間が拡がっているが、ちょっと目線を遠くに移すとそこには工場の煙突がニョキニョキと顔を覗かせている。時代の移り変わりをあらためて実感した。 そして、準備が整ったのでさっそくホテルを後にして、近鉄四日市駅から電車に乗り、前回旅を終えた阿倉川駅に到着。さっそく歩き始めることにする。時間にして8時30分。 歩き始めて早々に身を縮める。今日も寒い。しかし、晴れているためか、はたまた風がほとんどないためか昨日よりはいくぶん和らいでいるようだ。今日も昨日と同じような感じだとちょっと辛いところだった。 まずは、旧東海道に戻る前に、昨日見そびれていた『羽津城跡』を見に行くことにする。ホントはこれが見たかったから昨日わざと途中で終えたのだ・・(すみません、ウソつきました・・)。地図に従って道を曲がり、城跡があるらしきところまでたどり着いたが・・・ない・・。人に聞こうにもこんな朝早くから人は歩いていない。どうしたものかと周りをぐるっと見渡してみると、「ん?」・・前方にこんもりした山を発見。もしや・・とそこに足を運んでみると公園になっていた。ここだっ!・・と確信を持った私は公園内をウロウロ・・と、やはり『羽津城跡の碑』があった。旅に来ると、こういう野生の勘というもの(?)が強くなるのだ。無事発見して満足した私は、公園を後にして、再び旧東海道に戻り一路西に向かって歩き始めた。 しかし、今日はかなり気分的に楽である。電車の駅の関係・次回の放浪との関係で今日はほとんど距離を歩かない予定なのだ。だから、ペースもかなりゆっくりめで、見るべきところは見ていこうと決めていた。 少しの間、テクテクと国道沿いを歩く。しばらくして、多度神社というところで裏道へ。国道とは違い、裏道は車もまったく通っておらず、町はゆるやかな時間の流れを醸し出している。こういうところを歩くのが、この放浪の醍醐味でもあるのだ。途中、いくつかのお寺を見つつさらに西を目指す。 そして、目の前に見えてきたのが『三滝橋』。ここが歌川広重の描いた東海道五十三次絵のスポットとなっている。しかし、その当時の面影はまったくなく、コンクリートに固められたただの冷たい橋になっていた。 この橋の上から昔は海が見えたという方向を見てみる。今は、海どころか工場の煙突しかみることができない。 橋を後にした私は、ほどなくしてかれこれ300年は営業しているという『なが餅舗・笹井屋』を発見。ここでは、四日市名物・なが餅が売られており、その昔・戦国時代において藤堂高虎が空腹で一文無しで"出世払い"を条件に「吾れ武運のながき餅を喰うは幸先よし」と勇んで食べたという逸話が残っている。藤堂高虎は、後世の評価は良し悪し色々とあるが、やはりそれだけ名を残しているため、かなりの実力派だったと思う。 さらに西を目指す。途中、仏具店のところで、旧東海道は先ほどの国道に分断されてしまっており、やむなく迂回をして国道を横断し、再び国道反対側の旧東海道を歩き始めた。 もうこの辺りは『四日市宿』である。この宿は、昔の面影はほとんど残っておらず、旧東海道はこの先アーケード商店街と化していた(写真上)。ここまで45分・・ゆっくり歩いてきたつもりだが、まだこれしか時間が経ってない。 アーケード商店街に入る前に、その手前にあった『諏訪神社』でお参りする。お参りする前に、昨日心に誓ったことをすることにした。「パンパンっ」大きな音を立ててお参りした。うん、とっても気持ちが良い!この朝早くからお参りに来ている人も皆大きな音を立ててお参りしている。この辺りの人は、みなこれが当たり前なのだろう。そして、それはまた、生活に結びついた寺社の位置づけをより実感した瞬間でもあった。 神社を後にして、アーケードの中に入る。まだ朝も早いためお店はどこもやっていなかった。シャッター通りをひたすら歩く。アーケードを抜けた後、私の視界には、朝、ホテルを出た後見た、見覚えのある近鉄百貨店のビルを捉えることに成功した。というより、かなり大きなビルなので視界に入らないわけはないのだが・・(笑) ここでちょっと旧東海道を逸れ、駅のトイレに行って、この先食料調達が出来ないと困るので、コンビニに立ち寄り飲食料をゲット。再び意気揚々と歩き始める。 ちょっと裏に入ると、ひっそりとした町並みがある。四日市駅前はかなり栄えているのに、えらい違いだ・・。そんなこんなで、昔ながらの町並みの中をテクテクと歩き続ける。しばらく何もないところが続く。 しかし、車がひっきりなしに通過していく。地方というのは、車中心の社会であるためこういう裏道も車の往来が絶えることがない。せっかくの気分が台無しになることもある。 かれこれどれくらい歩いたのだろうか。いくつかの寺社を見て、川を渡り、途中懲りずにまたまたフラフラと立ち寄ったりして歩き続ける。途中、ぼぉーっとしていて日永の一里塚跡を見逃す。 泊というところで「紀伊国屋本家」と名の付く建物を発見。詳しいことはわからなかったが、本屋の紀伊国屋とは違うらしい。敷地の中にあった看板によるとお酒をつくっているのだろうか・・・。 そうして、長かった裏道から再び国道に入ったその時、私の視界には『日永の追分』の鳥居と石碑が飛び込んできた。この『日永の追分』からは、南の伊勢まで続いているという伊勢街道と東海道との分岐点となっているのである。 この鳥居などを写真に収めた後、伊勢に続く道を見てみた。先駆者の浮浪雲さん達が、そして弥次喜多がここから伊勢参りに行ったのだろう。しかし、私は今は東海道を歩いているのだ。ここは、また機会を見つけてだ・・・そう思った私は、さっそく旧東海道の続いている道を再び歩き始めた。 すぐに近鉄の踏切を渡り、またすぐに裏道に入る。この辺りも町並みが割と残っている。しかも道が細く車もほとんど通らないため、ゆっくりと町並みを堪能することができた(写真上)。 そうこうしているうちに今日の最終目的地である近鉄内部駅に到着(写真左)。時間にして11時半過ぎ・・・今日は結局3時間くらいしか歩かなかったが、結構満足した放浪ではあった。 次回の放浪を考えるとワクワクしてしまう。どうしてこんなにもワクワクしてしまうのだろうか。この気持ち、いつまでも忘れないで旅を続けていければと思う。そして、私は、内部駅へと向かったのであった。(つづく) |
→第21日目 内部−亀山 |
歩数計 | 16,010歩 |
カロリー | 666.1kcal |
距 離 | 9.61km |
時 間 | 8:30〜11:36 |
支 出 | 交通費|6,840円(新幹線は片道分) 飲食費|577円 その他|5,985円(宿泊代等) |
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