東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第16日目|御油−美合 平成13年(2001)10月7日(日)

放浪日記第十六日目MAP|御油−美合

平成13年(2001)10月7日(日) 東海道第16日目:御油−美合 天気:晴

放浪16日目のスタート地点・名鉄御油駅 宿泊した豊橋のホテルを後にして、名鉄名古屋本線に乗った私は、予想通りダイヤの乗り換えにとまどい(笑)、結局御油駅に到着したのが10時前・・・かなり遅めの旅立ちであった。しかし、この日も多少雲はあるものの、晴れ間の覗く良い天気であった。
 御油駅近くにあったコンビニでかなり遅めの朝ご飯を購入。どこで食べようかと迷った末に、御油の『松並木資料館』の前に流れている川沿いまで下りていって、そこで食べた。いつ見てもこの川は良い(と言ってもまだこれで2回目(笑))。この川も、昨日見た他の川もそうだが、どうもこの辺り(愛知県内)の川を見ると釣りをしたくなってしまうのだ。こんなに気持ちの良い川は、私の住んでいるところでは、山奥まで行かないと見かけることができない。
 水の流れに心地よさを感じた後、時計を見てみると10時を過ぎていたので、せっかくなので昨日見そびれた資料館を訪れることにした。まさかここを見ることができようとは、昨日は想像だにできなかった。もうこの時間だと、とっくに先に進んでいるものだと・・・たまには遅く出発するのも良いものである(と、自己弁護(笑))。
 さっそく中へ入る。受付で記帳した後、施設を見学させてもらう。ここは、1階部分のみの施設であるが、なかなか資料が充実している。しかし、その充実ぶりにも関わらず、なんと無料で見学できるのだ。なんとも嬉しい限りである。御油の松並木〜やっぱり松並木は歩いていて気持ちが良いのだっ!
 充分見学できたので、受付のおじいさんにお礼を言って、施設を後にした。そのまま数分歩き、前回の旧東海道と別れた交差点に到着。さっそく歩き始める。
 味噌屋の続く街並みを見つつ歩き続けていると、前方に本日のメインディッシュの『松並木』が見えてきた(写真右、写真館)。いきなりのメインディッシュでちょっとおののく。
 「おお・・先が見えない・・。」
 資料によると600メートルほどこの松並木は続いているという。さっそく写真をパシャパシャ撮りつつ歩き出す。朝の日差しを受けた松は、どことなく光り輝いているように見えた。
 「うーん・・かなり良い感じだ。車の通行さえなければ・・。」
 そう、ここは歩道がなく、しかも車が頻繁に通るのだ。写真を撮ろうとすると車が来て、ようやく車がいなくなったので再び撮ろうとするとまた別の車が・・・。どうやら抜け道となっているようで、しょうがないと言えばしょうがないのだが、こればっかりは閉口してしまった。松並木に罪は全くなかったが、これまでの期待感が大きかったためか、ちょっと印象は薄くなってしまった。
 しかし、それでもなんだかんだと松並木を堪能した。その後、松並木にも終わりを告げ、そのまま『赤坂宿』に入った。
浄泉寺〜ここのソテツは歌川広重の絵に描かれたことでも有名です 赤坂宿は、これまた良い感じの街並みが形成されているところだった。新しめの家も多いのだが、それでも、どことなく懐かしさを感じることができるところであり、家並みもそうだが、お寺が随所に点在しているところが良かった。
 歩いていると、宿の中心付近にある建物を発見。それは、1700年代からずっと営業している『大橋屋』という旅籠屋だった。私の持っている資料だと、中を見学させてもらえると書いてあったが、小心者はドアを開けることが出来ず、外からジロジロと眺めているだけであった。ジロジロ見てる自体、かなり異様であっただろうが(笑)
 この旅籠、300年近くも営業し続けているという・・・これは、とてつもない偉業である。いずれ機会があれば、ここに泊まってみたいと思うのであった。きっと夢に昔のことが出てくることだろう・・って、誰かが化けて出るわけではない(笑)大橋屋を後にした私は、そのまま赤坂宿を抜け、次の宿へと歩き始めた。
 この辺りは、完全に国道から逸れた裏道であり、人も町も全てのんびりとしており、周辺には微妙に色づき始めた低山が見え、まさに歩くには最適な空間が続いていた。
 途中、『栄善寺』というお寺に立ち寄ろうと思った時、事件は発生した。クモの巣事件があった場所!!!!!
 旧東海道を逸れ、左へ曲がった私は、そのまま目の前に続いている階段を登ろうとしていた。階段の先の方に、お寺らしきものも見えた。「あれが栄善寺だ。」そう思った私は、くずれかけている階段を、踏み外さないようにゆっくりと下を見ながら一歩一歩歩き始めた(写真右)。ところが、これが災いした。下を見ていたため、前方の危険物に気づかなかったのだ。すなわち、ものすごい大きな蜘蛛の巣に頭から突っ込んでしまったのだ。「ぎゃーー!」思わず声が出てしまった・・。そのまま急いで頭にひっついた蜘蛛の巣を取るも、少しネバネバ感が残ってしまった。おのれ・・・しかし、にっくき蜘蛛の巣を見てみると、階段一面を覆い尽くしており、通れるなら通って見ろとばかりに挑発してきていたので、階段はあきらめて、横にあった普通の道を歩いてお寺に行くことにした。
 そうして、ようやくお寺に到着。先ほどの事件のショックが大きかったのか、特にどうという感情も湧いてこず、再び降りていき、蜘蛛の巣をジロッとにらんだ後、ここを後にしたのだった。しかし、あんなに大きな蜘蛛の巣は初めてだ・・。もしかして、このお寺を訪れる人は、ほとんどいないのではないだろうか・・それとも階段を利用しないのか。結局結論が出ないまま、先を目指すことになるのだった。
長沢地区の街並み〜昔ながらの街並みを見ることが出来ます 続いて『八王子神社』というところに寄る。この神社までのアプローチ部分がとても良くて、苔のむした階段になっていたのだった。とても情緒があふれている感じだった。ところが、頂上の本堂のところに、地元の人らしき人がたくさん居て、わけもわからずにろくにお参りもしないまま、同神社を後にしたのだった。
 その後、再び旧東海道に戻り歩き出す。やはり車が通らないというのは快適である。昔は、当然車などなかったので、みなこうして徒歩で旅をしていた。今は、車や電車が通り便利になったのだが、こうして歩くことで発見することができるものもたくさんある。おそらく、車ではこの町を訪れることはゼロに等しいと思う。
 この辺りで、同じウォーカーらしき人に抜かされる。自称めちゃくちゃ歩くのが速い私にとって、抜かされるということは今までほとんどなかった。よほどのんびり歩いていたのだろう。結局言葉を交わすことなく、彼は先に行ってしまったが、まったく写真を撮らずに歩いていたので、何を目的に歩いているのかなぁ〜とちょっと興味があった。
本宿地区手前にあった門 その後、長沢というところの街並みを見て(写真上)、そのままひたすら裏道を歩く。とっても快適だ。思わず鼻歌を歌ってしまいそうなくらい、気持ちが良い。
 どのくらい歩いただろうか・・・国道1号線に本日初の合流。そのまま国道沿いを歩く。ここでとっても困ったことが起こっていた。飲み物が底をついて、自販機を探していたのだが、まったく見つからないのだ。欲しい時に見つからないのはよくあることだが、実際にこういう目にあうと、非常につらいものがある。そうして、ようやく自販機を見つけ、お茶を買う。グビグビ・・・ふぅ〜・・ホッと一息の瞬間である。
 そのうち前方に再び裏道に入る目印となるドライブインが見えてきた。大きなトラックがたくさん止まっていた。ここで皆休憩を兼ねてお昼を食べているのだろう。
 ドライブインを過ぎた後、国道から外れて、再び裏道に入る。この辺りは本宿と呼ばれており、いわゆる間の宿的なものであったようだ。この町に入ってから、ちょっと行ったところに『法蔵寺』というところがあり、そこに新撰組局長だった『近藤勇の墓』があるというので、休憩も兼ねてここで休んでいくことにした。お寺の一番高位置にあるお堂近くの階段に座り、ホッと一息をつく。
藤川宿の資料館〜藤川宿の勉強になります 今日は、この先どうしようか、かなり迷っていた。体調も万全ではないし、ここで無理をして後に響いてもしょうがない・・と思い、ここから近い本宿駅でやめようと半分決めかけていた。あとは、駅についての時刻表を見てからだな・・そう思い、勢いよく立ち上がり、『近藤勇のお墓』を見に行った(写真館)。
 近藤勇は、幕末に活躍した新撰組の2代目組長であった人だ。私は、戦国や幕末を物語った小説がとても好きで、もちろん新撰組に関するものもたくさん読んでいた。そのため、彼のお墓を見ることが出来たのは、とても嬉しかった。しかし、近藤勇の死んだ(殺された)ところは板橋の刑場・・・何故こんなところに墓が・・と思っていたら、そこにあった説明版に、この寺の元住職と親しくしており、その関係でここにお墓を作ったらしい(だいぶ簡略説明してます)。そうして、長い間滞在していたこの寺を後にして、再び旧東海道を歩き始めた。
 途中、お腹が空いたので、偶然発見したコンビニらしき地元の店に入り、食料を調達した。このコンビニの窓の向こうに、洋風建築の今時珍しい建物があったので、お店のおじさんに聞いてみた。
 「あの向こうに見える、洋風の建物はなんですか?」
 「あ〜、あれは昔の役場だよ。今は使っていないけどね」
 そう、昔の役場だったという。今は使っていないと言っていたが、まだまだ使える余地はあるのでは・・と思った(写真館)。藤川の松並木〜岡崎市の天然記念物に指定されています
 その後、『欣浄寺』というお寺で買い込んだものを食べた。先ほどのんびりしたので、ここはそれほどゆっくりせずに、早々にお寺を後にした。
 そうして、ようやく本宿駅へ続く道がある分岐点に到着。後ろ髪引かれる思いだったが、とりあえず駅に向かって歩き始めた。ダイヤを確認してみる。・・・ん?ぎゃー・・ちょうど1分前に出たばっかりだった。どうりで改札から人がたくさん出てくるわけだ・・。もう迷いはなかった。私は、再び歩き出す決心をして、駅を後にしたのだった。
 再び旧東海道にぶつかり先を目指す。ここから先は特に見どころもなく国道1号と交わりつつひたすら西へ。
 そして発見したのが、『藤川宿』の入り口部分にあたる藤川東棒鼻跡であった。写真で見たことがあったのだが、こんな所にあるとは思いもよらなかった。その後、宿の中心部へと向かう。
 同宿も、なかなか昔ながらの風情が漂っており、米屋など昔の家並みが残っていた。そして、脇本陣跡を利用して、『資料館』があった。この資料館も無料で見学可能となっており、とても嬉しい配慮である。さっそく中に入って見学。当時の様子をうかがいすることができる、貴重な施設である。施設を見終わった私は、同館を後にした。
この2日間の終点地・美合駅近くにあった松並木 脇本陣跡の資料館を出てからしばらくして、今度は『西棒鼻跡』を見る。ここまでが藤川宿となり、西側からの入り口にあたる。
 さらに歩き続ける。名鉄名古屋本線の踏切を渡ると、ここにも松並木が続いていた(写真上)。これが藤川の松並木である。ここは、それほど車の通行量がなく、かつ道路も広いことなどから、なかなか良い空間だった。子どもを連れたおじいさんがゆっくりと散歩している姿を見ることができたのも好要因だっただろう。
 松並木を抜けたあとは、国道1号線を歩く。ほどなくして、またまた国道を逸れ、裏道へ。そろそろ今日の終点である美合駅だ。時間的にはまだ早かったが、あまり無理をしてはいけない。そう言い聞かせているうちに美合駅に到着。この2日間、色々とあったがやはり歩いて良かったと心から思える日々だった。次は、この駅からだ・・・それを思うと胸がワクワクしてくる。いつになるかわからないが、また放浪に来る日まで・・・そう誓った私は、いつまでも美合駅を見上げていたのだった。(つづく)
→第17日目 美合−知立


歩数計 24,607歩
カロリー 1,023.7kcal
距 離 14.77km
時 間 9:52〜15:25
支 出 交通費|4,990円(新幹線は片道分)
飲食費|1,414円
その他|7,350円(宿泊代等)


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