#歴史探訪 吉野宿〜関野宿


甲州街道:吉野宿〜関野宿
吉野宿〜特に大きな見所はありませんが、車の往来がなければ、落ち着いた街並みです 吉野宿
日本橋から数えて16番目の宿場です。
吉野宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠6軒でした。
現在は、往時の面影は見られませんが、かつての旅籠を資料館として開放しています。

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吉野本陣の蔵(本陣家屋は、すでに焼失していました) 吉野本陣
吉野宿の本陣跡です。
この本陣となっていた吉野家は、承久の乱(1221年)の時に、一族が天皇に従ったのですが宇治瀬田の戦いで敗れ、この地に流れ住み着いたのが始まりだそうです。
かつては、木造5階建てで、明治天皇行幸の際には、2階で昼食をとられたとのこと。
しかし、明治29年(1896)に大火で焼失してしまいました。写真に写っているのは蔵で、その奥のさら地に建てられていたそうです。

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藤野町郷土資料館ふじや〜館長さんには、色々とお世話になりました 藤野町郷土資料館ふじや
かつての旅籠「ふじや」は、現在郷土資料館として一般に公開されていました。屋根裏を含め、3層の展示場に藤野町の民具や養蚕、炭焼などの用具が展示されていました。
また、館長さんに、丁寧に中を案内してもらいました。無料で見学できるのも嬉しいですね。

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かつて、この辺りに小猿橋があったそうです 小猿橋
かつて、この付近には小猿橋という橋があり、山梨県大月市の「猿橋」と、工法も形も同じで、その規模が少し小さいことからこの名が付いたそうです。
現在は、この橋があったことを伝える説明板があるのみです。吉野橋の手前左にありました。

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2003.1.26update


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