美濃路を歩く / 歴史探訪 | |
美濃路:名古屋宿〜清須宿 |
岩倉街道道標 岩倉街道との追分にあたる道標です。 「にしび夢だいこん」像の近くにありました。 今来たところへ戻る△ |
|
高照寺 明治33年(1900)、東六軒町に住んでいた伊藤たか・てる姉妹の寄進によって建てられたお寺です。そのため、「たか」・「てる」の名をとって高照寺と名づけられました。 今来たところへ戻る△ |
|
問屋記念館 下小田井の市の由緒ある問屋の一つ、山田九左衛門家を移築し、青果問屋の商いと暮らしを再現しています。 今来たところへ戻る△ |
|
西枇杷島の街並み 西枇杷島の街並みは、細い道に写真のような家が点在しており、歩いていてとても楽しかったところです。車の往来もそれほど多くなく、お薦めしたい街並みの一つです。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
|
屋根神様 屋根の上に祀る名古屋独特の神社形式で、火難や疫病よけと言った意味が込められています。 最近は、徐々に壊されつつあるそうで、旧街道沿いなどに残っている程度だそうです。 今来たところへ戻る△ |
|
瑞正寺 ここのお寺には、日本一という宝塔があるそうですが、私は未確認です。外からこっそり写真を撮らせていただきましたが、とても落ち着いた感じのするお寺でした。 今来たところへ戻る△ |
|
今川塚 永禄3年(1560)、織田信長は4万の大軍を率いる今川義元を桶狭間にて奇襲し、わずか3千人の兵でうち負かしました。 その後、義元の首級と義元愛用の刀、宗三左文字と脇差を掲げ、熱田から清洲まで美濃路を凱旋しました。 その際、信長はこの地に、敵将今川義元の首をさらし、その菩提を弔うため、義元塚を築き、衆僧に千部経を読ませ、大卒塔婆を立てたといわれています。 今来たところへ戻る△ |
|
外町一里塚道標 元須ヶ口一里塚道標とも言うそうです。 もともと一里塚のあったところの用水を改修した際に皮の中から写真に写る石が見つかり、現在の場所に据え置かれました。 そのもともと一里塚のあったところは、現在の美濃路と名鉄津島線が交わるところ付近です。 今来たところへ戻る△ |
|
正覚寺 かつての一里塚の道標は、このお寺の前にありました。写真の奥に写る建物がお寺です。 今来たところへ戻る△ |
←名古屋宿−清須宿その1 | 清須宿−稲葉宿→ |
2003.03.17update