東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:関宿〜坂下宿 |
関宿 東海道47番目の宿場です。 古代三関のひとつ「鈴鹿の関」が置かれていたところでもあります。 伊勢別街道、大和街道との追分にもあたり、古くより交通の要衝として栄えてきました。現在も、東西約1.8qにわたって当時の宿場の街並みが残っており、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。 (→写真館1・2・3・4) 今来たところへ戻る△ |
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小万のもたれ松 亀山へ道場通いする小万が、ならず者から隠れるためこの松の陰に身を寄せたと言われています。 小万のことは「福蔵寺・小万の碑」のところに書いてあります。(このページの下の方です) 今来たところへ戻る△ |
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東の追分(一の鳥居) 旧東海道と伊勢別街道の追分にあたり、関西からの伊勢参りはここから外宮内宮へと向かっていきました。ここにある一の鳥居は伊勢神宮を遙拝するために建てられたもので、現在の鳥居は昭和50年に宇治橋詰めにあったものを移築したものです。 そして、ここから西へ約1.8キロに渡る街並みが続いているのです。 今来たところへ戻る△ |
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御馳走場 関宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送ったりした場所です。 関宿には、4カ所の御馳走場があったそうです。ここは、そのうちの一つです。 今来たところへ戻る△ |
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関神社 関宿内において、唯一の「神社」です。 街道沿いからちょっとはずれているこの神社で7月に行われる夏祭りは、「関の山」の語源になった曳山車が見られます。 境内には、樹高20メートルにもなるクロガネモチの大木があります。 今来たところへ戻る△ |
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旧川北本陣の門 延命寺にある山門は、旧川北本陣の門を移築したものです。 関町の文化財に指定されています。 今来たところへ戻る△ |
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瑞光寺権現柿 瑞光寺は、中世にこの地域を治めていた関氏ゆかりの寺です。 境内にある権現柿は、徳川家康が関宿に立ち寄った時、賞味したと伝えられている木です。(写真奥の木) 今来たところへ戻る△ |
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関まちなみ資料館 江戸時代の町屋を公開した資料館です。関町の文化財の紹介や、関宿に関係する歴史資料などを展示しています。 今来たところへ戻る△ |
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川北本陣跡 関宿にあった2つの本陣の一つ、川北本陣跡の石碑です。今は、建物は残っていません。 ただし、本陣の門は宿内の延命寺に移築されています。 今来たところへ戻る△ |
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伊藤本陣跡 関宿にあった2つの本陣の一つ伊藤本陣跡です。 現在残る建物は、本陣の店部分にあたります。 今来たところへ戻る△ |
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関宿旅籠玉屋歴史資料館 玉屋は「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謡われたほどの、関宿を代表する旅籠の一つです。江戸時代に建築された貴重な旅籠建築に、当時使われていた道具類や資料などを展示し、旅籠の姿を再現しています。 ここの受付のおばちゃんが親切な人でした。 今来たところへ戻る△ |
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高札場跡 関宿のほぼ中心にある関郵便局は、江戸時代には高札場があったところです。写真に写っているポストが一風変わっています。 今来たところへ戻る△ |
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関の地蔵院 「関の地蔵に振り袖着せて、奈良の大仏婿にとろ」という俗謡で有名だそうです。 天平13年(741)行基菩薩の開創と伝えられています。 近郊の人々に加え、東海道を旅する人々の信仰を集め、現在でも多くの参拝客で賑わっています。 境内の本堂・鐘楼・愛染堂の三棟が国の重要文化財に指定されています。 今来たところへ戻る△ |
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福蔵寺・小万の碑 昔、殺された夫の仇を追って関までやってきた女性がいました。その女性は山田屋(現会津屋)という旅籠で女児・小万を産んで息絶えますが、成長した小万は母の意志を継ぎ、見事本懐(敵討ち)を遂げたのです。 その小万の墓と記念碑が福蔵寺境内にあります。 今来たところへ戻る△ |
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会津屋 「会津屋」は、関宿を代表する旅籠の一つです。もとは「山田屋」といい、小万が育ったことで知られています。(小万のことは、上の「福蔵寺・小万の碑」を参照) 今来たところへ戻る△ |
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西の追分 関宿の西の入り口にあたる西追分は、旧東海道と大和街道の分岐点です。 現在は、この石碑の近くに休憩施設が整備されています。 今来たところへ戻る△ |
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市ノ瀬の集落 関宿を出た後、東海道は国道沿いを歩くことになります。この辺りは、現在でも交通の要衝にあたっており、車の往来がとっても激しかったところでした。そのため、国道をはずれ、この市ノ瀬の集落に入った時は安堵したものでした。落ち着いた街並みが嬉しかったです。 今来たところへ戻る△ |
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筆捨山 怪岩、奇岩の多い山で、松、楓、つつじが繁茂しています。 昔、狩野法眼元信という画家がこの山を描こうとしましたが、山の姿の変化が激しくて描けず筆を捨てたので、この名が付いたと言われています。 おもしろい言い伝えですよね〜。 今来たところへ戻る△ |
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鈴鹿峠自然の家 廃校になった坂下小学校校舎を野外活動施設として改築、豊かな自然の中で、宿泊しながら研修することができます。 プール、グランド、炊事棟、歴史民俗資料館などもあり、キャンプ、合宿などに利用できます。 今来たところへ戻る△ |
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2002.9.7update
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