東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:坂下宿〜土山宿
坂下宿〜往時の賑わいはどこへやら、今は山あいの集落があるのみです 坂下宿
東海道48番目の宿場です。
鈴鹿峠を西に控えて大変賑わいました。もともとは峠のすぐ下にありましたが、慶安3年(1650)の洪水によって移転を余儀なくされました。
その後、現在では鉄道路線から外れたため、往時の賑わいどころか、山あいの小さな集落と化してしまいました。本陣跡等を示す石碑が残るのみです。

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松屋本陣跡〜何もないところに石碑しかないのが寂しい限りです 松屋本陣跡
坂下宿に存した本陣跡のうちの一つ。と言っても、現在は写真のように石碑が残るのみです。
この本陣石碑のほかに「大竹屋」「梅屋」の本陣石碑があります。

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法安寺 法安寺
松屋本陣の門を移築しているそうです。(写真に写っている門がそうだと思います。)

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小竹屋脇本陣跡 小竹屋脇本陣跡
坂下宿に存した脇本陣跡です。
本陣同様石碑が残るのみです。

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岩屋観音 岩屋観音
坂下宿の西、東海道の北側にある、清滝という小さな滝があり、旅人の道中安全を祈願し、高さ18メートルの巨岩に石室を作り、阿弥陀如来・十一面観音・延命地蔵の三体が安置されています。

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片山神社 片山神社
鈴鹿峠の中腹、現国道1号高架下をくぐるちょっと手前にあります。
延喜式に載る神社で社殿は近代のものと言われています。しかし、私が訪れた時は、ボロボロになっていましたが・・。(写真は神社入り口部の鳥居のみ)
ここから鈴鹿峠はしばらく登りが続きます。しかも、金谷宿以来の石畳復活!

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鏡岩より下界を望む 鏡岩(鈴鹿峠頂上付近)
左の写真は、鈴鹿峠頂上部(といわれる)ところから少し歩いたところにある鏡岩から見た下界風景です。高所恐怖症の人は、ちょっと遠慮したいところかも。
なお、鏡岩とは、硅石の断層によってこすられた露出面につやが出たもので、昔峠に住む盗賊が旅人の姿をこの岩に映して襲ったという伝説から「鬼の姿見」と言われています。
(→写真館

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万人講常夜燈 万人講常夜燈
江戸時代中期、四国の金毘羅宮参りの常夜燈として建てられたものです。高さは5.44メートルもあり、坂下宿甲賀谷の人々300人の奉仕によって作られたと言われる巨大な常夜燈と言われており、鈴鹿峠のシンボルにもなっています。
この辺りは、公園となっており、峠越えの前後に休憩することができるようになっています。トイレも完備していますよ〜。

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鈴鹿馬子唄の歌碑 鈴鹿馬子唄の歌碑
「坂は照る照る鈴鹿は曇るあいの土山雨が降る」という鈴鹿馬子唄が書かれた石碑です。
鈴鹿峠越えを担う「馬子達」の間でいつしか歌われだし、近松門左衛門の浄瑠璃などにより全国的に知れ渡りました。

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山中一里塚 山中一里塚
江戸から数えて109番目の一里塚跡です。
公園として整備されていました。

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蟹坂古戦場跡 蟹坂古戦場跡
伊勢の国司・北畠具教が甲賀に侵入しようとして、彼の部下に命じました。それを受けて、当時の山中城主・山中秀国は防戦体制を整えて、北畠軍を敗退させました。
しかし、その後軍勢を加えて北畠軍が再び侵入してきたため、山中秀国は六角定頼に援軍を求めました。六角はすぐに援軍を送り、結局山中秀国は勝利を収め、北畠軍の甲賀侵入を阻止することができました。
その合戦の場所がこの石碑のあるところです。

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2002.9.12update


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