東海道を歩く(東海道五十三次) / 歴史探訪


東海道:藤川宿〜岡崎宿
藤川宿〜落ち着いた街並みが見られる宿場 藤川宿
東海道37番目の宿場です。
松尾芭蕉がこの地で詠んだ「ここも三河むらさき麦のかきつばた」の句で知られる宿場です。むらさき麦は様々な名所記で紹介されているこの地方の名物でしたが、いつしか廃れてしまいました。しかし、地元の有志により復活への試みが行われています。
宿場全体を見てみると、現在も落ち着いた街並みを形成しています。

今来たところへ戻る△








高札場跡 高札場跡
宿場内の高札場跡です。
見ての通り、現在は説明版があるのみです。

今来たところへ戻る△


問屋場跡 藤川宿問屋場跡
問屋場跡です。

今来たところへ戻る△


本陣跡 藤川宿本陣跡
本陣跡です。何故か普通の民家の中に碑が・・。

今来たところへ戻る△


藤川宿脇本陣跡 藤川宿脇本陣跡
大西喜太夫橘屋の跡で、門は当時のものです。明治以後は、藤川村役場、昭和30年岡崎市に合併後は岡崎市藤川連絡所、公民館として使われていました。平成2年には、藤川宿資料館として利用されています。
ここは、当時の歴史を無料で知ることができる貴重な施設です。

今来たところへ戻る△


むらさき麦?(笑)<咲いているのはコスモスです むらさき麦
松尾芭蕉が詠んだ「むらさき麦」にちなんで、地元の人がここでむらさき麦を栽培しています。ところが、時期がずれていたので、咲いていたのはコスモスでした。
5月中旬から下旬にかけて茎や葉、穂がほのかな紫色に染まるところから「むらさき麦」と呼ばれています。

今来たところへ戻る△


藤川西棒鼻跡 藤川西棒鼻跡
宿の出入り口でもある西棒鼻跡です。
藤川宿では、東側と西側ともに復元されており、写真は、西側の棒鼻跡です。
大名通行の際は、ここで本陣問屋等が出迎えて「何宿本陣何の何某でございます」と口上を述べたそうです。

今来たところへ戻る△


十王堂 十王堂
西棒鼻跡近くにあった十王堂で、建物内には像が収められている・・・と思われます。<施設の中を見ることはできませんでした
境内には、松尾芭蕉の句碑があります。

今来たところへ戻る△


藤川一里塚跡 藤川一里塚跡
江戸から数えて79里目の藤川一里塚跡です。

今来たところへ戻る△


吉良道々標 吉良道々標
吉良道との分岐点に当たる場所です。
東海道から左へ分岐する道は、西尾から吉良方面の西三河湾岸に通じ、利用度の高い道でした。

今来たところへ戻る△


岡崎源氏蛍発生地 岡崎源氏蛍発生地
昔は、ここで蛍が生息していたそうですが、今は、車の廃棄スクラップ工場があり、とても蛍がいるとは思える場所ではなくなっています。石碑もどこか寂しそうでした。
しかし、ここからちょっと先に行くと、ほんわかした風景が拡がっています。

今来たところへ戻る△


大岡越前守陣屋跡 大岡越前守陣屋跡
江戸町奉行として、数々の業績をあげた大岡越前守忠相が、寛延元年(1748)、一万石のだいみょうとなってから明治まで、代々大岡家が西大平藩主として陣屋を置いたところだそうです。
私は、これを探すのにかなり迷いました。原因は、私が持っていた地図に載っていた写真が実際の建物と違っていたからです。今は、綺麗に整備されています。(写真は、若干場所が違います・・・(汗))

今来たところへ戻る△


大平一里塚 大平一里塚
江戸から数えて80里目に当たる大平の一里塚です。
「人の見上げる一里塚」と岡崎名物の花火ねりこみ唄にうたわれ、市民に親しまれています。
南側の塚の榎は、昭和28年の台風で倒れ、現在は若榎が植えられています。

今来たところへ戻る△

←赤坂宿−藤川宿 岡崎宿−池鯉鮒宿→

2002.5.26update


トップページ東海道を歩く(東海道五十三次)歴史探訪>藤川宿−岡崎宿