東海道を歩く(東海道五十三次) / 放浪日記

 #第15日目|二川−御油 平成13年(2001)10月6日(土)

放浪日記第十五日目MAP|二川−御油

平成13年(2001)10月6日(土) 東海道第15日目:二川−御油 天気:晴

二川駅を出て旧東海道を歩く。さあ、今日も一日歩くぞー! 今回の放浪は、予期せぬ放浪であった。実は、ほんの数日前に風邪をひいてしまったのだ。だから、せっかくの3連休であるが、今回は行けないなぁと思っていた。しかし、風邪をひくやいなや、無理をせずにひたすら寝たのが良かったのか、連休の前日には、のどの痛みが多少残る程度で、ほぼ完治していた。
 行こうか行くまいか迷った・・・かなり迷った・・・が、『吉田城』や『御油の松並木』など旧東海道の史跡や街並みが脳裏をよぎった瞬間、放浪に行くことを決意したのだった。
 前回の旅から、たった2週明けての放浪である。しかも今回は、前回の状況とはまた違う「病み上がり」状態ということもあって、無理は禁物・・と、かなりゆっくりしたペースで家を出た。
そして新幹線や在来線を乗り継いで、前回旅を終えた二川駅に到着して歩き始めたのは、10:19・・前回よりさらに遅い旅立ちであった。


 吉田宿内の石碑。江戸から74里は300q弱・・よくここまで歩いてきたもんださっそく歩き始めた・・・が、早々に着ていた長袖の上着を脱いでTシャツになった。この日も相変わらずの快晴・・・10月に入っているのにもかかわらず、かなりの日差しの強さだった。晴れ男全開である(自画自賛)。
 まずは順調なスタートだ、と思いきや、交差点にぶつかった時、早々に難関が目の前に現れた。なんと、交差点向こうの道路の「歩道」が無くなっていたのだ。地図を見てみると、確かに歩行注意と書いてあるが・・・。
 しかし、これまでいくつもの難関を乗り越えてきた私である。こんなのはなんなくいけるさ・・・と思うのは気持ちだけで、すぐ真横をものすごいスピードを出して通過していく車にビクビクしながらなんとかこれを乗り切った!これは体験した者でないと伝わりにくいかもしれないが、別に無理して体験することはないだろう(笑)
 危険箇所を過ぎたあと、幅の広い道路をひたすら歩く。車の通行量もグッと減り、天気の良いことも手伝ってようやくいつものペースに戻りつつあった。
 しばらく何もないところを歩き、いつしか毎度お馴染みの国道1号線沿いを歩いていた。やはり国道1号は交通量が激しい。しかし、救いは歩道があることだ。よほどさっきのことに懲りたのだろう(笑)。この日は、安全ばかりを考えていたような気がする。
 途中、歩道を工事しているところがあり、どうしようかとちょっと思ったのもつかの間、誘導員がすみやかに誘導してくれて、なんなく通過。愛知県の人は、人の良い人が多い。もちろん、これまで歩いてきたところもみんなそうであるが。
 ひたすら先を目指しているのだが、なかなか次の宿場にたどり着かない。気持ち的には先へ先へと思っているのだが、本能的にどこかで制御しているのかもしれない。しかし、そんな時間もようやく終焉に近づき、ようやく『吉田宿』の入口部に当たる西新町の交差点が見えてきた。
豊橋公園。ここで事件発生っ! 実は、この交差点を過ぎたところでかなり道に迷った。結論を言うと、結局旧東海道と間違えて違う道を歩く結果になってしまった。地図を見つつ実際の道路を見てみても、あるはずの道路がないのである。しばらくウロウロしていたが、結局意を決して一本の道を歩き始めたのだが、それが間違いだと判明したのは、『曲尺手の門跡』を探していた時。本来なら、歩いてきた道沿いにあるはずなのだが、どこを見ても見あたらない・・・。もしや・・・と思い、周辺をくまなく探索してみたところ、ようやく発見!この時点で全てが明らかになったのであった。
 しかし、本来歩くべき道が判明したので、さっそくその道を歩き始める。そろそろ足にも休みを取らせてあげたいと思い、東海道沿いから外れてしまうが、訪れようと思っていた吉田城跡のある豊橋公園へ行くことにした。
 そうして太い道路を横切り、ようやく公園に到着(写真左)。四阿を発見したので、さっそくベンチに座り、一息ついた。ふぅ〜・・・と思ったのもつかの間だった。この後、私はえらいことに巻き込まれてしまうことになったのであった。
豊橋のハリストス正教会〜こういう雰囲気も好きだなぁ それは、ある団体、それも女性オンリーの団体がどやっと私の居る四阿に押し寄せてきたのだ。別に私のファンだというわけではない(←当然(爆))。ちょうど時間にしてお昼・・彼女たちはお昼を食べるためにその場所を探しており、ちょうど目に入ってきたのがこの四阿だったというわけだ(推測)。そのため、一人でのんびりしていた空気が一気に様変わりし、何故だか肩身の狭い思いをしなくてはならなくなってしまった。女性のみのおしゃべりはすごい・・・私が居ることをまるっきり無視して、ご飯を食べつつもひたすらしゃべりまくっていた。ちなみに、聞き耳を立てていたわけではない(笑)。 それでも、足を休ませたいと思って粘ったのだが、この空気に堪えられなくなり、四阿を後にすることにした。おそらく女子大生だと思われるが・・・恐るべし!
 四阿を出た私は、さっそく同じ公園内にある『吉田城跡』を見る・・・が、ここも別の女子大生軍団に占領されており、その他公園のどこを歩いてもそこもここも占領つくされており、結局十二分に堪能できないまま、公園を後にしたのだった。
 公園を出た後、宿場の中心部を色々と探索した。往時の面影はほとんど残っていないものの、それでもその繁栄ぶりには、さすが愛知県下2番目の都市だと認識することができた。
 歩き続けていると、いつのまにか中心部を離れ、前方に立派な川と、川の上にかかっている橋が見えてきた。この橋は、『豊橋』であった。歌川広重の絵にもかかれている橋(もちろん、当時のものではないが)である。そして、川は『豊川』。川幅の広い川ではないが、どことなくどっしりしたものを感じ、無性に釣りがしたくなった(笑)(←やはり釣り師?)。
 橋を渡ったあとそのまま道を曲がり、少し川沿いを歩く。徐々に道も細くなり、車の量も少なく・・・なるかと思いきや、裏道として利用している車が多かった。歩道がないので、注意して歩く。
昔の吉田宿は、今の豊橋市としてとっても賑わっています。路面電車も走ってるよ〜 途中、旧下地村の近くで、『昔ながらの街並み』を通過する。やはり、いつ見てもこういう街並みは良いものだ。当時の情景を思い浮かべることができる。
 さらに歩き続ける。浮浪雲さんのHPで拝見したウワサ(?)の横須賀ストーリーという名の喫茶店を見つつ、歩き続けていた。しかし、あまりの暑さのためボーっとしていたのか、途中見ようと思っていた『瓜郷遺跡』を見そびれてしまう。だいぶ先に行ってから気づいたのだが、戻ろうか戻るまいか迷った。しかし、なかなか来れる場所ではない・・と思い、引き返すことにした。ウロウロすること10数分・・・ようやく目指すべき遺跡にたどり着いた。
この遺跡・・先日、この近くに住んでいる友人が教えてくれたのだが、原因不明の火事で焼けてしまったという・・・。友人の言う通り、遺跡は跡形もなくなくなっていた。何もない遺跡跡地を見つつ、敷地内にあったベンチで小休止することにした。
 歴史遺産の保存・維持はとても難しいものである。だから、この東海道を歩いていて、昔のまま現存している建物や街並みなどを見かけると、とっても嬉しくなってしまうのと同時に、その地元の方々の絶え間ない努力のおかげで見ることが出来るんだ・・と、いつも頭の下がる思いである。
御油宿の街並み。昔ながらの家並みを見ることができます 充分休憩したので、再び歩き始めた。しばらくのどかな風景が続く。ちょっと日差しが強いが、快適な放浪だ。そして、長かった豊橋市から小坂井町へと突入。
 お寺や昔ながらの街並みなど、ところどころに往時を偲ばせるものが残っており、なかなか快適だ。しかし、休憩を取っているにも関わらずなんとなく体はちょっと重め。しかし、この先を考えるともう少し先まで進んでおきたい。その前向きの気持ちが、自らを歩かせている・・そんな感じだった。
 それにしても、この辺りの道路は、歩いていてかなり恐い。裏道なので道路が細いのはしょうがないが、細いだけではなく歩道と呼べるような空間がまったくないのだ。しかも、人が歩いているのに、車はスピードを落とさない。確かに、歩いている人なんていうのは、この辺ではほとんどみかけない。車を運転してる人は、歩いている人と車との距離感とかがわからないのかなぁ・・・。
 そうこうしているうちに、再び国道1号線に合流。しばらく国道を歩く。途中、鉄道の上を通過している陸橋を渡ったのだが、ここから見える景色はとても良かった。一面に拡がる黄金色の田園風景・・秋の姿を見せてもらった感じだ。この景色に疲れも忘れてしまうほどだった。おそらく写真ではうまく表現できないことだと思うのがとても残念だ。
御油宿近くにある幾世川(昔の資料による。現在も同じかな?)。なんか昔ながらの原風景を見た気がしました ここで、少し元気を取り戻した私は、さらに一気に歩き続ける。旧東海道は、再び国道を離れ裏道へと続く。徐々に空も暗くなり始めてきた。冬が近づくにつれて、だんだん明るい時間が短くなってくる。やはり一人で歩いていると、暗くなってくるとともに、妙に寂寥感が強くなってくる。
 歩きながらこの先を地図で確認する。今日は『赤坂宿』まで行ければと思っていたのだが、結局『御油宿』までにすることにした。御油の松並木等のお楽しみは、次の日にとっておこう。今日の最終目標が決まったので、マイペースで周辺の景色を楽しむことができる余裕が出てきた。
 この辺りは、人がほとんど歩いていなかった。そのかわり車もほとんど通らないため、何も心配することなく歩くことが出来るのが嬉しい限りだ。
 そうしているうちに、『御油宿』の入り口付近の御油橋にさしかかる。この橋から見た景色がまた良かった(写真左、写真館)。昔ながらの河川風景とでもいうのだろうか・・・しばし、その光景に見とれてしまった。これも写真ではうまく伝えられないのが心苦しい・・。
 御油橋を越えると、御油の街並みが続いている。この辺りは鉄道路線からも外れており、この日の放浪の終着点・御油駅。ところが、電車の本数が少ない〜(>_<)道路も狭いことから、高度成長の大きな影響を受けずに今に至っているのだ。これは、大きな遺産である。いつまでも残り続けていって欲しい。
 この街並みを見つつ、旧東海道は右へ。ここで交差点にぶつかる。ここを左に行けば旧東海道で、先にはかの有名な御油の松並木があるが、今日はこのまま放浪を終えるため、道を右へ曲がる。
 駅に向かう途中に、御油の『松並木資料館』というものが近くにあることを知って、帰りに寄ろうと思った・・・が、着いた時間が遅く、ちょうど閉館した後だった。次の日の開館は10時から・・・おそらく見ることは叶うまい・・・と思いつつ、後ろ髪引かれる思いでその場を後にした。
 そこから歩くこと約5分、ようやく今日の最終地である名鉄名古屋本線御油駅に到着(写真右)。時刻表を見てみると、なんと次に来るのは30分後・・・・。私は、無人駅のベンチに座って電車を待ちつつ、次の日は時間に考慮しなければなぁと考えていたのであった。(つづく)
→第16日目 御油−美合


歩数計 31,326歩
カロリー 1,303.2kcal
距 離 18.80km
時 間 10:19〜16:33
支 出 交通費|5,180円(新幹線は片道分)
飲食費|1,129円
その他|0円


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