東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記 | |
#第9日目|由比−静岡 平成13年(2001)5月4日(金)
平成13年(2001)5月4日(金) 東海道第9日目:由比−静岡 天気:晴/曇・時々雨 |
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前回の旅から1週間も経たないうちに次の放浪に行くことが出来るとは、思いもよらなかった。しかし、現実にその時がやってきたのである。ゴールデンウィークもそろそろ終盤にさしかかろうというこの日に一路静岡駅に向けて出発した。新幹線と在来線を乗り継いで東海道本線由比駅に到着したのが8時42分、9日目の放浪が始まったのだ。 この日は、天気予報に反して朝から曇っていたのだが、私が駅に降りる直前から急に晴れ間がのぞきはじめ、歩き始めた頃は今日も暑くなりそうだと予感させるくらいの晴天となった。しかし、全体的に雲が多い。果たして薩た峠から富士山は見えるのだろうか・・・そんなことを思いながらテクテクと西に向かって歩いていく。 歩いていると、前方の広場のようなところに地元の人らしき人々が沢山居た。どうやらこの日は、お祭りをやるようだったが、まだ時間も早いためか、その恩恵にあずかることが出来なかった。しかも、建物の中をみたいと思っていた『小池邸』、『あかりの博物館』、『望嶽亭』なども開館前で見ることが出来ず・・・・。早すぎるのも考えものだ。 気を取り直して歩き続ける。しかし、この辺りは裏道であるためか、昔ながらの建物が並んでおり、歩いていて気持ちが良かった(写真右)。この先に、今回のメインポイントでもある『薩た峠』が控えているから、気持ちも高揚しているのかもしれなかった。 望嶽亭を過ぎた辺りから急な登り道になっていく。道の左右にはミカンの木が所狭しと植えられている。中には、実がなっているものもたくさんあった。どうやら夏みかんらしい。道の途中途中に品物が売られているのを見て判明した。こうした品物だけを売っている光景も田舎ならではのものだ。 この登りは結構きついがまだ歩き始めて間もないためか、だんだん眺望が良くなってくるからかわからないが、それほど辛くはなかった。 高度がだんだんと上がってくる。左手には遠くまで駿河湾が拡がっている。どうやら後ろも視界が開けてきたようだ。 そうこうしているうちに、車で上ってくる人のための駐車場を通過した。ここから先は歩いて行くことしか出来ない。駐車場から少し歩くと展望台を発見。さっそく登ってみて、富士山の方向を見てみると、残念!富士山は霞んで見ることが出来なかった。しかし、駿河湾や緑豊かな山並みなどは素晴らしい景色を形成していた(写真館)。 さらに先を目指す。テクテクと休憩所を過ぎると、人がたくさん休んでいるところに到着。ここもすごく景色が良かった。ただ富士山だけが見えなかったが・・。ここではバーナーで朝御飯を作っているグループや絵を書いている微笑ましい家族なども居た。景色を充分堪能した私は、あまり疲れていなかったためさらに先を目指すことにした。今日はまだまだ先が長いのだ。 ここから下りに入る。先ほど登ってきた道とは違って、かなりの急坂だ。しかも朝露か何かのためにビチョビチョになっている。滑らないように慎重に下る。 途中、向こうから一人の男性が登ってきた。「こんにちは〜」「こんにちは〜」「今日は富士山はどうですか?」「ああ〜、今日残念ながら見えないんですよ〜」「そうですかぁ〜・・」。その男性はがっかりした様子で再び登り始めていた。言っちゃいけなかったかなぁと思いつつも、とっさの判断で機転が利かなかったことにちょっと罪悪感を感じてしまった。 そのまま道を下り続ける。完全に下まで降りた後、道路が二手に分かれている。真っ直ぐが旧東海道だが今は行き止まりになっていると地図には書いてある。 そこに少し立ち止まっていると、「こっちは行き止まりだよ〜」ん?声の方を見てみると、お母さんとベビーカーに女の子と男の子の2人を乗せた親子が居て、女の子が声をかけてくれたようだ。「こっちは行き止まり?」そう問うと、女の子はニッコリ笑いながら頷き、お母さんも「そうなのよ〜」と微笑みながら言った。「ここを曲がっていけるわよ」「どうもありがとうございます!」やさしい親子に助けられ、私は先に進むことが出来た。 歩いていると、興津川にぶつかった。すると橋の向こうからたくさんの団体が歩いてくる・・皆、手に同じような地図を持っている。どうやら何かのイベント企画らしかった。団体に直でぶつかるのは怖かったので思わず道路の反対側に渡ってしまった。 とりあえず団体をやり過ごし、途中横道に逸れたものの、なんとか『興津宿』近辺までやってきた。所々に昔ながらの建物が残っているが、車の交通量が多く、あまり情緒は感じられなかった。 さらに歩いていると、不思議なお寺『清見寺』に到着した(写真館)。ここは、徳川家康が今川氏に人質となっていた際に居た寺だということだが、空間がどこか普通のお寺とは違っていた。言葉では表現しづらいのだが、感覚的に『清見寺−徳川家康』と言われて、‘ああなるほどな’と納得してしまうような空間があったのだ。そんなこんなで、その雰囲気を充分堪能した後、お寺を後にした。 しばらく見所が無く、テクテクとひたすら歩く。こういう時が一番つらいのだ。国道1号沿いを歩き続けてどのくらい時間が経ったのだろうか。国道を逸れて裏道に入った。そろそろ清水駅が近い。もうお昼をとうに過ぎている。お腹も空いてきた。どこから休憩もしたいがこの辺はあまり寺が無い。とりあえず妙蓮寺というところで軽く足を休めた後、清水駅前の西友等で買い物をした。時計を見ると、今日はまだ時間がある。旧東海道からは大きく外れてしまうが、せっかくなので清水次郎長関係の生家などを見に行こうと決め、曲がるべき所を曲がらず、旧東海道を逸れて清水港の方へ向かって歩き始めた。ところが、これがそもそもの悪夢の始まりだったのだ。 私は、清水次郎長に関する周辺地図は持っていなかったが、なんとかなるだろうと、ひたすら道を南下した。ところが、あろうことに迷ってしまったのだ。途中、清水エスパルスのプラザみたいな施設などを通過したが目指すものが見つからない。 果たして1時間くらい歩いただろうか。足も棒になりかけた頃、ようやく番外編最初の目的地、『フェルケール博物館』に到着した。博物館を見学した後、『次郎長生家』(写真館)を目指したのだが、これまた見つからない。散々グルグル廻ったあげく、何度も通った所にあった。灯台もと暗しであったのだ。 その後、次郎長とその子分の墓があるという『梅蔭寺』を訪れ、ようやく番外編も見終えた。ところが、このため予想していた時間をかなりオーバーしてしまっていた。清水から府中(静岡市)まで10キロは下るまい・・・旧東海道に戻ってくると、私は覚悟を決めて一路静岡を目指すことにした。 江尻宿を抜けると、また見所がないところが続くようになってきた。しかも、悠長なことは言っていられない。テクテクと歩き続けた。しかし、この間がかなり長く感じられる。さらに悪いことに、雲行きが段々怪しくなってきており、先ほどの晴天がウソのようにどんよりと曇ってきたのだ。まさか今日は雨降らないよなぁ〜降らないでくれよぉ〜と祈りつつ、先を急ぐ。 草薙にある『草薙神社』は時間の都合上寄ることが出来ず、悔いが一つ残ってしまった。ここはリベンジせな・・・。 さらに歩き続けるが、天候には逆らえず、雨がポツポツと降ってきた。しかし、このくらいならまだまだ行ける。その私の気迫が天に届いたのかどうか分からなかったが、それ以上は雨足が強くならず、私も歩き続けることが出来た。何度か国道1号とぶつかりながらひたすら裏道を歩き続ける。そうしてようやく静岡駅周辺のビル群が見えてきた(写真右)。今日は、これまでだ・・私は、今日泊まるべきホテルを目指して歩き続けた。そうしてようやくホテルに辿り着いたときの安堵感と言ったら・・・しかし、まだ明日もある。今日は早めに睡眠に入ろうではないか。そう思いながら、ホテルの自動ドアをくぐったのであった。(つづく) |
→第10日目 静岡−藤枝 |
歩数計 | 44,270歩 |
カロリー | 1,841.7kcal |
距 離 | 26.57km |
時 間 | 8:42〜17:28 |
支 出 | 交通費|3,180円(新幹線は片道分) 飲食費|2,390円 その他|1,650円(拝観料等) |
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