#第3日目|西八王子−上野原 平成14年(2002)11月30日(土) 天気:晴


放浪日記第三日目MAP|西八王子−上野原


■巨大な人工物
 テクテク歩いているうちに、遠くに見えていた巨大な人工物が目の前にせまってきた。中央自動車道である。実際にこの道の上を車で走っている時は気づかないが、こんなすごいところを走っていたのかと、災害が起きた時のことが脳裏をかすめゾッとした。しかし、現在橋桁の耐震工事を行っている途中で、一応対策はしているようだ。

巨大な人工物


■行き止まりと化す甲州街道
 そのまま道なりに歩いていると、橋下に『馬頭観音石碑』があった。そして、その横にはかつての甲州街道の道がどうなっていたのかと記した看板があった。この看板によると、今の中央高速のあるところを通っていたらしいが、現在は大きな岩が立ちふさがっていてとても無理だ。なので、そのまま既存のアスファルト道路を歩くことにする。


周りの山々は、このようにきれいに色づいていました〜小原宿付近より そうこうするうちに大通りにぶつかった。再び国道20号に合流である。そして、この20号との合流地点に底沢バス停がある。とりあえず、道路の反対側にしか歩道がないので、車のいない隙を見計らって横断歩道を渡る。さすがに国道は交通量が激しい。
 色づく山々を見つつ、緩やかな上り坂をテクテクと。狭い歩道が広くなってきた頃、前方にコンビニ(セブンイレブン)が見えてきた。そして、その右手には大きな屋根の家屋が。どうやらこれがかつての『小原宿本陣』のようだ。そして、この辺りがかつての『小原宿』らしく、「甲州街道小原宿」と書いた碑などが見られる。さっそく道路の反対側に渡り、本陣の中へ。

■小原宿本陣にて
 家屋に入ると、管理人のおじさんがテレビに夢中になっていたので、記帳をする。すると、おじさん気づいたらしくニコニコしながら資料ご自由にどうぞ〜と言ってくれたので、お礼を言ってそこに置いてあった資料をいただくことにした。どうやらここを訪れる人は少ないらしい。記帳した人もこの日は私が初であった・・もう午後になっているのに・・。とりあえず、靴を脱いで内部を見学することにした。
 この本陣は、本陣とはいいつつも、東海道筋の二川や草津の本陣ほど大きくなく、脇本陣、もしくは旅籠くらいの規模に感じられた。それでも、かつての遺構に直接触れることができたのが嬉しかったので、誰もいないことをいいことに、縁側でゴロンと寝転がってみた。うーん、12月とは思えないポカポカ陽気が気持ち良い〜。
 このまま眠ってしまいそうだったが、そうはいかんと体を起こし、おじさんにお礼を言って本陣を後にした。歩き出す前に、本陣の対面にあるコンビニで飲料を調達。コンビニ前の駐車場には若い人がたむろしていたが、目の前にある建物がどんなものなのかまったく知らないのだろうな〜と思いつつ、再び西に向かって歩き始めた。

小原宿本陣



■地元の案内指示版を頼りに歩く
このひらの旅館の分岐点で右に曲がるのが旧甲州街道ですっ しばらくは国道沿いを歩き、小原宿本陣から500メートルほど歩いたところにある平野旅館のところで国道を外れて右の坂道に曲がる。ここの分岐点には、この先の旧甲州街道の行程が書いてある。

 「甲州道中はここを上って、中丸三叉路を経てえんどう坂を下り、桂北小学校前へ出ます。」

 「中丸三叉路」とか「えんどう坂」とか地元の人しか知らないようなキーワードを書かれても・・と思いつつも、相模湖町(現・相模原市)の配慮を嬉しく思いつつ、目の前の坂道を上り始める。上り切ったところに三叉路があり、これが「中丸三叉路」かと思いつつ左の道へ。
坂を下っているとこの階段が右手にあります。ここを下るのが旧甲州街道 そのまま道なりに歩き、次の分岐点を左に行くとまっすぐに伸びた下り坂がある。これが「えんどう坂」かとさっそく下り始めるが、坂の途中右手に階段があり、その階段を下るのが旧甲州街道。<再び指示版があった。しかも、「えんどう坂」は、今下っていた坂ではなく、この階段を下りきった先にある下り坂のことを指すらしい(推測)。右手に鉄道を見つつ、『えんどう坂』(推測)を下り、そのまま道なりに進むと再び国道20号にぶつかった。ちょうどぶつかった所にある20号沿いの小学校が桂北小学校なのだろう(未確認)。


■与瀬神社に立ち寄る
 再び国道を歩く。相模湖駅入口の交差点などを過ぎ、ひたすら歩いていると右側に『明治天皇小休止址の石碑』がある。ここの奥にある道を右手に上るのが旧甲州街道らしく、再び国道をはずれる。ほどなくして前方に階段があるので、旧甲州街道を外れてさっそく上り始める。この先には『与瀬神社』があるのだ。中央道の陸橋を渡り、さらに建築基準法に違反しまくっているような急な石段(笑)を登った先に本殿があった。旅の無事を祈願して再び今来た道を戻る。下りは、前方に相模湖が拡がっておりなかなか良い景色を見ることができた。生憎逆光だったが・・。

建築基準法違反

ここで国道20号を外れ、右の坂道を上ります。ちなみに、この写真を撮った上空には中央高速道の高架があります 再び街道に復帰して歩き始める。途中、再び国道に合流するも、日本一まずいと豪語する(?)ラーメン屋(看板に書いてあるのですが、実際はホントにマズイんでしょうか?)を過ぎてすぐのところ右手に上り道があるので、国道を外れてそちらの道を行く。

■相模湖を一望
 しばらく裏道が続くので、車も減るだろうと思いきや、思ったより車の往来がある。どうやら国道の裏道になっているらしい・・。それでも、相模湖を一望できるなど、ポカポカ陽気も手伝ってなかなか良い感じだ。

相模湖を一望


■藤野町郷土資料館に立ち寄る
郷土資料館 その後、約4キロほど歩いた後、自動車工場のところを左に曲がり、ひたすら道なりに下っていくと再び国道と合流。ここで右に曲がる。この辺りの国道は歩道がないので歩行要注意だ。ほどなくして左手に『藤野町郷土資料館』を発見。さっそく中に入る。
 誰もいないので、とりあえず受付で記帳して中を拝見させてもらう。1階を見終わって2階へ行こうと階段を登っていたら後から管理人のおじさんがついてきて「電気つけないと暗いね〜」といいながら、私一人のために館内の電気をつけてくれた。そのまま展示してある昔の農耕具等を丁寧に説明してくれた。その節はありがとうございました。
 おじさんによくよくお礼を言って資料館を後にする。この資料館付近がかつての『吉野宿』であり、資料館前に『本陣』があったようだが、現在は何も残っていない。崩れかけの蔵がかろうじて残っている程度か。
 さて、ここからはしばらく国道歩きになる。歩道があったり、なかったりするところがあり、危険きわまりない。しかも大型のトラック等も通ったりしてるから尚更危険だ。そんな車に注意しつつ先を目指す。


■国道を離れて裏道へ
国道20号からこの分岐点を左に下ります。 ひたすら歩き続け、資料館から3キロほど歩いたところがかつての『関野宿』。現在は特に何もないが、昔ながらの家を数軒見かけた。やっぱり甲州街道は東海道に比べて昔ながらの街並みを見られるところが少ないなぁ・・・なんて思いつつも先を目指す。冬の日の沈みは早いので、すでに日差しが西日になりつつある。今日の終着点は上野原駅・・まだまだ1時間近くかかるだろう。急いで歩くつもりはないのであるが、徐々に暗くなってくると焦りが生じてしまうのだ。

 関野宿を過ぎ、さらにクネクネした道を歩いていると、名倉地区というところで信号にぶつかる。この信号で国道を外れて左の下る道を行く。道を下り、境沢橋を渡ると相模国から甲斐国へ。ところが、この大事なポイントの写真を取り忘れる。ちょっとお疲れモード入っていたかも。
この辺りもきれいに山々が色づいていました〜上野原町から島田湖・藤野方面を望む ほどなくして大通りにぶつかったので、ここを右に。せっかく下ったのに、再び上り坂になる。かなりの急坂であるが、振り返ると良さげな景色をみることができ、これをパワーの源にしつつ、さらに上る。
 ようやく上り坂が終わりかけた頃、右手に『諏訪関所石碑』があった。そして、その道路の向かい側には上野原町(現・上野原市)内の旧東海道に関連する大きなマップ看板があった。これは後々役に立つかも・・と、さっそく写真に収めるも、なんとデジカメの充電池がなくなりかけているではないかっ!やばい・・この先もう少し撮らなければいけないものがあるのだ・・なので、この地図の部分部分の拡大写真に撮っておこうとしたのが出来なくなってしまった。まぁ、いざと言う時は、予備の電池があるのでそれで対応できるのであるが<これは、ここを去ってから気が付いた...

■美しき夕景に出会う
 ようやく坂を上りきり、右手に自動車教習所を見つつ先を目指す。歩いていると、左側から太陽の日差しがやけにまぶしい。その方向を見てみると、ちょうど太陽が山陰に徐々に沈むのを開始するところであった。電線と大きな鉄柱さえなければ、かなり良い写真が撮れるのに・・。しかし、それを見てからなんとなく気持ち的に早歩き気味になる(実際はなってないけど)。日が沈むと急激に冷え込んでくるのだ。さらに歩き続けると右手に『諏訪神社』があった。この諏訪神社前の自販機で最後の飲料補給。
夕景

■甲府がいよいよ近くなってきた
思えば遠くに来たもんだぁ〜 そこからさらに歩くと、右手に「旧甲州街道」と書かれた『石碑』があった。この石碑の横にあった地元の人が書いたらしきものを見てみると「東京73km 甲府63km」と。ついに甲府の方が東京より近くなってきたぞ〜。なんだかんだ言って遠くに来たもんだ。東海道を歩いていた時は、3日目でまだ戸塚までしか歩けていなかったことを考えると、だいぶ成長したのかな。
 そんなことを思いながら歩いていると、右手に『塚場の一里塚跡』があった。と言っても、神社の横に説明板があるのみである。でもこれを見てみると、「・・日本橋から18里・17番目のものです。・・」ん?なんで数字が違うの?なんだかよくわからないまま一里塚を後にひたすら先を目指す。

 今日の見るべきところは全て終わった。後は、帰りの駅に向かうのみ。左手を見ると、ちょうど太陽が山に沈みつつあるところだった。

■上野原駅で甲州街道3日目終了
本日の終着点・上野原駅 再び国道20号に合流。そこから200メートルほど歩いたところにあるT字路(信号あり、角にコンビニヤマザキストアあり)を左に。ここで本日の甲州街道歩きを終え、一番近くの上野原駅に向かう(16:07)。近いと言っても、ここから1キロ近くあるけど。

 途中、紅葉がきれいだった『牛倉神社』を見つつ、ひたすら駅を目指す。地図で見てた時はわからなかったけど、思ったより下っている道であることが判明。そうしてようやくJR上野原駅に到着。ちょうど電車が来る10分前だったので、ホッとしつつ、「次はここの駅からだ〜」とまだ見ぬこの先の街道にワクワクしつつも、今日一日を無事歩くことが出来て良かったと、過去と未来それぞれに思いを馳せるのであった。(つづく)
→第4日目 上野原−初狩


歩数計 40,489歩
カロリー 1,684.4kcal
距 離 24.30km
時 間 8:04〜16:25
支 出 交通費|1,880円
飲食費|1,664円
その他|0円

2002.12.10update
2007.04.04Renewal


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