#歴史探訪 金沢宿〜上諏訪宿


甲州街道:金沢宿〜上諏訪宿
金沢宿の街並み 金沢宿
日本橋から数えて44番目の宿場です。
もともと別の場所にあった「青柳宿」が洪水等の災害により、こちらに移動してきたのがはじまりで、その時に宿場名も変わっています。
鉄道から少し離れているためか、鉄道沿線開発の波から逃れたようで、格子窓の家屋などが見られます。ただし、空き家らしき家屋も多く見られ、若干衰退傾向が感じられるところです。


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泉長寺 泉長寺
2つ下の「金沢宿本陣跡」の欄に出てくる悲劇の主人公・小松三郎左衛門のお墓があるお寺です。


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おてつき石 おてつき石
泉長寺門前にあったおてつき石と書かれた石碑と、それらしき石。別に関所があったわけでもないのに、これは何を意味するものやら。


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金沢宿本陣跡 金沢宿本陣跡
本陣跡です。代々小松家が務めていましたが、延宝6年(1678)四代三郎左衛門の時に、伝馬を怠ったとの理由により、三郎左衛門は磔(はりつけ)の刑に処され、家は断絶してしまいました。その後、明治初年まで白川家が本陣問屋を務めました。
現在は、「長野懸」と書かれた石碑と案内板があるのみです。


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小林家 小林家
趣の感じられる格子窓のこの家屋は、かつて馬方宿をしていた小林家です。家の前に馬繋ぎ石が残っているそうですが、未確認です。


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権現の森 権現の森
金沢宿を出てすぐのところにこんもりとした森林地帯が見られます。それが、この権現の森と呼ばれているところです。大変立派な巨木が林立しています。
ちなみに、この権現の森に設置されていた案内板には、以下のようなことが記載されておりました。
「もともと青柳宿と呼ばれていた頃は、この森の北西部に宿場がありましたが、度重なる大火により、この森の南部に移されました。」(一部要約)


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一里塚跡 一里塚跡
江戸から49番目の一里塚跡。石碑が見られたので、おそらくこれで正しいと思うのですが。
手前に写る川は、宮川です。


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五味邸跡 五味邸跡
明治天皇が三重・滋賀・京都などを巡幸された際に、御小休所として充てられた五味邸跡です。


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八幡社 八幡社
江戸時代に徳川家康の庇護(ひご)で復活した高島城主諏訪氏が、参勤交代の際に必ず立ち寄って参詣したという神社です。


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2004.5.19update


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