東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:三島宿〜沼津宿
三島宿〜今では商店街として栄えています 三島宿
三島大社の門前町として、箱根峠を東に控える宿場町として大きく賑わいました。「富士の白雪やノーエ」の「ノーエ(農兵)節」や富士の湧き水でも知られました。
現在では、宿場があった辺り(左の写真参考)は、繁華街として開発が進んでいます。

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三島神社〜今も昔も地域の信仰の対象であります 三島大社
古来、伊豆国一の宮として広く崇められ、樹齢1200年の老木「金木犀」が現存する荘厳な神域には、権現造りの社殿と史跡が点在しています。
この社で源頼朝が源氏の再興を祈願成就したことは有名で、その多くの資料が宝物館に展示されています。

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樋口本陣址です。碑のみがありました 樋口本陣址
三島宿内の本陣址碑です。
通りの片隅にぽつんと建てられていました。

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世古本陣址碑です。 世古本陣址
世古本陣址碑です。
上記本陣址碑と同じく、通りの片隅にありました。

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時の鐘〜三石神社境内にあります 時の鐘(三石神社)
江戸時代のものは、寛永年間に鋳造され、時刻に従って時を告げていたと言われています。
第二次世界大戦に供出されて一時期消失してしまいましたが、昭和25年(1950)、有志の手によって再興されました。
今は、広小路町の三石神社境内にあります。

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千貫樋(せんがんどい) 千貫樋(せんがんどい)
伊豆・駿河の国境、境川に架かる樋です。天文23年(1554)、今川・武田・北条の和睦成立時、北条から今川に引出物として、小浜池から長堤を築き、駿河に水を引いた際のものといわれています。
現在は、鉄筋コンクリートに改修されています。

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宝池寺前の伏見一里塚です 伏見一里塚
江戸から29番目の一里塚です。西側は、玉井寺の境内にあり、高さ1メートル、9uの塚に榎が植えられ原型をとどめています。
東側の宝池寺門前の塚(左写真)は、近年復元されました。

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対面石〜頼朝と義経が出会った場所! 対面石(八幡神社)
治承4年(1180)10月、頼朝が黄瀬川の宿に陣した時、奥州からかけつけた弟の義経と対面しました。互いに懐旧の涙を流したと言われています。
その時に腰掛けた二つの石が、対面石として八幡神社内に残っています。

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亀鶴姫の碑 亀鶴姫の碑(潮音寺)
曾我兄弟の仇討ち物語に登場する黄瀬川宿の遊女・亀鶴が守り本尊としていた観音を祀った「亀鶴観音寺」というお寺がありました。
このお寺は、明治12年に廃寺となり、観音や碑は潮音寺に移されています。

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平作地蔵尊 平作地蔵尊
雲助平作が、娘婿の仇の行方を聞き出すために自害した話は浄瑠璃で有名だそうです。
後に地蔵尊が建てられ、延命子育地蔵として信仰を集めています。

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沼津一里塚跡 沼津一里塚跡
沼津宿付近の一里塚跡です。
ここまでくれば、沼津宿はすぐそこです。

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2001.11.07update


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