東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:岡崎宿〜池鯉鮒宿
岡崎宿〜昔の城下町は、現在でも愛知の拠点都市として栄えていました 岡崎宿
東海道38番目の宿場です。
岡崎宿は、徳川家康の居城でもありました岡崎城の城下町として栄えました。二十七曲がりと呼ばれる屈曲した街道筋が特徴的です。
戦災に遭い、戦後は近代都市として発展したため、宿場中心部に昔の建物はほとんど残っていません。
また、古くから八丁味噌でも知られており、宿場の西のはずれに味噌蔵が続いているのがわずかに当時の面影を伝えています。

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岡崎城下27曲がりの碑 岡崎城下27曲がりの碑
天正18年(1590)10月、田中吉政が岡崎城に入城して城下の整備に取りかかりました。城下の道は、防衛の意味から屈折しているのが常で、岡崎城はその典型的です。これが曲尺手と言われているものです。
この岡崎城の曲尺手はとても複雑で、宿を抜けるのにかなり時間がかかりました。

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伝馬町の街並み 伝馬町の街並み
手前が「備前屋」、奥が「永田屋」という往時を偲ばせる家が続いています。

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岡崎宿西本陣跡〜今は映画館に 岡崎宿西本陣跡
岡崎宿の西本陣跡です。写真の建物が本陣跡ではなく、今は映画館が建ってます。石碑は、脇にひっそりと建っています。

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岡崎信用金庫資料館 岡崎信用金庫資料館
このモダンな建物は、大正時代のレンガ造りで、元々商工会議所として利用されていたようです。現在は、岡崎信用金庫の資料館としてなにがしらの作品がいつも展示されています。
このモダンさが気に入ったので写真館にも掲載しています。
(→写真館

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唐弓弦の看板 唐弓弦の看板
ちょっと分かりづらいですが、手前から2件目の軒先に「唐弓弦」と一枚板に彫られた看板があります。
これは、江戸期に綿をうつ道具を商っていた店の看板で、今では大変貴重なものだそうです。

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岡崎城〜往時のお城もこんな感じだったのでしょうか。 岡崎城
天文11年(1542)に徳川家康がここで生まれ、今川氏での人質時代をはさんで、1570年まで居城としていました。
お城は、昭和34年に復元され、現在は岡崎公園として市民に親しまれています。
このお城の不思議なところは、近くに来るまでお城がどこにあるのか見えないところ。これはわざと?
(→写真館

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産湯の井戸 東照公産湯の井戸
家康が産湯をつかったと伝えられている井戸です。

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八丁味噌蔵 八丁味噌蔵
岡崎の名物・八丁味噌の起こりは、約600年前。産地の八丁村では、今も見事な蔵屋敷が見られます。岡崎宿のはずれにも当たります。

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出会いの像 出会いの像
日吉丸(豊臣秀吉)と蜂須賀小六が出会ったと言われる矢作橋の袂にある像です。
左の写真は、左の大きな人物が小六で右の小さな人物が秀吉です。そう、これを見ての通り、最初は秀吉の方が身分が低かったのですが、小六は秀吉を見込んで最終的に部下となったのです。

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誓願寺十王堂 誓願寺十王堂
矢作の長者の娘浄瑠璃姫は、義経を慕うあまり、菅生川に身を投げてしまいました。長者は、誓願寺に姫を埋葬し、十王堂を再建しました。義経が、姫に送った「薄墨」の笛と、姫の鏡を安置しました。

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聖善寺のしだれ桜 聖善寺のしだれ桜
推定樹齢300年のしだれ桜です。
伊勢湾台風により主幹が折れてしまい、樹勢が衰えてしまったそうです。
岡崎市の天然記念物に指定されています。

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安城の松並木 安城の松並木
柿崎の交差点の先に続いていた松並木です。
ここで西から来た旅人と出会いました。

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一里塚跡 尾崎の一里塚跡
江戸から数えて83里目の尾崎の一里塚跡の石碑です。

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夫婦松 夫婦松
助さん、格さんの名前が付けられた夫婦松です。でも、助さん・格さんだと夫婦じゃないような・・・。

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雲竜の松 雲竜の松
永安寺境内にあります。
このクロマツは、分かれた幹が地を這うように伸び、雲を得て天に昇ろうとする竜を思わせることからこの名がつきました。
愛知県の天然記念物に指定されています。

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明治用水関係記念碑 明治用水関係記念碑
明治用水は、西三河一帯に灌漑する用水路で、矢作川から水を引き、幹線路だけでも50qにも及びます。明治12年1月に着工し、翌年4月に通水しました。明治14年9月に明治用水と称しました。
現在は暗渠化されており、通水100年などの記念碑が残ります。

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安城の松並木その2 安城の松並木その2
安城市には、多くの松並木を見ることができます。

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八橋への道標 八橋への道標
来迎寺に入ると、右に折れる道の角にこの道標があります。元禄9年(1696)に、在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべとして建てられました。

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来迎寺一里塚 来迎寺一里塚
江戸から数えて84里目の来迎寺の一里塚です。来迎寺の塚の上の木は、代々松であり、街道の両側に現存しています。
県の文化財に指定されています。

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知立の松並木 知立の松並木
知立に存する松並木です。
近年まで約1qほど続いていましたが、住宅が次々と建てられ450メートルほどになってしまいました。
その後地元の保護によりこの松並木が形成されています。

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馬市之跡 馬市之跡
三河は、奈良時代から度々馬を献上し、古くは鎌倉街道に近い牛田周辺に馬市が開かれていたそうです。
東海道が整備されてからは、池鯉鮒宿近く、慈眼寺あたりに移り、街道一の賑わいを見せました。

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2002.6.16update


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