#歴史探訪 関野宿〜上野原宿
甲州街道:関野宿〜上野原宿 |
関野宿 日本橋から数えて17番目の宿場です。 ちょうど、相模国(現在の神奈川県)と甲斐国(現在の山梨県)との国境の宿場でした。 現在は、大きな見所は残っていませんが、ところどころに昔ながらの家並みを見かけることができます。 ただ、車の往来が激しいのは閉口ですね・・。 今来たところへ戻る△ |
|
|
|
増珠寺 津久井三十三書観音霊場の一つです。 入口は、別のところにあるらしく、ここ(国道20号)から中に入ることはできませんでした。なので、正確には写真にはお寺などは全く写ってません。 今来たところへ戻る△ |
|
諏訪関跡 諏訪の関所があった場所です。もともと、この付近は相模国と甲斐国との国境であり、かつ甲斐国の東側入口にあたったため、とても重要視されました。 現在、この関跡の先に自動車教習所がありますが、その端のあたりに番所の柵が建てられていたそうです。 ただし、この関所も元々は諏訪神社付近に設置されていたそうです。しかし、ここが適当でないため、宝永4年(1707)に現在の碑があるところに移されました。 なお、かなりの斜面地に位置しています。 今来たところへ戻る△ |
|
諏訪神社 諏訪神社祭典なるものが行われるところで、その年に結婚、初出産した人が参拝するそうです。御利益は家内安全・商売繁盛など。 この神社の前にはお店があります。(飲料補給に) 。 今来たところへ戻る△ |
|
案内石 諏訪神社の先にあった立派な案内石(?)です。石には「あいさつをかわす思いやりの道 旧甲州街道 昔をしのぶ思いでの道」と書いてあります。その横には、手作りの標識があり、「東京73km 甲府63km」と書いてあります。こういう配慮は、街道を歩いている人間からすると、とても嬉しいです〜。 今来たところへ戻る△ |
|
塚場一里塚跡 江戸から数えて18里(だけど17番目?)の一里塚跡です。ここの案内板によると、里数が順番と一致していないのですが、どちらが正しいのでしょう? ちなみに、ここの塚は、モミの木が植えられていたそうです。珍しいですね。 今来たところへ戻る△ |
←吉野−関野 | 上野原−鶴川→ |
2003.2.11update
トップページ>甲州街道を歩く(甲州道中)>歴史探訪>関野−上野原