#歴史探訪 与瀬宿〜吉野宿
甲州街道:与瀬宿〜吉野宿 |
与瀬宿 日本橋から数えて15番目の宿場です。 与瀬宿は、江戸寄りの小原宿との片継ぎ宿場だったようで、本陣1軒、脇本陣0軒、旅籠6軒とそれほど大きな宿場ではなかったようです。 現在では、かつての宿場とわかるような大きなみどころはありませんが、地名に「与瀬」という名前が残っています。 今来たところへ戻る△ |
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明治天皇小休所址(本陣跡) 与瀬宿内のかつての本陣跡です。現在は、明治天皇が休憩したという石碑が残るのみです。 旧甲州街道は、この石碑の横の細い道を入っていきます。 今来たところへ戻る△ |
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慈眼寺 当山は、天正年間頼源阿舎梨の創立によるもので、明治維新に至るまで蔵王権現の別当寺だったそうです。明治五年神仏分祠の国令によって唯仏寺となり、現在に至っています。 与瀬神社鳥居の横にあります。 今来たところへ戻る△ |
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与瀬神社 日本武尊を祀っている神社で、創建年代はわかっていないようです。もともと、相模川沿いにあったものを天和2年(1682)に現在地に移しましたが、明治37年(1904)に火災にて社殿が焼失してしまいました。その後、大正3年(1914)に本殿再建、昭和24年(1949)に拝殿再建。 ここの本殿に至るまでには、かなり急な階段を登ることになります。(左写真は入口部の鳥居) なお、ここから見える景色はとても素晴らしいです! 今来たところへ戻る△ |
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庚申塚 道ばたに建てられていた庚申塚(?)です。みかんが置いてあるなど、地元住民の信仰対象になっているのでしょうか? 今来たところへ戻る△ |
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観福寺 観世音菩薩を本尊として崇拝してから、現住職は23世だそうです。この長い年月の間、無住の時代もあり、観音堂の時代もあったそうです。 昭和20年、本堂屋根を改築して今に至っています。 今来たところへ戻る△ |
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2003.1.18update
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