東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第23日目|関−水口 平成14年(2002)4月13日(土)

放浪日記第二十三日目MAP|関−水口

平成14年(2002)4月13日(土) 東海道第23日目:関−水口 天気:晴(肌寒い)

 朝の6時半近く、私は関駅に居た。前回旅を終えた場所である。ついに、私はやってきたのだ・・再びこの場所に・・・。
 以前ここにきたのは、年の瀬も迫った2001年12月下旬であった。その後、仕事の関係などでしばらく3ヶ月半の時を経て、再び東海道放浪にやってきました〜。そして旅は関宿から・・・忙しい日が続き、なかなか東海道放浪に来ることができなかった。しかし、実に3ヶ月半の空白の期間を越えて、今私はここに来ることができたのだ。
 大きく息を吸い込む。以前ほど足のことに関しては気にならなくなった。いや、気にならなくなったというより、無意識に気にしているため、意識的に足を気遣うことがなくなったと言った方が正解だろう。今回は、それ以上に気になることがあった。それは、久しぶりの放浪であるということと、歩く距離がかなりあること、かつ、東海道最後の難関とも言える鈴鹿峠越えが待っているからであった。
 しかし、ここでひるむような私ではなかった。これまで幾多の困難を切り抜けたのである。今回も難なくこなせるさ・・という強気な気持ちを内に秘めつつ、これまでの史上最速の朝早い6時36分、私は関駅を出発した。


 まずは、駅前の道路を横断し、『関宿』の街並みへと足を踏み入れた。この景色を再び目にすることがあろうとは・・って、前回ここで終えているのだから、絶対に通過するに決まっているのだが、もう一度前回通過したところも、再び歩きたくて少し手前から歩くことにしたのだった。
 朝もやの漂う関の街は、まだ目覚めていなかった。観光客は私一人しか居らず、地元の人もちらほら見える程度で、この景色を私一人で独占していた(写真上)。これほど贅沢はないだろう。前回訪れた時は、観光客もかなりいたし、初めて街並みを目の当たりにしたせいで、ちょっと舞い上がっていた感があったが、今回は落ち着いてゆっくりと関宿の街並みを堪能することができた。
市ノ瀬集落〜この街並みはホッとします そうこうしているうちに、前回旅を終えた『地蔵院』に到着。さあ、ここからが今回の本当のスタートである。地蔵院前にある『会津屋』(旅籠)を写真に収めた後、再び歩みを始めた。まずは、鈴鹿峠越えだ。といいつつも、ここから鈴鹿峠までは、まだ8q以上もあるのだ。
 地蔵院を後にした私は、さらに続く関の街並みを歩き続けた。さすがにこの時間なので、街道上にはまったくと言っていいほど人がいない。とても歩きやすい環境だ。テクテク歩いているうちに、いよいよ関宿も終わりに近づいてきた。そして、休憩所も整備されている『西の追分』に到着。ここは、伊賀上野・奈良に至る大和街道との分岐点に当たり、関宿の西側の入り口にも当たるところだ。とりあえず、この先どうなるかわからないので、トイレで用をたす。準備万端だ。再び峠を目指して歩き始めた。
 ここからは、毒ガス(車の排気ガス)が充満している国道一号沿いをしばらく歩くことになる。この区間の国道は、他に抜け道がないためか、はたまた国道1号だからかわからないが、かなりトラックが多く走っており、歩道を歩いている私の真横をビュンビュン通り過ぎて行くのだ。これだから国道沿いはイヤなんだよなぁ・・・。でも、他に道がないので、我慢して歩くが、早いとこ国道を脱出したいがために、自然早足気味になる。
 ようやく国道を逸れた裏道に入ることができて、ホッと一息。ここは、これまで歩いてきた国道の中の部分でも結構しんどいところかもしれない。国道とは一転して、この裏道に入ったところにある『市之瀬集落』は落ち着いた街並みを形成していた(写真上)。うん、こうじゃなくちゃ!
きれいなピンクの花を発見!この花の名称は? 集落を越えた後、国道を横切り裏道を歩き続ける。が、それも長くは続かず、再び国道沿いを歩くことになった。だがこの辺りまで来ると、だいぶ車の往来が気にならなくなった。なぜなら、段々と山奥に入ってきたことと所々に見られるお茶畑がとっても清々しかったからである。自然は、いつでも心を安らかにしてくれる源である。
 そうこうしているうちに、道脇に筆捨山の標柱を発見。上を見上げてみると、『筆捨山』らしき山を発見した。さっそく写真におさめようとカメラを取り出して撮ろうと思った時、民家の玄関先にいた犬が突然ワンワンと吠えだした。そんなに人相悪くないぞーーっ!(-_-)結局じっくりと見ることもできないまま、この場所を後にしたのだった。この先は、もう筆捨山を視界に捉えることが難しいのに(T_T)
 再び国道を歩き続ける。集落のあるところ以外は、うっそりと緑に覆われたものしか視界に入らなくなってきた。徐々に峠も近づいてきていることが伺えた。そして、弁天というバス停があるところを右折して、国道から逸れる。これでまたしばらく落ち着いた道を歩くことができる。ホッ・・。
 この辺りにも集落があった。どうやら沓掛の集落と呼ばれているようだ。道は、それほど太くなく、朝早いこともあってあの往来も見られず、のんびりと歩いた。しかし、それほど太くないのに、何故かここの道はバスが通っているのだ!ぎょえー・・車一台でも結構しんどいと思うのに、バスはどうやって走るのだろうか・・とちょっと気になった。
坂下宿内のバス停。鈴鹿峠を目指す人の公共交通機関はここまでなのです 快適な道が続く。途中、農作業に向かう老夫婦を見たり、そろそろ終わりかけの桜を見たり・・しかし、何故か今日は無性に犬に吠えられるのだ。そんなにオレって怪しい格好してるかなぁ・・・ちょっと自信喪失・・(T_T)でも、サングラスかけてる時点で結構怪しいかも(自爆)
 しばらく行くと、右手にきれいなピンクの花を発見。あまりにも綺麗なので写真におさめるべく道をはずれ写真を撮りにいった。何の花だかわからなかったがとりあえず写真を撮り(写真上)、近くにある『小学校跡』を見に行った。ここは、既に廃校になっている小学校跡で、現在は跡利用ということで、建物は公民館として、グラウンドはキャンプ場として、炊事場等も角の方に整備されていた。こういう木造建築は味があっていいよなぁ。前にも話したが、無機質なコンクリートの建物よりも温かみがあって心が安まる感じがする。
 小学校を過ぎると、一気に家がまったく無くなった。さらに、小学校を過ぎた辺りから道路が不必要なくらいに広い!なんなんだぁ〜この意味もない道路の幅は。車も一台も通ってないので堂々と道路もど真ん中を歩いていたら、前方から一台の車が(笑)そりゃ、たまには通るわな。しかし、これ一台っきりで再び前方に集落が見えてきた。この集落が、東海道48番目の宿にあたる『坂下』である。
 坂下宿は、鈴鹿峠の麓にあり、昔は峠を往来する旅人で賑わっていたが、明治以降の近代交通の発達に伴って徐々に衰退し、今では往時の賑わいどころか数十軒の民家と歴史的な資源としては、『本陣跡を示す石碑』が残っているのみとなっていた。
これが旧東海道???きついよーーーっ(>_<) これまで、東海道を歩いてきた中で、もしかしたら一番栄衰の激しいところかも・・と思ってしまった。ちょっと遠くに視線を移してみると、立派な国道バイパスが整備され、こちらのもともと宿があったところを通らずに通過してしまうだけになっている。我々は、鉄道や車の発明により多くのものを手に入れてきたが、逆に失ったものも多いことを認識しなければいけない、と強く感じた。
 寂しくなってしまった坂下宿を後にした私は、いよいよ目前に迫ってきた鈴鹿峠に挑むことにした。と言っても、昔ほど困難な道ではなくあっという間に越えることができると、先人達のホームページには記載してあった。そんなこんなで国道に合流した・・思っていた矢先、私の目の前に表れたのは、傾斜角度45度は超えていると思われる歩者専用道(山道)であった(写真左)。そこにあった案内板をみると、旧東海道はこの山道を登るようになっている。かなり急だ・・・これを登れというのか・・・かなり躊躇した。というより、登りたくなかった(笑)
 手持ちの資料を調べてくると、どの資料を見てもこの山道ではなく(後日購入した本を見ると、この道を歩くようになっていたが・・(笑))、この部分は国道沿いを歩くようになっている。ここは、地図を信用することとして不本意ながらも国道沿いを歩くことにした(←おいおい・・(-_-))
鈴鹿峠の登り途中にある片山神社。ちょっと廃れていた気がしたけど・・・ それから少々歩くと途中で先ほどの山道と合流した。よかったなぁ・・やっぱり登らなくて。だって、これだけの距離なのにその道が通っていると思われるところは、かなりの山が連なっていたから、仮に行っていたとしたらとんでもないことになっていただろう(笑)
 そして、さらに歩くと、旧東海道は国道を外れ、再び車も入れないような裏道へ入り、再び登り坂が始まった。ここは、それほどきつい登りではないようなので安心だ!と思っていたのが甘かった。短い距離ながらも結構な坂ではないか・・しばらく歩いていなかったので身体がなまっていたのと、体力が落ちたに違いない。まったく情けない限りである(笑)やっとこさで坂の途中にある『片山神社』に到着。この片山神社の鳥居がある入り口で止めておけばいいようなものの、さらに階段を上がったところにある本社まで行ってみたら、なんとすでに建物は壊れかかっており荒れ果てた姿になっているではないか!・・・意気消沈と共に疲れも倍増・・。トボトボと階段を下り、片山神社を写真におさめた後(写真右)、鈴鹿峠を越えるべく歩き始めた。
 片山神社を過ぎた辺りから、石畳の道になる。石畳を歩くのも、ここが最後になるのだろうか・・無心で歩いている時はいいが、ふとした時にこの歩いている一歩一歩が旅の終わりを運んできていること気づき、なんとも言えない気持ちになる。
 そうして、途中で国道の高架下を通過して、公園のような休憩スペースに到着。とりあえずここにあった木のベンチに荷物を置いて、この先の道の確認をする。鈴鹿峠頂上付近の鏡岩より下界を望む。ここは気持ち良かった〜♪峠は、もうちょっと先のようだ。すっかり日は高くなっており、これまでちょっと坂を登ってきたせいか軽く汗ばんでいる感じだ。まずは区切りをつけようと、地図で道を確認後すぐに再び歩き始めた。
 ここから階段が整備されており、右に左にとジグザグしながら峠を登る。と思っていたら、いつの間にか平坦な道に。さらに前方に分岐点を発見。案内板を見てみると、この分岐点があるところが鈴鹿峠のトップらしい。思ったよりあっという間だった。(←さっきまで、ヒーヒー言っていたのに(笑))
 この分岐点をそのまままっすぐ行くと旧東海道、左折をすると『鏡岩』に行くことができる。私は左折をして鏡岩に行くことにした。鏡岩は、一面光り輝くようにものを映していたことからこう名付けられたもので、山賊がこれを見て待ち伏せしていたとも言われている。
 若干の登り坂になっている山道を歩き続けること数分、前方に大きな岩が見えてきた。これが鏡岩だ。写真で見た限りではもっと険しいところにあるようだったが・・・。さっそく岩に登ってみると、「おおっ!絶景かな〜」そう。この岩に立ってみると、広大な景色がそこには拡がっていたのだ。遠くには、鈴鹿峠周辺の山々が連なっており、一転、下を見てみると、幾重にも曲がりくねった国道がとぐろを巻く大蛇のようにずっと遠くの方まで続いていた(写真上、写真館)。これは、確かに絶景だ。写真をパシャパシャ撮り、その景色を充分堪能した私は、鏡岩を後にして先を目指すことにした。
万人講常夜燈〜坂下宿側から来た旅人は、峠を登り切ったことでここで皆休んでいくことでせう(笑) 再びさっきの分岐点に戻り、鈴鹿峠を後にする。前方が明るくなってきた。うっすらとした森を抜けたところは、左手にはお茶畑が広がり、前方には、これまた写真等で見ていた鈴鹿峠の守り神とも言える『万人講常夜燈』が堂々とそびえていた(写真右)。燈の近くに休憩できるベンチ等があったので、ここでゆっくり休んでいくことにした。
 天気は、晴れ間が覗いていてそんなに悪くないのだが、雲が多いせいかちょっと肌寒く感じる時もある。風も若干あるようだ。とりあえず身体を冷やさない程度に休んだ。この旅をしてきて、すっかり身体への気遣いもマスターしてしまったようだ。旅は、色々なものを教えてくれる。
 時計を見てみる。到着した時はまだ9時を少し廻ったぐらいだったが、いつの間にか20分ほども休憩していた。身体の疲れもとれたので、再び先を目指すことにした。今日は、まだまだこれからが長いのである。そして、ここからついに、これまでずっとお世話になっていた社団法人中部建設協会発行「東海道さんさくマップ」という地図から近江歴史回廊推進協議会発行の「近江東海道中絵巻」地図に変える時がきた。思えば遠くに来たもんだと感慨もひとしおだ。
鈴鹿峠を越えて土山宿へ向かう途中。一端国道を外れ旧道へ(右側が旧道)。前方には、新しく整備している高速道路(かな?) さっそく新たな地図を持って(実際はカバンの中(笑))歩き始める。少し歩くと、土の道から国道に合流。ここからしばらくは相変わらずのつまらない国道沿いを歩くことになる。そして、ここからついに1都5県目の滋賀県に突入だ。これで残りは京都府のみとなった。ホントにここまで来たんだなぁ〜。
 特段見所もなく国道沿いをひたすら歩く。しかし、それでもゆったりとした下り道なので気持ちはとても楽だ。これが逆だったら結構しんどいんだろうな、と思っていた。
 途中、菜の花やチューリップを見つつ(写真下)、まだ咲いている桜を写真に収めようとしたらまたもや犬に吠えられるなどの苦難(笑)を乗り越えつつも万人講常夜燈から約6q、ようやく『土山宿』が近づいてきたようだ。ここまで1時間ちょっとのペース、まぁまぁである。
 土山宿手前にある『田村神社』に立ち寄る。この神社は、鈴鹿峠で人々を苦しめていた鬼を退治した坂上田村麻呂が祀られているところである。しかし、閑散とした神社であったがそれがまた私的には良かった。さっそく旅を無事終えることができるよう祈願して神社を後にする。
 この神社の国道を挟んで向かい側に道の駅「あいの土山」があった。飲み物が尽きていたので、とりあえず飲料を補給。鈴鹿峠を越えて土山宿に向かう途中に咲いていたチューリップ。春は色とりどりの花があちこちで見られますしかし、道の駅は思ったより小さなものだったので、ここでは立ち寄ることなく先を目指すことにした。旧東海道は、この道の駅の裏側へと続いている。ここからしばらく落ち着いた道を歩くことができそうだ。
 徐々に土山宿の中心が近づいてくる。しかし、さっきから気になっているのが、この宿場の「旅籠の多さ」!ここの宿場は、かつて旅籠や問屋等があったところに、石碑を建てているのだが、妙に旅籠が目に付くのだ。このときは、なぜだかさっぱりわからなかったが、後日資料を見てみると、一つの宿場には40〜50軒もの旅籠があったそうだ。どうりで・・納得。あ、ちなみに旅籠とは、現在で言う旅館やホテルのことである。しかし、よくよく考えてみると、それだけ旅籠があったということは、それだけ多くの人が利用していたということであり、もしかしたら現代以上に昔の人は旅をしていたのだろうか・・。
 昔ながらの落ち着いた街並みを歩き続ける(写真館)。途中、建物が現存している『本陣跡』などを見つつ、土山宿の中心部を抜け、再び国道へ合流。しかし、その国道歩きもそう長くは続かず、再び裏道へ。この辺りは宿場でもないのに、何故か先ほどの『旅籠跡の石碑』が目立つ。旅籠があったのは、宿場だけではないのだろうか・・。
 さらに落ち着いた街並みが続く。こういうところは、地元の雰囲気を感じることが出来て、とても嬉しい。「おはようございます」偶然通りかかったおばあさんと挨拶を交わす。人情味溢れてていいなぁ〜。
東からの水口宿の入り口にあたる東見附跡。おばちゃんの姿見えますか?(笑) 道は続く。途中、飲料を自販機で補給。ところが、ペットボトルを見てみると、賞味期限が切れてるではないかっ!・・・おいおい・・・。
 さらに歩くと、大野地区近くに松並木が植わっている。この近くあった小学校前の公園で軽く休憩。しかし、いつの間にか太陽が雲に隠れてしまって、ちょっと肌寒くなってきている。天気予報だと雨が降る確率は20%くらいだったけど、まさか降らないよなぁ・・?(笑)
 軽く休憩をして、先を目指す。ここまで20q近く歩いているが、今日は、次の宿場が終点なのである。時計を見てみると、なんとか暗くなる前に着くことができそうな感じだ。
 何度か国道を横断しながらも旧東海道である裏道を歩き続ける。そして、水口町に突入。この町に昔の『水口宿』があるのである。ここから約3q・・ようやく宿場の入り口である『東見付跡』が見えてきた。ここが、水口宿の入り口である(写真上)。
 この東見付跡には、木で組み立てられた関所風のものが復元されていたので、さっそく写真を撮ろうとしたところ、この東見付跡の花壇をいじっていたおばちゃんが「どこうかえ?」と聞いてきたので、「いえ。大丈夫です。」と答え、一生懸命町のために作業しているおばちゃんも写真に収めることに成功!その姿勢には頭が下がります。
 そして、おばちゃんにお礼を言って、さっそく宿場の中へ。宿場の中は、見所がたくさんあるので、慎重に歩くことにする。が!いきなり脇本陣跡を発見できず・・・(笑)しかし、『本陣跡』は無事見つけ、ホッと一息。ちょっと行ったところにある『高札場跡』のあるところの二叉路を左へ進み、次の二叉路を右へ進む。つまり、三本道がある真ん中の道が旧東海道である。そこから数百メートル歩くと、バス停も兼ねているらしき休憩所を発見したので、ちょっと休憩ととることにした。
水口宿内の山車の模型。水口は曳き山祭りが有名で、私が訪れた次の日がそのお祭りの日だったのです!!! この日は、この水口にあるホテルを予約していたので、もうこれより先に進むことはないのであるが、残りの暗くなるまでの時間を使って宿場内を見て回るつもりだったのだ。当初の予定通りここまで順調に来ることが出来るとは、さすが・・と久しぶりに自画自賛(笑)<いつもか?(笑)
 休憩所を後にして、この宿場の一番のお目当て場所である『水口城跡』を目指す。道を歩いていると、途中でアーケード街に入った。ところが、このアーケード街はシャッター通りと化していた。私の勤めている研究所に言ってくれれば中心市街地再生のお手伝いが出来るのになぁ・・。こういうところを見ると、いっつも思ってしまう。
 その後、私鉄の近江鉄道を横切り、曲尺手となっている道をひたすら進む。そして、水口城跡に続いている道に来た時に、この日の旧東海道歩きは終わりを迎えた。旧東海道よ〜一旦サラバだーっ!
 ここを右に曲がるとホテルへ、左に曲がると『水口城跡』である。私は左に曲がり、お城を目指した。ところが、この辺りから急に雨がポツポツと降ってきた。あとちょっとで屋内に入れる・・傘はさしたくない・・その気持ちが天に届いたのか、それほど雨足も強くならずに、なんとかお城にたどり着いた(写真下・写真館)。
 ここには、水口城資料館があり、水口の歴史の一端を知ることができるのだ。さっそく中に入ろうとしたその時、この資料館の閉館時間を見てみると、なんと16時までとなっているではないか。現在の時間は16時10分前・・・もう入れないかな〜と思いつつ入り口を開ける。ガラっ・・「まだ大丈夫ですか?」「大丈夫よぉ〜」水口城址。お城とお堀と石垣はいつ見ても良いっ♪ホッ・・というわけで、近くにあるという歴史民俗資料館との共同入館料を払い、さっそく中へ。ここのおばちゃんがとっても親切で、ぶらぶらと中を見ようとしたら、「ビデオをどうぞ〜」とセットしてくれたので、せっかくなので見ることにした。水口の歴史を知ることが出来て良かった。また、その後も中をブラブラと見た後、ここの資料館で売っていた「近江東海道ガイドブック」を購入。おばちゃん達によくよくお礼を言って資料館を後にして、歴史民俗資料館も見に行くことにした。
 この水口は、曳山祭りが有名であるようで、歴史民俗資料館には本物と同じ山車が内部には飾ってあって、その規模の大きさに驚いた。しかし、これだけ立派な建物なのに見学者が一人だけとは・・・もったいないなぁ・・。
 歴史民俗資料館のおじさん達にお礼を言って出た私は、この日泊まる予定のホテルに向かうことにした。ところが、地図を見てみても、ホテルが見つからない。ん〜?なんでだぁ〜?と結局グルグルと回って発見したのだが、なんとネットに掲載していた地図が間違っていたようだ。ホテルさんよぉ〜しっかりしてくれぇ(笑)
 この日は、久しぶりの放浪であったが、計28q近く歩くことが出来て、とっても充実した一日だった。さあ、また明日も頑張って歩くぞー!(つづく)
→第24日目 水口−石部


歩数計 47,612歩
カロリー 1,980.7kcal
距 離 28.57km
時 間 6:36〜17:16
支 出 交通費|7,070円
飲食費|1,786円
その他|200円(施設見学料)


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