東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第17日目|美合−知立 平成13年(2001)12月1日(土)

放浪日記第十七日目MAP|美合−知立

平成13年(2001)12月1日(土) 東海道第17日目:美合−知立 天気:晴

放浪17日目のはじまり。美合駅付近の松並木 なんと、前回の放浪から2ヶ月が過ぎようとしていた。
 この間、家でじっとしていたわけではなく、あちこちに出掛けていたが、やはり東海道を歩きたい気持ちは片時も忘れたことがなかった。そう、私は知らず知らずのうちに‘東海道’の魅力にとりつかれていたのである。
 そして、冬の気配が漂い始めたこの日、ようやく放浪に行く機会を得たのである。今回は、前日仕事で遅かったにもかかわらず、かなり頑張って早起きをして、朝の5:20頃家を出た。その後、始発電車を乗り継ぎ新幹線も始発に乗り、一路西へ。新幹線を降りた後、名鉄に乗り換え前回旅を終えた美合駅に到着し、歩き始めたのが9:22・・なんとここまで4時間もかかってしまった。中途半端なところで旅を終えてはダメだ・・とあらためて感じた。


岡崎27曲がりの碑〜ここから岡崎宿がはじまります しかも、久しぶりの東海道歩きで、ちょっと緊張気味。足は最後までもつのだろうか・・とちょっと不安を持ちつつその第一歩を踏み出したのだった。
 まずは、前回旅を終えた旧東海道まで戻ることにする。そして、見覚えのある松並木にぶつかると、そのまま左折して再び京都を目指して歩き始めた(写真上)。
 いきなり信号のない交差点にさしかかる。かなりの大通りにぶつかったのに信号がないとは・・。しかし、なんとか車の流れがとぎれたのを見計らって向こう側に渡ることに成功!
 その交差点からすぐ行ったところで『岡崎源氏蛍発生地碑』を見る。すぐ横に川が流れており、このあたりには、昔ホタルが見られたそうだが、今は車の修理工場らしきものがすぐそばにあり、とてもホタルがいるような環境には見えなかった。実は、私は生まれてこの方一度もホタルというものを見たことがないのである。そんなに都会に住んでいるわけではないのに・・都会人の悲しいサガである。といいつつ、それほどの都会に住んでいないことがさらに自分をどん底に(笑)
岡崎宿中心部を歩道橋上より〜右手に岡崎城があります しかし、ちょっと落胆したのもつかの間、すぐ先に拡がっていた日本の原風景とも言える景色が目に入るや否や、すぐに気持ちを切り替えることができ、その気持ちを持続したまま自然の中を歩いた。しかし、ちょっと周りを見渡せばビルや家などの建物も見え、近代化した日本を喜ぶのと同時に、こうした自然をいつまでも大切にしたいと私は切に願うのである。
 そのまま乙川にぶつかり、国道一号沿いの橋を渡り再び旧東海道へ。そのまま歩き続け、再び地図を取り出した。確かこの辺に、かの有名な『大岡越前の陣屋跡』があるはずだが・・・グルグルと廻ってみたが見つからない・・。探し歩いた末にようやく見つけたっ!・・と思ったが、資料に載ってる写真と違う・・かなり立派になっており、果たしてこれなのかと疑問が残ったが、他に見あたらないので、とりあえず写真に収め先を急ぐことにした。(後日、色々と調べてみたら、新しく整備したとのことなので合っていた・・ほっ)
岡崎城〜雲一つ無い青い空と紅葉の赤、松の緑がお城に似合います! 再び旧東海道に戻り、テクテクと歩き出す。途中、『大平の一里塚』を横目に、再び国道1号に合流。ここからしばらく国道沿いを歩くことになる。国道は、車の通行が多く、環境が悪く、見どころもあまりないため歩いていてあまり気持ちの良いところではない。しかし、それはそれで逆に利点もあり、例えば国道沿いにはお店が張り付いたりしているので、コンビニに立ち寄りたい時などは非常に有り難い道に変わるのである。そして、今がその時であった。
 ところが、こういう時に限って、何故か店が一軒もない道なのである。どうもいっつもいじわるをされてるようだ・・・何か怨みでも持ってるのだろうか?(笑)結局コンビニを見つけられないまま国道を歩き続け、ようやく途中から国道をはずれ裏道へと突入した。
 国道からはずれた後、少し歩くと『二十七曲がりの碑』にたどり着いた。この辺りから『岡崎宿』の始まりである。岡崎宿では旧東海道が宿内を幾重にも折れ曲がっており、これが敵の容易な進入を拒んできたのである。さっそく地図を見ながら慎重に歩き始めることにした。
 クネクネと道を曲がり続ける。街中も徐々に活気づいてきて、かつての宿の中心部であり、現在でも中心市街地となっているところに近づいていることを肌で感じられるようになってきた。
 途中、『本陣跡(碑)』などを見た後、とってもモダンな建物を発見。建物の近くにあった立て札によると、どうやら旧商工会議所で、現在は『岡崎信用金庫の資料館』(写真館)となっているものだった。この建物を見てあらためて思ったのだが、私はこうしたモダンな建物がとても好きなんだ・・と。それは、見附宿にあった見附小学校、松本の開智学校、札幌の時計台・・等々。
矢作川〜この川に架かる橋のたもとで秀吉と(蜂須賀)小六が出会ったのです ちょっとウキウキしつつ、さらに宿内を歩き続ける。しかし、道が右に左に曲がりくねっているため、宿内を抜けるのにとっても時間がかかっている。途中コンビニを発見し、水分と食糧補給をする。
 そうしてひたすら宿内を歩き続け、ようやく『岡崎城』付近に到着した。
 ここまで、まったくお城の姿を見ることができず、もしかしてとっても小さいお城なのでは・・とちょっと危惧していたが、そんな心配ご無用とばかりに、私の目の前に飛び込んできたその姿はとても雄大だった(写真上、写真館)。その姿を見て、さすがは家康発祥の地だと唸らざるを得なかったのであった。
 さっそくお城を見に行くべく、岡崎公園に入った。世の中はもう冬の気配が漂っていつつある感じだったが、木々に至ってはちょうど紅葉の良い時期で、良い感じに色づいていた(写真館)。そうした色づいた木々のトンネルをくぐりつつ、目指すべきお城に到着。晴れた週末の土曜日とあって、家族連れ、年輩ご夫婦、若い恋人同士と多種多様な人々が訪れていた。私は、さっそくお金を払ってお城に入ることにした。
 岡崎城の中は、どこのお城と大差なく、当時の武具などが展示されており、それらを見ながら徐々に天守閣に岡崎市と安城市の境にある松並木。変わったお兄ちゃんに出会いました(笑)登れるようになっていた。それらを見つつ、最後に天守閣に登り、ぐるっと岡崎市内を望んでみた。今日は晴れているので遠くまでよく見渡せるではないか!昔の殿様・家康もこうやって城下町を見ていたのだろうか。もっとも、今のような近代的な建物は見えなかったにせよ、やはり同じ景色を味わうことが出来るのはとっても嬉しいことだ。
 そうして、お城を後にした私は、さらに西を目指すことにした。
 お城を出た私は、少し歩いたところにここ岡崎の名物でもある『八丁味噌蔵』を見た。かれこれ600年の歴史をもつというから、かなり古い歴史を持っていることになる。歴史の奥深さをあらためて実感したのであった。
 味噌蔵を過ぎた後、矢作川にぶつかった。この橋は秀吉と蜂須賀小六が出会った場所と云われており、それを模した『出会いの像』があった。それを右に道は再び裏道へ。
 ここから少し裏道を歩く。その後何事もなく再び国道1号に合流し、かなり長い間国道沿いを歩くことになる。しかもこの辺りもかなりの交通量で、早く抜け出したい思いから、ただひたすら歩いた。そうして岡崎「雲竜の松」という立派な松が植わっている永安寺(雲竜の松は写真の右に写っています)市から安城市に入った頃、ようやく国道を逸れホッと出来る裏道に入った。
 と、私の目の前に入ってきたのは先まで続いている松並木(写真上)。
 「おおっ〜」
 かなりきれいに残された松並木である。今回は事前にあまり情報を入手していなかったので、こんなところに松並木があるとは知らなかった。さっそくカメラを出して写真を撮ろうと思ってカバンをあさっていると、向こうから一人の男性が歩いてきて、同じようにカメラを取り出した。「東海道ウォーカーかな?」と思いつつも、とりあえず松並木を写真に収めた。と、その時、その彼が突然話しかけてきたのだ。
 「旧東海道を歩いているんですか?」「ええ。西に向かって歩いているんです。」「こっから先、松並木がかなりいいっすよ〜」「あ!そうですかぁ〜ありがとうございます」「それじゃあ」「どうも〜」と、こんな感じでそのまま別れたのだが、なんとも面白いお兄ちゃんだった。しかし、同じウォーカーと出会うとなんか無性に嬉しくなってくる。
 そうして、そのまま松並木をしばらく歩いた。安城市の松並木〜安城市内には多くの松並木を見ることができますこれがなかなか良い感じの松並木だ。相変わらず車の量は多いのだが、やはりこうした松並木を見てると心が安らいでくる。昔の人も同じような気持ちだったのだろうか・・。しかし、昔はもっと松並木が続いていただろうから、ここまでの感慨は湧いてこなかったかもしれない。
 松並木を抜けた私は、さらに西に向かって歩いた。まだ日中も半ばにもかかわらず、そろそろ日差しが弱くなってきている。夏場ならまだこの時間は暑くてしょうがない時間帯だが、やはり冬は日中が短いことをあらためて感じさせられた。
 途中、永安寺というところの立派な『雲竜の松』を見て(写真上)、再び松並木にぶつかった。ここの松並木は地域の人々の努力により復活させつつあるところであった。うん、素晴らしい。しかし、ちょっと閉口だったのが歩道がないこと。車は相変わらずスピードを落とすことなく通りすぎていく。どうしても身体を縮めつつ歩かざるを得なくなってしまう・・。
 松並木が終わってしまうと、すっかり見どころがなくなってしまった。先を急ぐべくただひたすら歩き続けた。しかし、目的もなく歩き続けるのは結構苦痛になる。そのため、足を休ませるのと気分転換も含め知立の松並木〜隣の安城市に劣らず知立も地元の人の尽力により徐々に松並木が形成されていますて来迎寺公園という公園で軽く休んでいくことにした。
 この公園、周りに何もなく、近くには工場があって、ちょっともの寂しいところだった。しかも、だいぶ日も傾いてきていて、なんだか肌寒く感じられてきて、あまり長居をしたくないと思って、そこそこに公園を後にした。公園内の木がきれいに色づいていたのが救いかなぁ。
 公園を出た私は、さらに先を目指した。テクテク歩いていると、『来迎寺一里塚』を発見。ここの一里塚は、きれいに道の両側に現存していた。普通、一里塚は道の両側に備わっているものなのだが、やはり開発によってそれらは全くなくなってしまったり、残っても片方だけという所が多く、こういう風に両側とも残っているのはまれだという。この街の人達が必死に守ってきたのだろう。素晴らしいことである。
 さらに歩き続ける。足は特に問題がなさそうだが、なんとなく無理をしてはいけないという気持ちが先走っていた。そんなこんなで歩き続けていると、再び松並木にぶつかった(写真左)。この松並木は知立の松並木だという。ここもなかなかきれいに残っていたが、台風のためやられた関係で、後に幼松を植えたという。こうした街ぐるみの取組が良い感じだ。本日の最終地〜知立駅
 その後、国道1号を横切り、さらに裏道を歩く。そろそろ『池鯉鮒宿』だ。今では「知立(ちりゅう)」であるが昔は「池鯉鮒(ちりふ)宿」と書いた。その名の由来は不明である。
 途中、大通りの交差点を横切り、狭い道を歩き続けると、大きな建物にぶつかった。地図を見てみると、ここを曲がれば名鉄知立駅である。どうしようかと迷った末に、今日はここまでにすることにした。まだ明日もあるし、無理しなくても良いだろう・・と。
 さっそく道を曲がり、旧東海道から外れた『本陣跡碑』と『脇本陣玄関』を見た。そうして、ようやく知立駅に到着(写真右)。
 明日は、この駅から。今日は、まぁまぁかなぁ〜と自己分析をしつつ、ちょうどそこにやってきた電車に飛び乗ったのであった。(つづく)
→第18日目 知立−呼続


歩数計 31,170歩
カロリー 1,296.7kcal
距 離 18.71km
時 間 9:22〜15:42
支 出 交通費|6,100円(新幹線は片道分)
飲食費|1,134円
その他|200円(見学料等)


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