東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第24日目|水口−石部 平成14年(2002)4月14日(日)

放浪日記第二十四日目MAP|水口−石部

平成14年(2002)4月14日(日) 東海道第24日目:水口−石部 天気:晴(暑い)

放浪24日目のはじまりは、この大池寺からでした 昨夜は、お酒を飲んでいないのにもかかわらず、あまり面白いテレビ番組がなかったこともあって、早々に寝てしまった。にもかかわらず、12時間近く爆睡して、起きる時間はそこそこ・・・お疲れモードかなぁ・・。
 そんなこんなで、のんびりしつつホテルをチェックアウト。今日は、それほど歩かないつもりだったのでのんびりモードだったのである。<半分ホント半分言い訳(笑)
 ホテルを出た私は、旧東海道に戻らずに、あるお寺を目指していた。そのお寺とは、『大池寺(だいちじ)』と言い、庭園がとても綺麗だと資料に書いてあったので、ちょっと旧東海道からは距離があるが、せっかくなので見に行ってみようと思い立ったのだった。
 大池寺への道のりは、旧東海道とは全然違うところを歩くため、お寺までの詳しいルートがわからないはずだったが、前日水口城資料館でゲットした資料に地図が載っていたので、すんなりとお寺に着くことができた。買って良かったぁ〜(^-^)v。
大池寺の蓬莱庭園。きれいに手入れされていました そんなこんなで大池寺に到着(写真上)。このお寺、庭園が有名だとのことだが・・確かに全体を見てみると、手入れが行き届いている感じだ。しかも、次々と車がやってくる。「おおっ・・こんなに観光客が来てすごいところだ〜」と思っていたら、どうやら法事で来ている人達らしかった。
 境内を歩き、玄関らしきところに到着。玄関を入ったすぐの畳敷きの部屋には黒い服装をした人がたくさんくつろいでいた。どうしよう・・と思っていたら、玄関脇にインターホンがあったので押してみた。ピンポーン・・・「はーい」すると、そこの人たちのお世話をしていたここの住職のお嫁さんらしき人が出てきた。庭園を見学したい旨を伝えると、「400円になります」400円かぁ・・まぁ、めったに来れないところだからいいか。さっそく案内をしてもらうことに。
 ちょうど忙しい時だったにも関わらず「こちらへどうぞ〜」といそいそと案内してもらい、ついた所は、落ち着いた佇まいを見せていた静かな庭園であった(写真右)。まさに噂に違わずとはこのことを言うのだろう。写真撮影の許可をもらったので、さっそくパシャパシャ撮り、ゆっくりくつろいでいると、再びお嫁さ水口宿内の街並み。前方には、立ち話をしていたおばちゃんたちが写ってます(笑)ん登場。「これから10時から本堂は入れなくなりますので良かったらどうぞ」と言われ、言われるがままに本堂へ。ちょうどご住職も居たので会釈をして中を見せてもらうことにした。
 本堂の中は、とても大きな大仏様(だと思う)がどっしりと座っていた。しかし、その雰囲気を堪能する間もなく、先ほどの法事の人たちがドヤドヤと本堂に来たので、そこそこに本堂を後にして、再び先ほどの庭園に。その後、庭園を見て満足したので、大池寺を後にした。最後にロクロクお礼を言えなかったのがちょっと心残り・・。
 大池寺を後にした私は、再び旧東海道へ戻った。さあ、今日の本格的な放浪の始まりである。この日は日曜日であるためか、地元の人たち(おばちゃんがほとんど(笑))があちこちで世間話をしていた。町内清掃が終わった後だろうか。さらに歩いていると、水口宿の西はずれにある『一里塚の石碑』を発見。ここを左に曲がり、すぐいったところの十字路を右へ。しばらく車通りの少ない裏道を歩くことになる。
水口宿を出て、しばらく歩いたところにある松並木〜この辺りは、江戸時代は「北脇畷」と呼ばれていました 途中北脇地区というところに若い松の木が植わっていた(写真右)。地元の人の努力が伺えるようでとても気持ちが良い。しかし、その他には特段見所もないまま道は続く。国道沿いのように排気ガスが充満しているわけではないのが唯一の救いであるが、あまり単調になってしまうとこれまた結構苦痛なのである(←ワガママ(笑))。
 泉という地区を過ぎると、前方に人の集団が歩いているのが見えてきた。もしかして、東海道ウォーカー達かなぁ・・・。さらに歩いていると、彼らに追いついた。皆一様に豊橋鉄道(という風に書いてあった気がする)というようなバッチを帽子や胸元につけていた。やはり、どこかの企画イベントに参加している人達らしかった。しかし、彼らのペースはあまり速くないため、早々に追い抜かした・・・と思ったら、さらに前方にもたくさんの人が・・(笑)。どうやらかなりの人が参加しているようである。
 そんなこんなで、『一里塚』を過ぎ、『横田常夜灯』があるところに到着。前方には、河川敷も含めるとなかなかの広さを持つ野洲川が流れていた(写真下)。昔は、ここから野洲川を船で渡るという横田の渡しが行われていた。しかし今は、船はおろか橋もなく、ここから迂回をしなければならない。せっかくなので、ここでゆっくりしていきたかったのだが、ものすごい人でごった返していたので、先を急ぐことにした。おばちゃんパワー恐るべし・・・(笑)
横田の渡しより野洲川を望む。写真には一人しか写っていませんが、ものすごーい人が居ました(笑) 横田の渡しがあったところを後にした私は、そのまま川沿いの道を歩くことに。ところが、ここの道は歩道がついていないため、とても危険である。これでは、おばちゃん達も歩くのが危ないではないか・・。昔の東海道ではなかったにせよ、今では東海道を歩く人はこういうところを歩かざるを得ないのだから、町としても歩道の整備くらいきちんとして欲しいものである。
 そんなこんなでぐるーっと迂回してきた私は、無事野洲川も渡り、JR三雲駅付近に到着。実際の東海道があった道を少し後戻りして、そこにあった『常夜灯』を写真に収めた後、再び西を目指すことにした。先ほどのおばちゃん達グループの先行グループはこの辺りにもたくさんいた。いったいどれだけの人が参加してるんだろ・・それにそんなに訛りはないようだけど、やっぱり豊橋周辺の人なのだろうか。
 テクテクと歩き続ける。相変わらずこの日はほとんど裏道を歩いているためか、車の量もめちゃくちゃ多くはない。しかし、それでも裏道として利用している車も多く、こんな狭い道でそんなに飛ばさなくても・・と思うこともたびたび。さらに、ここの辺りも特段見所がないため、ただひたすら先を目指す。今日は、天井川である大沙川。トンネルの上を川が通っていたのです!とっても天気が良いため、着ていたシャツを脱いでTシャツで歩く。まだ4月も上旬なのに、この初夏のような気候はなんなんだぁ〜。おかげで、桜もほとんど見られないし。
 横田の渡しから3q近くは歩いてきただろうか。前方にトンネルを発見(写真右)。しかし、よく見てみると、とっても奇妙だ。なんだこれは・・と思い、持っていた地図を見てみたら、昔天井川が流れていたという。トンネル脇に階段があったのでさっそく登ってみた。確かに、川があった跡が見られ(写真下)、その横には弘法大師が地面に刺した杉の箸が成長したと伝えられている『弘法杉』がどっしりと構えていた。せっかくなので休憩していこうと思ったが、無性に喉が渇いてしょうがなかったので、まずは飲み物をゲットしてからにしようと、ここを後にした。
 再び見所の無い道をテクテク歩く。しかも、喉が渇いているのに、お店はおろか自販機もない。どうしていっつもこうタイミングが悪いのかなぁ・・。途中、何げによさげな『酒屋』を写真に収めたら、結構有名なところだったと後で知り、この旅でこういう感覚(天井川の大沙川。今は水が流れていません歴史のニオイがするスポットを発見すること)は養われた気がする。といいつつ、結構見落としたりもしてるんだけど(笑)<どっちやねんっ
 弘法杉を過ぎて2q近く歩いた頃に、ようやく自販機を発見。ガブガブ飲んですぐになくなってしまわないように、微炭酸のペットボトルを購入。って、微炭酸って振ったらプシューってなるじゃん!でも、喉が渇いていたので、さっそくゴクゴク飲んで、その心配は無用だった。しかも、微炭酸なので、ガブガブ飲めないし、作戦成功!
 飲み物を買い、喉が潤ったためかちょっとは元気が出てきたので、意気揚々と歩き出す。特段見所が無いまま落合川というところを過ぎて石部町に入った。石部町には、日本橋から数えて51番目に当たる『石部宿』があったところである。東海道53次の中で51番目ということは、そろそろ終わりが見えてきたことになる。終わりが見えてくるのは嬉しいが、これで終わりが来るのかと思うと複雑な気持ちが相変わらず心の中にあった。
石部宿付近の道の辺広場 川を越えた後、少し歩いたところに、ちょっと東海道筋から外れるがまだ出来たばかりの公園があったので、そこで本日初の休憩をしていくことにした。早く終わりたくないという気持ちと、ちょうど電車の時間に合わせようという心憎い戦略がそこには渦を巻いていた。
 ここの公園は、ちょっと高台にあるので石部の町とその隣の甲西町を見渡すには絶好のポジションだった。しばらく風に吹かれながら足を休めた。こうして足を休めるのには訳があって、体力的にはずっと歩くことが出来たとしても、足がむれるとマメが出来やすく、その後の歩行に支障が生じるおそれがあるからである。これは、一番最初の放浪で学んだことである。
 そろそろ良いあんばいだ、と公園を後にして石部宿を目指すことにした。
 再び旧東海道に戻ってくると、その辺りには昔ながらの建物がチラホラと見え隠れしていた。石部宿は、京都から日本橋に向かう時に、最初に宿泊するところだったらしく、昔はずいぶんと栄えていたよう次に来る旅路はいつになるのか・・・石部駅近くではるか京方面を望むだ。今は、国道1号バイパスが町の外を走っているためか、とても落ち着いた街並みを形成している。
 まずは、『吉姫神社』を見学。その後、道の辺広場公園(ポケットパーク)(写真上)のある交差点脇にあったコンビニで食料をゲットしようと思ったが、あまり置いてなかったので、飲み物のみを再び購入。ここのレジのおばちゃんは愛想良かったで〜。
 そこから少し歩いたところに石部宿の『小島本陣跡石碑』を見る。この本陣跡石碑の横にあった建物が古い感じだったので、一緒に写真に収める。さらに歩いたところのちょっと奥まったところにある『吉御子神社』を見学。ここの神社は、先ほどの吉姫神社と対の関係となる男神様が祀られているようである。
 再び旧東海道に戻ってきた後、道は右へ。さらに次のT字路を左へ。
 ここまで来て、もうこの日の見るところはなくなった。なぜなら、今日は石部駅で終わりにしようと思ってるからである。時間的には、まだまだ先まで行けるのであるが、それは最後にとっておくことにした。そして、このちょっと先に行ったところにある旧和2日間の放浪の終着点・石部駅。次の放浪は、東海道最後の旅路になるだろう・・・中散本舗大角家の建物内部を見学したかったからでもある。ここは、予約制なので今日行っても中を見ることが出来ないのだ。
 石部駅に続く道にぶつかったので、一旦旧東海道を離れることにした。次に来る時までサラバ!(写真上)
 そして、すぐに石部駅に到着(写真右)。ところが、この駅が小さな駅で、電車のチケットを買うのに一苦労。結局思い通りのチケが買えなかったが、なんとか帰ることができるメドがついたところで一安心をしたのであった。次回の放浪は、ついに最終回となるのだろうか・・複雑な気持ちのまま最終回を迎えることになる。(つづく)
→第25日目 石部−大津


歩数計 22,044歩
カロリー 917.1kcal
距 離 13.23km
時 間 9:34〜14:01
支 出 交通費|14,010円
飲食費|440円
その他|6,490円(施設見学料、宿泊代)


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