東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪 | |
東海道:江尻宿〜府中宿 |
江尻宿 東海道18番目の宿場であり、駿河国では、府中に次いで大きな規模を誇った宿場です。清水湊を擁する交通の要衝でもありました。 現在は、清水駅前の繁華街として開発が進み、宿場の面影はほとんど見られませんが、清水次郎長関係の史跡は残されているところが多いです。 今来たところへ戻る△ |
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フェルケール博物館 人と海の交流のステージともいえる湊の生い立ちから未来までを展望できる総合的な港の博物館です。 清水の歴史、海事資料、港湾荷役の道具や機材等の展示物やCG映像、船の甲板を体験できるコーナーなどもあります。 東海道とは直接関係無いのですが、違う施設と勘違いして入ってしまいました。でも、とても面白い施設でしたよ。 今来たところへ戻る△ |
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清水次郎長生家 講談や浪曲、時代劇等で馴染みの深い清水次郎長の生家が今も巴川みなと橋近くに保存公開されています。 次郎長が生前使った道具が昔のままの建物とともに展示されています。 (→写真館) 今来たところへ戻る△ |
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梅蔭寺 侠客として、また、後半生は社会事業家として名高い清水次郎長とその一家の墓があるお寺です。境内には次郎長の銅像が建てられ、記念館には次郎長が愛用した品々が展示され、その生涯を垣間見ることができます。 なお、同寺は見学にお金がかかるので要注意。 今来たところへ戻る△ |
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稚児橋 慶長12年(1607)巴川架橋の祝典の際、川の中から突如現れた童子が橋に上り、何処かに消え去ったという伝説から名付けられました。 私が歩いた時は、ちょうど工事中でした。 今来たところへ戻る△ |
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江尻宿木戸跡 かつて木戸があった跡です。 お城の入り口にでも当たると考えていいのでせうか。 今来たところへ戻る△ |
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追分道標 追分羊羹店の角に立つ追分道標です。 高さ約5尺で正面に「是より志三づ道」と刻字があり、他の面に法華信者の手によって建立されたことが刻まれています。 写真奥には、現在も羊羹店があります(赤いのれん)。 今来たところへ戻る△ |
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都田一家の供養塔 追分け羊羹店からしばし歩くと都田の吉兵衛の供養塔があります。 吉兵衛は通称「都鳥」と呼ばれた侠客で、清水次郎長の子分、森の石松を殺したため、その報復に、文久元年(1861)次郎長により追分で討ち取られました。 今来たところへ戻る△ |
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姥ヶ池 昔、ある長者の子供が咳を病い、その乳母が池の弁財天に祈願して入水し果てると、子供は回復しました。長者が池の淵に杜を立て霊を祀ると、池の底から姥が応えるかのように泡が出て、以来姥ヶ池と呼ばれるようになりました。 今来たところへ戻る△ |
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上原子安地蔵堂 このあたりは、鎌倉時代以前から地蔵原と呼ばれており、地蔵堂はさらに古い年代の創建とされています。天正10年(1582)、徳川家康は武田勝頼攻略に際し江尻の城主穴山梅雪とここで会見し、梅雪は家康軍門に下ったと言われています。 明治24年に焼失した地蔵堂は昭和7年に再建されました。 今来たところへ戻る△ |
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草薙一里塚跡 江戸から数えて43番目の一里塚に当たります。 塚は、往還左右にあり、右は「榎二本杉一本」左は「榎一本」という記録が残っています。 しかし、今は石碑のみとなっています。 今来たところへ戻る△ |
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草薙神社 街道沿いの大鳥居(左写真)と元禄12年建立の刻字がある道標から1qほど入ると、日本武尊を祀った草薙神社に至ります。 蝦夷平定に向かった日本武尊はここで逆賊の放った炎に囲まれ、天叢雲の剣(あめのむらくものけん)を抜き、呪文を唱えて燃える草を薙ぎ払い、危機を脱したと言われています。草薙の地名はこれに由来しています。 今来たところへ戻る△ |
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2002.1.5update
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