#歴史探訪 上諏訪宿〜下諏訪宿
甲州街道:上諏訪宿〜下諏訪宿 |
吉田の松 諏訪市の天然記念物となっている松です。 諏訪藩四代忠虎の時、大阪城守備のため何度も出兵しており、その時随行した藩士吉田式部左衛門が持ち帰ったものが、この赤松だそうです。 この赤松が来る前は、諏訪には赤松がなかったとのこと。 今来たところへ戻る△ |
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一里塚跡 慶長15年(1610)頃、ここに一里塚ができましたが、現在は石碑があるのみです。 今来たところへ戻る△ |
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温泉寺 諏訪藩二代藩主・忠恒が、初代藩主頼水の遺志を継ぎ、慶安2年(1649)に開いたお寺です。諏訪藩主の菩提寺でもあります。 今来たところへ戻る△ |
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児玉石神社 鳥居の奥にどっかりと大きな石が横たわっています。おそらく、この石が神社名の由来になっているのだと思いますが詳細不明です。 湯之権現とも呼ばれ、諏訪湖の御神渡りの際、その割れ筋がこの神社に向かって走れば豊作、と言われています。 今来たところへ戻る△ |
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先宮神社 この神社は大変歴史が古く、古事記の神話の一節に見られるそうです。 今来たところへ戻る△ |
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長崎家 格子窓の見られる立派な家屋は、長崎家。建物自体は明治時代建築のようですが、大変立派です。資料には、ユースホステルと記載されていますが、まさか現役・・じゃないですよね?? この建物横の案内には、かつて茶屋がここにあったと書かれていました。 今来たところへ戻る△ |
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島木赤彦住居 アララギ派の歌人島木赤彦の旧居です。 明治30年に久保田家の養嗣子になってから、大正15年に亡くなるまで、ここで過ごしました。 昭和54年下諏訪町が遺族から譲り受けて管理しており、下諏訪町の指定文化財となっています。 今来たところへ戻る△ |
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石投げ場 昔は、ここから諏訪湖水めがけて石を投げたりしたそうですが、現在はちょっと湖から離れております。 明治天皇関連の石碑も建てられています。 今来たところへ戻る△ |
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富部一里塚跡 江戸から数えて53番目の一里塚跡です。甲州街道沿いでは、ここが最後の一里塚になります。ここを過ぎると、あと約1.1kmで中山道との追分に到着してしまいます。やっとここまで来たかと感慨深いものがあると同時に、寂しさを覚えてしまいます。 今来たところへ戻る△ |
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2004.5.20update
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