美濃路を歩く / 放浪日記 | |
#第2日目|萩原−大垣 平成14年(2002)1月13日(日)
2002年10月13日(日)美濃路第2日目:萩原−大垣 天気:晴れ(夏日) | |
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■美濃路2日目スタート
今回の放浪は、思っていた以上に昔ながらの街並みを堪能できて嬉しいのだが、なんとなく時間に縛られてしまっているようで、ちょっと矛盾を感じ始めていた。今日は、もっと街道歩きを楽しもう・・そう思った私は、万歩計をリセットして萩原駅を出発した。時間にして9:35であった。 |
■萩原宿をゆく
宿内をのんびりと歩く。祭りの日であるためか、普段の町とは違う顔になっていると思うが、割と昔ながらの家が見られるよさげな印象を受ける。 『正端寺』のあるT字路で右折。『問屋場跡』や『本陣跡』の石碑を横目にのんびりと。今日も一日暑くなりそうだ。 |
■現存している富田一里塚に感動・・
「おおっ〜でけー!」 確かに道の両側に榎が植えられた一里塚が現存していた。それも「モノホン」の一里塚である。この美濃路沿いには、ここまでの規模のものは、こことあともう一カ所のみなので、それだけ感慨もひとしおだ。 ずっとここにいたい気分だ・・・しかし、今日も先は長い。後ろ髪ひかれまくりながら一里塚を後にする。 一里塚を後にした私は、街道をテクテク歩く。しばらく行くと、割と車通りのある道と合流。この辺りは歩道がないので車に注意しながら歩く。 |
■尾西市歴史民俗資料館に到着
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この家屋・・昔の家屋独特の木の香りとでも言えばいいのだろうか・・・よくおじいちゃんやおばあちゃんの家で嗅いでいたようなにおいがするのだ。なんか妙に落ち着く・・。 ここの建物を十分堪能した私は、この別館を出て本館の方に向かった。今回の旅のきっかけは、ここの館長から送ってもらった地図であった。館長に会ったらお礼を言おう・・・そう思いながら建物の中へ。 |
1階は『起宿』の紹介を模型や当時の服などを通して行っており、2階部分では、近代の地域住民の暮らしぶりなどの用具等を展示していた。とりあえず、ここに来ればこういう勉強はできるだろう。その後見終わった私は再び事務室前に。ところが、事務室には誰もいなくなっており、結局館長にお礼を言うことができないまま施設を出ることになってしまった。その後、脇本陣に併設している庭園を見学した後、同資料館を後にした。 |
■昔ながらの街並みが残る起宿をゆく
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■木曽川を渡るが・・・・長い!
しかし長い・・・・しかも歩行者は私以外誰もいない。まぁ、こんなとこ歩く人など街道歩きをしてる人以外はめったにないだろう。たまに自転車が通る程度で、あとはみんな車で行き来している。車に乗ってる人が「あの人、なんで歩いてるんだろう・・」という目つきでこちらを見ては過ぎていく。ほっといてくれ・・好きで歩いているんだいっ! |
■美濃路を見失うも・・
この道を通過している車は、相変わらずスピードを落とさなくて恐いので、違う道を歩くことにした。ところが、これがいけなかったようで、道に迷う結果になってしまった。 とりあえず昨夜と違って今日は昼間だ。地図をじっくり見て、とりあえず方角と位置を確認し、きっとこの道を歩けば美濃路にぶつかる・・と、歩き続けた。しばらく店も何もないところを歩くと、前方にそれらしき道を発見!近づいてみると、美濃路らしき道だった。良かったぁ〜。美濃路に曲がるべき角にあったコンビニで飲料補給する。そして、ようやく美濃路に復帰し再び西に向かって歩き始めた。 |
■地元住民に道を尋ねてみる
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■黄金色の景色の中をゆく
それからしばらく細い道を歩いていると車通りの激しい大通りにぶつかった。ここで再び地図を見てみると、この辺りからしばらく美濃路が消え失せている。一帯が田んぼと化しているので、おそらく「ほ場整備」した時に、道も消滅したのだろう。とりあえず、大通りをしばらく歩き、その後田んぼの中の道を歩く。どこを見ても黄金色の景色が拡がっている。紅葉は見れなかったが、この景色を見ることができたのは良かったな〜。 |
■変わった名前の神社で休憩
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美濃路から逸れていた私は、ほどなくして美濃路らしき道にぶつかり、そのまま美濃路を歩き始めた。この辺りは、ほとんど車の通らないのんびりしたところが続く。ちょっと日差しが強いけど、快適な歩きができて気持ちいい〜。 その後、川沿いの堤防らしき道をひたすら歩く。土手の上であるためか、周辺の視界には住宅が見られなくなり緑が増え、しかも横には川が流れておりますます良い感じだ〜。 しかし、しばらくして単調な景色に少々飽きてくる<おいっ とりあえず目印となる「西小熊一里塚跡」を目安にひたすら先を急ぐことにする。しかし、行けども行けども石碑は見えてこない。もしかして、また見落としてしまったのか・・ただでさえ少ない一里塚なのに・・。ちょっとガックリしながらもしょうがないさ、と持ち前の軽さを出して歩き続けることに。 |
しかし、この時は道を間違えているとは露にも思わず、ひたすら歩いていた。しかし、歩くにつれて、なんか道を間違えているらしい・・と気づくことになった。どっちにしてもこの先の一部分は、かつての美濃路は消え失せてしまっているので、とりあえず復帰ポイントを長良川に架かっている長良大橋と決めて、まずはコンビニを探すことにした。しばらく適当に歩いていると、遠くにコンビニを発見!この時は、街道歩きの道のことなどすっかり忘れてひたすらコンビニめがけて歩いた。そしてようやく飲料ゲット!ふぅ〜ホッと一息。 |
■要塞(ホントは橋)の中をゆく
要塞(ホントは橋←しつこいっちゅうねん)を歩いていると、遠くにお城が見える。おっ!あれは次の宿場にある墨俣城ではないかっ!早く間近で見てみたい〜・・足が自然早足気味になる。しかし、歩けど歩けどお城はいっこうに近づいてこない。この美濃路沿いにある橋は、どれもこれも長いのだ。 |
■墨俣宿に到着
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■墨俣城を見学!
日曜日ということもあって、子供連れが多い。城の内部に飾ってあるものは、まぁどこのお城と大差ないような展示物だった。この墨俣を中心とした歴史の勉強にはなるだろう。もっとも、このお城は秀吉(当時は木下藤吉郎と名乗っていた)が一夜にして築いたと言われるお城なので、それに関したものが多かったかな。一夜で築いたという信憑性はともかくとして、秀吉は好きなので色々と勉強させてもらった。その後、展示物を見つつ天守閣展望室へ。 |
展望室からは、周辺に遮るものが何もないためかなりの絶景!グルグル回って、十分満足したので下に降りて、受付のおばちゃんにお礼を言って城を後にした。 |
■墨俣宿をゆく
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■見逃したと思っていた一里塚跡を発見
それからしばらく歩いていると、ちょっと土手下のところに石碑が見える。地図を見ると、とくに何も記していないのになんだろうと土手を降りて見に行ってみると、なんと見逃したと思っていたはずの『東結一里塚跡石碑』ではないかっ!どうやら地図を先読みしすぎていたらしい。これは嬉しかった〜。さっそく写真に収め、再び先を目指す。 |
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■結神社でお参り
その後、道に間違えていることに気づかず神社を後にして先に進んだ。そして、テクテク歩くとかなり大きな通りにぶつかった。ここで初めて間違いに気づいた。地図を見ると、T字路のはずなのに、十字路だし、標識を見ても、方角と行き先が違う。さんざん迷って大通りを左に向かって歩き出す。すると、事故があったのか警察官がたくさんウロウロしていたので、そのうちの一人に聞いてみた。「大垣はこっちですか?」「そうだよ〜」良かった〜さっそくその警察のおじさんにお礼を言って意気揚々と歩き出す。 |
そのまま上り坂となっている道を進むと、川が見えてきた。この川は、揖斐川であった。またまた川幅が広いので、長い長い橋を渡る。遠くには、今朝乗ってきた電車が走っている。今日は、それだけ歩いてきたんだなぁ〜。それから、ようやく橋を渡り終えて、今度はかつての川渡しのあったところから街道復帰することにする。 |
■西日を浴びつつ美濃路をゆく
あまり車の通らない裏道を歩く。途中、大きな見所がないため、ひたすら先を急ぐ。美濃路は、いつしか裏道から車通りの激しい大通りへと。だいぶかつての『大垣宿』、現在の大垣市の中心部に近づいてきたようだ。ちょうど真西に向かって歩いているためか、西日がめちゃくちゃまぶしいぃぃ・・。 |
■美濃路放浪2日目終了!
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歩数計 | 37,883歩 |
カロリー | 1,576.0kcal |
距 離 | 22.73km |
時 間 | 9:35〜17:27 |
支 出 | 交通費|700円 飲食費|2,280円 その他|200円(入館料) |
2003.3.29update