東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記 | |
#第7日目|三島−富士 平成13年(2001)4月28日(土)
平成13年(2001)4月28日(土) 東海道第7日目:三島−富士 天気:晴 |
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前日、飲み会があったためかどうかはわからなかったが、目覚めるのを予定していた時刻より遅く目覚める結果になってしまった。それでも、次の電車には間に合う・・と、猛ダッシュで仕度をして家を出た。 今日から、いよいよ泊まりがけで放浪をするのであった。自分の心の中では、いつも以上の緊張感が漂う中、電車は何事もなく走り続け、横浜に到着。そこからJRに乗り換え、新幹線の乗車駅新横浜駅を目指した。ところが、良い乗り継ぎ電車がなく、新横浜駅に着いたのが、新幹線発車時刻の五分前。間に合うか?・・とりあえず走った。ラッキーなことに、まだ電車は来ていなかった。しかし、ホームはかなりの人で賑わっていた。こんな朝早くから・・・やはりゴールデンウィークの初日だし・・と思いつつ、列の後ろに並んだ。ここだと座れないかなぁと思いつつ待つこと数分、新幹線が到着した。ところが、思ったほど混んでいなかった。良かったぁ〜。さっそく乗り込んだ私を乗せた新幹線は、西へ向かって走り出した。 新幹線に乗ること約1時間弱・・前回旅を終えた三島駅に到着。そこから私鉄に乗り換え(これまたちょうど電車が行ってしまった・・)、三島広小路駅に着き、いよいよ旅が始まった(写真上)。 まずは、前回見そびれた『時の鐘』を見て、さっそく一路西を目指す。今日は、非常に天気が良くて、ここまで全く見ることの出来なかった富士山の雄大な姿を拝むことが出来た。これだけでも、来た甲斐があったというものだ。気分が良い、上々のスタートだ。 テクテクと歩き続ける・・途中、立派な『一里塚のある宝池寺』や玉井寺、義経と頼朝ゆかりの『対面石』がある長沢八幡宮(八幡神社)(写真右)などを過ぎる。 ところが、ここまで歩いてきて全然お店がないのだ。朝から何も食べていないし、飲み物も何も持っていないので、早くゲットしたかったのだが、コンビニは無いし、普通の雑貨屋は朝から空いていないし・・・。探している時に全然見つからなくて、必要ない時に限ってちょくちょく見かけるのはどういうことなのだろうか・・・。 背中とお腹がくっつきそうになった頃、ようやくコンビニを発見。この時の嬉しさと言ったら! とりあえずおにぎり・お茶などをゲットした私は、さっそくおにぎりを食べながら先を目指した。 しばらく歩いていると、だんだん町の中心部に近づいてきていることに気づく。どうやら日本橋から12番目の宿『沼津宿』に着いたようだ。 右へ左へと曲がりながら枡形の市街地を進んでいく。ここは、地方中核都市によく見られる高層ビル街となっており、昔の面影を見ることは難しい。しかし、全体的に綺麗な街の印象を受けた。 途中、景観的に非常に素晴らしい『乗運寺』に立ち寄った後(写真上)、東海道筋から外れて、有名な『千本松原』を見に、海岸まで足を伸ばした。 そうして着いた海岸であるが、これがまた素晴らしかった。天気が良かったので駿河湾の遥か遠くまで見ることが出来た。そして、左は伊豆半島、右は焼津の方へ続く列島・・・さらに内陸に目を向けてみると、永遠に続くかと思われる松林の上に富士山・・という、まさに絶景と呼ぶにふさわしい風景が広がっていた(写真右、写真館)。 特に疲れてはいなかったが、少しこの景色を見ていたくて、休んでいくことにした。砂浜には降りなかったのだが、ここの海は非常に綺麗だった。どうも地元付近の海と比べてしまうので、自然そう見えるのかもしれない・・・。とりあえず、ゆっくりした私は再び東海道合流し、先を目指すことにした。 再び旧東海道に戻った私は、テクテクと西を目指して歩き続けた・・・が、この辺は特に見所が無いため、自然と単調な歩きになってしまう。これで、富士山が見えなければもっと辛かっただろう。 果たしてどのくらい歩いたのだろうか・・・ようやく『原宿』付近にたどり着いた。この辺りは大きな史跡等も無いためなのか、特に町ぐるみでも取り組みは行っていないようだ。『松蔭寺』に立ち寄った後は、再び先を目指した。 しかし、歩いているとやはり喉が乾いてくる。ところが、手持ちのお茶がほとんどなくなってしまった。しかも、そろそろお腹も空いてきた・・どこかにコンビニのようなお店が無いだろうか・・・しかしながら、こういう時に限って見つからないのである。 もう本能の赴くままに先を目指しつつも、周りをキョロキョロしながら歩いていた。しかし、見つからない。段々パワーダウンしてくる自分がいることに気づく。せめて飲み物でも・・と思うのだが、こういう時に限って自動販売機が一台も置いていない・・・全く運が悪いというかなんというか・・・。 途中、旧国道と逸れる場所にさしかかった頃、「もうダメだ・・」と思い始めていた私の前に突如現れた自動販売機!「おおっ、天の助けだ」とばかりに、とりあえず飲み物を入手!!食料は、歩いている途中で、カバンの中にさっき買ったけど食べていなかったパンが入っていることを思い出したので、次に食べる場所を探すことにした。出来れば景色の良いところで・・と思い、海の方に行こうとしたが、変な施設があったりしていけなかった。しかし、そんな私の目に飛び込んできたのが、ある普通の稲荷神社。さっそくここに寄って休むことにした。 神社は、ここ最近誰も立ち寄っていないと思われた。それほど、ものすごいほこりをかぶっていた。しかし、贅沢は言っていられない。ここで、今日初めてのゆっくりとした時を過ごした。この神社は、少し高台にあるため、真っ正面に富士山がそびえ立っている。その富士山が、時とともに移り変わっていく様は、なかなか体験することが出来ないであろう。これも旅の醍醐味の一つである。そして、この時食べたパンの美味しかったこと〜。とりあえず体力的には落ちているものの、気力が回復したので再び西を目指すことにした。今日の宿は富士・・まだ10キロは先である。さっそく出発した。 そうしてトコトコと歩いているうちに、先に見えて来たのが白い煙を吐き出している煙突の山・・・ここが旧吉原(宿)であった。もともと、このJR吉原駅周辺が吉原宿の中心であったそうだが、津波や洪水等により場所替えを余儀なくされたそうだ。しかし、いくら工業地だからとはいえ、ここに住んでいる人は大変だろうなぁと思った。 さらに先を進んでいくと、東海道中でただ二ヶ所しかない左側に富士山が見える場所に着いた(写真上)。普通なら、西に向かって歩いているならば、富士山は右側に見えるのだが、ここでは道が曲がりくねっているためこういう現象が起きるのである。私は、左利きなので、こういう珍しい現象ということに敏感に反応してしまう・・。気持ち的に嬉しかった。 そうこうしているうちに、『平家越えの碑』を見、鉄道駅と共に商店街が見えてきた。ここが『吉原宿』である。 吉原宿だったこの商店街は、思っていた以上に大きな町だった。そして、太い道路が南北に走っている。しかも富士山は目の前に見えているではないか。 この富士山が見える生活というのは憧れである。朝起きて目の前に富士山が見えたら・・・と夢に思いつつ、吉原宿を後にした。 宿を出た後、しばらく歩いていたが、足の調子がおかしくなってきたので、近くの公園で足を休めることにした。見てみると、マメが出来かけている。富士駅まであと約4キロ・・1時間くらいだろうか。これまで結構なハイペースで歩いてきたので、まだ日は高い。ここからは少しスローペースで歩いていくことにした。 途中、大きな通りを何度も渡りながら先を目指す。しかし、この辺りは工場の影響だかなんだかわからなかったが、あまり良い環境ではなかった。川は腐ったにおいがしているし、空気は濁っているし、車はスピードを落とさないし・・・。そんな環境下を歩いていたが、富士山が見えなければもっと辛かっただろう・・それほど今日の富士山には助けられてきた。 そうして、どのくらい歩いたのだろうか・・・前方に商店街が見えてきた。これが富士駅周辺の商店街だろう(写真右)。ここを左に曲がり、一旦東海道筋から逸れた私は、今日予約してあったホテルを目指した。富士駅前に着き、無事ホテルを発見した私は、近くのスーパーで夕食を購入し、今日一日の終着点であるホテルに入ったのであった。いよいよ明日は薩た峠だ。今日はゆっくり休もう・・とチェックインをして、部屋に向かったのであった。(つづく) |
→第8日目 富士−由比 |
歩数計 | 39,882歩 |
カロリー | 1,659.1kcal |
距 離 | 23.93km |
時 間 | 8:17〜16:12 |
支 出 (交通費) |
交通費|3,430円 飲食費|2,838円 その他|0円 |
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