#歴史探訪 上諏訪宿〜下諏訪宿
甲州街道:上諏訪宿〜下諏訪宿 |
上諏訪宿 日本橋から数えて45番目の宿場です。 宿場町でありながらも、かつては、高島城の城下町ともなっていたようですが、実際にお城からは距離があり、実質は街道筋の宿場町としての要素が強かったのではないでしょうか。 寺社がかなり点在しており、意外と歴史を感じさせてくれます。現在は、温泉地としての観光地でもあります。 今来たところへ戻る△ |
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真澄(蔵元) 交差点前に位置する連子格子の酒屋さんです。この交差点から甲州街道は、2通りの道に分かれます。どちらを歩いても大丈夫です。 今来たところへ戻る△ |
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正願寺 甲州街道から100mほど奥まったところに位置しているお寺です。このお寺は、お清めの水が、なんと温泉でした! 本堂裏手の墓地に、松尾芭蕉に随行して奥の細道を歩いた曽良のお墓があります。 今来たところへ戻る△ |
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曽良の墓 正願寺内の墓地に河合曽良のお墓がありました。 曽良は、松尾芭蕉の奥の細道に随行したことで有名です。元々、この上諏訪出身で、のちに伊勢長島藩の河合家の養子となったそうです。なお、このお墓には、遺髪のみ納めてあり、本墓は客死した壱岐にあります。 ちなみに、芭蕉が詠むことが出来なかった松島で、曽良は俳句を詠んでいるんですよ。 今来たところへ戻る△ |
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貞松院 初代諏訪藩主・頼水の夫人貞松院が葬られています。また、徳川家康の六男・松平忠輝のお墓もあります。 今来たところへ戻る△ |
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松平忠輝の墓 貞松院内にある、松平忠輝のお墓です。 忠輝は、江戸幕府の鎖国政策に対して、開国思想を持っていたこともあり、不遇の人生を送った人物ですが、93歳という長寿を保ちました。 今来たところへ戻る△ |
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高国寺 三代諏訪藩主・忠晴が、生母・永高院のために開いたお寺です。永高院遺品などが残されています。 今来たところへ戻る△ |
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精進湯 昔からの温泉。現在は、近代的な建物となっています。 今来たところへ戻る△ |
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高島城跡 かつては、諏訪湖に接していたことから、諏訪の浮城と呼ばれていたそうですが、現在は湖から離れています。 昭和45年(1970)、地元住民の強い要望で、天守閣が復元され、周辺の高島公園とともに、地元住民の憩いの場となっています。 今来たところへ戻る△ |
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手長神社 先ほどの足長神社と同様、高台に向かって階段が続いている神社で、詳細不明です。 今来たところへ戻る△ |
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2004.5.20update
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