#第9日目|すずらんの里−下諏訪 平成15年(2003)11月23日(日) 天気:晴


放浪日記第九日目MAP|すずらんの里−下諏訪


■歴史資源豊富な裏道をゆく
一里塚跡 頼重院からさらに進むと左手に『一里塚跡』を示す石碑。江戸から51里目の一里塚だ。残りの一里塚は2カ所となった。ここから見どころがない道をゆく。いや、車の通らない細い道沿いに続く街並みだけでも、十分見どころだと言えよう。

 信号のある十字路にさしかかったところで、何げに右手の山林を見てみると、『桑原城跡』と書かれた大きな看板が見えた。どうやらこの辺りにお城があったようだ。先ほどの板垣城跡や上原城跡もそうだが、山城が多いのは戦国時代という背景を物語っていると言える。
足長神社 十字路を直進すると、すぐ右手に急階段が続いている。『足長神社』の参道だ。登ってみようかと、これっぽっちも思わなかったのは、年をとった証拠か。
 さらに進み、細い道から割と道幅のある道へ合流。それでも交通量は多くない。その道を歩く途中、フワ〜っと温泉特有の硫黄のかほりが漂ってきた。このにおい、小さい頃は「たまごの腐ったようなにおい」なんて言っていた記憶があるが、決して嫌いなにおいではない。温泉ブームの今では、かぐわしいにおいとして、人々に愛されているのではないだろうか。なんにせよ、温泉地・上諏訪に入ったことを意味する。そうこうするうちに国道へ合流。


■校歌が18番!?
諏訪清陵高校。校歌が長いのだ 国道は相変わらず交通量が多い。歩いていると右上手に高校が見える。諏訪清陵高校というところで、別に私とは縁もゆかりもない学校だが、たまたま昨日宿泊中に見ていたテレビ番組で、この高校が出てきたので記憶に残っていたのだ。なんでも、校歌が大変長く18番(!)まであるという。高校に入学した際には、まず校歌を暗記することから始まるというから驚きだったのだ。それもあってか、暗記能力に長けるのか、進学率も高いということも含めて、とりわけ印象深かった。
 高校を横目に、左手のコンビニで飲料補給。

甲州街道9日目Cマップ



■お清めの水がなんと温泉!<正願寺
正願寺の嬉しい配慮。右側に「水道 浄水・花立」、左側に「温泉 墓拭い・手洗用」と書いてあります コンビニを後にすると、変則交差点にさしかかる。左手に『連子格子の酒屋』を見つつ、反対側の斜め右に入っていく細い道を進む。このまままっすぐ国道を進む道も旧街道らしいが、落ち着いてそうな裏道を進む。案の定、車の往来の少ない道が続いていた。ここで右に曲がる細い道があるので街道を離れて右折。
 そして到着したのは『正願寺』。このお寺には、松尾芭蕉の奥の細道に随行した曽良のお墓があるのだ。その前に手の清めを・・と思ったら、なんとここでは温泉で手を清めるのだ!寒かったので、余計に嬉しかった。そして、案内に従って本堂の裏手へ。たくさんのお墓の中に『曽良のお墓』はあった。曽良は、上諏訪出身。もっとも、本墓は亡くなった壱岐にあるとのことで、ここには遺髪が納められている。
家康の六男・松平忠輝のお墓。長寿でした 次いで甲州街道に面している『貞松院』を参拝。こちらには、家康の六男『松平忠輝のお墓がある。忠輝は、江戸幕府の鎖国政策に対して、開国思想を持っていたこともあり、不遇の人生を送った人物である。しかし、93歳という長寿を保ち、地元民には敬われていたそうなので、それもまた良い人生だったのかもしれない。
 再び街道に復帰。『高国寺』を横目にテクテク歩き、右手に郵便局のあるT字路で左折。ここで街道を離れ、高島城を見に行くのである。ちなみに、この辺りが往時の『上諏訪宿』の中心地だったようで、近くに本陣跡があるらしいのだが、探し回ったが石碑などは見あたらなかった。


■街道を離れ高島城を訪問
高島城天守閣 目指す高島城は、街道から1km弱離れている。飲み屋などが並ぶ道を進むと、お堀が見えてくる。ここが『高島城跡』で、現在高島公園となっているところだ。公園をグルッと見学しつつ、お城へ。この高島城は、廃藩置県後に撤去されたが、住民の強い要望により天守閣が復元されたという。これを知り、諏訪市民の団結力というか、郷土愛というものを、あらためて感じることが出来た。
 城内は、お城や諏訪藩等に関する資料室となっており、3階は展望台となっていた。往時の高島城は、水中からお城が浮き出ているように見えることから浮城とも呼ばれていたそうだが、現在は諏訪湖畔より遠ざかっており、その間には多くの建物が建てられている。

高島城



■石様?
児玉石神社境内にある大きな石様 高島城を後に、再び街道に復帰。復帰してすぐ右手に『手長神社』へ続く参道が。先ほどの足長神社と同様参拝を断念。体力のこともあったが、早く街道を踏破したい気持ちの方が強かったかもしれない。東海道を歩いていた時は、まだ終わりが来てほしくない気持ちがあったが、甲州街道ではその気持ちが湧いてこない。さらに進むと『吉田の松』、江戸から52里目の『一里塚跡』などを横目にひたすら進む。
 道が右に大きくカーブしているところで、南信濃名勝地温泉寺と書かれた石碑を発見。この先に『温泉寺』があるようだが、遠くから本堂の屋根を確認して先に進むことに。続いて左にカーブする途中には、『児玉石神社』。この神社、社殿の目の前に大きな石が居座っていて、「石様」・・という感じだ

イシ様のある児玉石神社



■街道から諏訪湖を望む
輝いている諏訪湖 引き続き細い道をゆく。緩やかな登り坂が続き、ちょっと息が荒くなる。それでも、落ち着いた街並みと左手に諏訪湖が見え始めて、気持ちがすがすがしくなる(写真右)。この景色を見るためにここまで歩いてきたなんて錯覚に陥ってしまう。もう二度と歩かない道かもしれない・・しっかりと瞼(まぶた)に景色を焼き付けながら歩みを進める。
 前方左に連子格子の残る立派な家屋が見えてきた。ユースホステルと書いてあるが、おそらく現在はユースホステルとしては利用されていないだろう。こんなユースなら是非泊まってみたいものだ。
石投げ場から終着点・下諏訪方面を望む さらに進むと、右手少し奥に入ったところに『島木赤彦住居』。さらに細い道をゆくと、一気に湖が近くに見える見晴らしの良いところがある。そこは石投げ場』と呼ばれ、昔はここから湖めがけて石を投げたそうだ。ただし、今石を投げると人に当たるか車に当たるかで危険なのでやめましょう<誰もやらんって。昔は、もっと湖水が近くまで迫っていたそうだ。

石投げ場からの眺め



■甲州街道最後の一里塚
一里塚跡・・・甲州街道最後の一里塚です 道は緩やかな下り坂に。途中に一里塚跡』の石碑がある。江戸から53里目の一里塚で、甲州街道最後の一里塚となる。距離にして約212km・・そう考えると、やはり感慨深い。そして、それと同時に終着点の下諏訪が近いことを証明している。引き続き落ち着いた集落内を歩く。
 この先、見るべき史跡は全て見終わった。それもあってか、足が「早く行こうよ」とせっつかしてくるが、気持ちがそれをセーブしている。結局気持ちが勝って歩みが遅くなる。


■あれ?
諏訪神大社秋宮近く・・・その観光地化した空間に茫然自失・・ 道は登り坂となり右に大きくカーブ。すると、いきなり前方が騒がしくなり始め、目の前が開けたとたん、たくさんの人と車が目に飛び込んできた。「は?・・これは?」これまでの静寂から一転して、あまりの賑やかさに思わず呆然とその場で佇んでしまった。そう、ついに終着点である『下諏訪宿』に到着したのだった。自分の想像していた空間とかなり異なっていたこともあって、しばらくその空気に馴染めなかったが、いつまでもここに居てもしょうがない、と本当の終着ポイントを目指すことにした。諏訪神大社秋宮は後ほど訪れることとした。大社前を過ぎ、下諏訪宿甲州道中口『番屋跡』、塩羊羹の有名な『新鶴』などを見つつ、目指すポイントに。

諏訪大社秋宮



■ついに・・・甲州街道踏破
甲州道中・中山道合流之地碑 そして、ついにそのポイントが駐車場の奥に見えた。それは『甲州道中・中山道合流之地』である。ここで、甲州街道はその役目を終え、ここからは中山道の旅路となる。そして、9日間に及ぶ甲州街道放浪もここに幕を閉じることになる。

 なんか・・・・あっけなく終わってしまった。


 東海道の時のような気持ちが湧いてこないのは、先ほどの件で毒気を抜かれてしまったからだろう。でも、これはこれで良かったのかも。だって、これで終わりではなく、また新たなる旅立ちの時でもあるのだから。

 街道歩きに目覚めた男は、大社に旅の無事を報告する前に、いつかの中山道歩きの前に、下諏訪宿内を散策しようと、新たなはじめの一歩を踏み出した。(完)
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歩数計 35,250歩
カロリー 1,485.2kcal
距 離 21.15km
時 間 8:30〜15:12
支 出 交通費|−−−円
飲食費|−−−円
その他|5,250円(宿泊代)

2004.3.25update
2007.04.26renewal


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